11.22.2015

Family hiking!

家族で山登り。
車で山頂付近まで行ってそれから散歩コースという内容。小池、大池などぐるっと散策したら結構いい運動になった。3時間歩いた後のうなぎの美味しいこと☆ 楽しかったー

11.18.2015

デコってしまったー

久しくアートっぽいものに触れていないので禁断症状が。楽しすぎる(^ ^) 早くいろいろ終わらせて歌ったりピアノ弾いたり絵を描いたりしたい。

11.05.2015

秋の小春日和

花梨はそこにそのままあったら来年芽が出そう。埋めてみよう!

11.03.2015

Issue Topic: Technology and a Thinking Reed

As people rely more and more on technology to solve problems, the ability of humans to think for themselves will surely deteriorate.
Write a response in which you discuss the extent to which you agree or disagree with the statement and explain your reasoning for the position you take. In developing and supporting your position, you should consider ways in which the statement might or might not hold true and explain how these considerations shape your position.
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I agree with the statement that the more dependent people become on technology, the ability to think will deteriorate. That is already ongoing and affecting people's basic skills in life.
The biggest contributor is the development of the Internet. It has changed the way we search for information and think about a certain topic. Before the age of the Internet, people had to look for information from limited source available to them, and form a hypothesis on their own. For example, you read a news article saying that the suicide rate is steadily decreasing for the past several years. If you wonder why, you need to go to the library for very technical books and think about several possible reasons for yourself. There was no other way unless you have an acquaintance who is an expert in that area. On the other hand, it is most likely that people rush to the Internet and find the reason for the decline. They would think for zero moment because it is simply a waste of time if they could find a likely "answer" on the Internet instantly. The process of thinking is taken very lightly with the technology.
Another example is automation. In factories or office, a lot of procedures are automatically performed by computers or robots. As a result, workers tend to forget how the individual steps in the system works, or even, what the whole automated system is for. The technology may have brought apparent convenience and efficiency, but the workers' decline in active thinking is its serious side effect. Even with the latest technology of automation, problems and errors still occur, and it is human workers who have to deal with it. Lacking regular habit of thinking for themselves, troubleshoot might be a difficult task for them because the machines and computers they usually rely on are all out of order.
The points mentioned above are widely seen in any industry or household. It is ironically showing that the complicated technology is making humans less intelligent. We are obliged to realise the consequences of the technology, and not let ourselves give away the task of thinking - the most important activity of human beings - to technologies. Or they may take control of us.     

11.02.2015

英語と日本語の、根源的で、文化的背景にも影響された明々白々な違い

最近英文ばかり書いていて気が付いたこと。「日本語と英語の文章は、ただ単に材料(言語)が違うだけでなくて、根本的に、構造が違う。」

最初に何がくるかというのがまず大きな違い。英語ではまず最初に結論が来る。一番伝えたいことが最初に来る。これは、英語文化だと自分の話を最後まで聞いてもらえる保証がない、だから最初に言いたいことを言っておこう、そして相手が聞き続けてくれるのならば、その理由や補助材料などを提供しよう、という考えに基づいていると思う。これに対し、日本語ではまず普遍事実、もしくは理由、補助材料など、サブ的なものが最初に来る。相手が最後まで話を聞くというのは暗黙の了解になっている。そして、いきなり核心に迫るよりも、周りを固めて事実を積み重ねて、最後に、だからこういうことが言えるでしょう?と相手と一緒に結論にたどり着く。このように、日本語と英語の文章構造の違いには、それぞれの文化の違いが非常に大きく影響していると思われる。

続いて、日本語ではよく論理が迷子になるが、英語ではなりにくい。なりにくいも何も、英語では結論がもう示されているのだから、あとはそれを指標に、その後に述べられる内容が結論を補強しているかどうか確認するだけだ。もちろん補強していない場合、その結論には説得力がない。対して、日本語は、事実のみ述べて、述べている間にそれが意味するところを考えていることが多い。つまり、事実観察からその先に進んでいない。それは慌てた結論を出さない注意深さともいえるし、そこから何が言えるかを特別考えていない、場合もあるだろう。ともかくも、ある事実が暗示するものなんていくらでもあるので、人によって受け取り方が違う。つまり、事実を単に伝えるだけでは、それから何が言えるかの結論までは自分の思った通りに相手に伝わらないかもしれない。だから、それから何が言えるのか、結局よくわからない、なんてことも。つまり観察に終始してしまうこともしばしば。「この人、何が言いたいんだろう…?」「ひょっとして、主張したいことなんて特に何もないのかな。じゃあなぜこんなに大人数の時間を取って、演題に立っているんだろう」と思わせられることは、よくある。

このような文化的背景のため、日本語の文章は時として、結論の欠如という根本的な問題を抱えることになる。単に日本語の文章を英語に翻訳すると、非常にまわりくどくわかりにくく(だから不自然)、だから結局何なのかが示されていないことが多い。だから結局何を言いたいのか、その大事な部分を、自分ではなく自分より立場が上の人に決めてもらうというピラミッド型組織も影響しているだろう。また、英語圏のように自分の意見のない人(英語力その他の問題で、表現できない人、ではない。)は重要視されないという文化も薄いので、どこにたどり着くのか分からないスピーチなり文章なりのお供を延々としなければならないときもある。まさに迷路である。しかしそのような文書なり講演なりがまかり通っている!(だって地位があるんだもん、そしてその地位は能力でなくて年数で与えられるものなんだもん…(日本文化の釈明))

しかしこのところはだいぶ、「結論を先に言いましょう」という考えが普及してきたようで、ビジネス書などを見ると忙しい上司に提案をするためには、まず提案を言い、それから理由を言いましょう、ということが書いてある。まったく同意。聞く側に考える余裕、つまりどうとでも解釈できる事象を最初に与えてはいけない。自分が全く意図しない方向に議論を持っていかれる可能性がある。言うことと伝えることは違う、なんていう言葉も聞くが、それは、言い方の問題では?と思う。一意にしか解釈できない言葉でないと、伝達の役割を果たしていることにはならない。幾通りにも解釈の可能な文章は、文学作品であってビジネス文書ではない。

偉そうに書いているが、実のところ、私もよく日本語的な「~~だから○○なんだ」という言い方を英語でしてしまう。英語では、「○○だ、なぜなら~~だから。」という方が一般的だ。一見大差はないように見えるが、例を見ると分かりやすい。

"How is your friend?" (友達は元気?)の答えとして、
1. "She has two kids." "That's why she's busy." (日本語的な、結論が後に来るタイプ)
2. "She's busy because she has two kids." (英語的な、結論が先に来るタイプ)

この例で、私は1の、 "She has two kids." と答えてしまった。そうすると、相手は、「…だから?元気なの?元気じゃないの?」と思ってしまう。子供が二人いるというのは単なる事実であって、彼女が毎日楽しくてハッピーなのか、疲れているのか、どちらの可能性もある。だから、彼女が元気なのかそうじゃないのかは、話し手が考えて答えるもの。私も、「だから忙しい」と慌てて付け加えた。(これが先の質問に対する本当の答えなのだが) 気をつけていないと、事象だけ述べて結論は相手任せ、といった答えになりかねない、と自省した良い例だった。

分かりやすく、伝わりやすく、率直な表現のために頑張るぞ。。。


社会に出るということ

未だに学生に間違われるのは、垢抜けていないからではなく、若く見えるからってことにしておこう。(まあ、単に博士課程の学生という意味かもしれないわけで、それなら年齢相応だけど)
それにしても、社会人経験者と大学生は雰囲気というか、立ち居振る舞いが全く違う。社会人のほうが大人っぽい。例えば、初対面の人にきちんと挨拶したり、感じよく微笑みながら相槌を打ったり。どんな人とでもとりあえずまともな会話ができる。学生には、それができないというか、し慣れていない人が多い。あくまで傾向論。
学生がそういう訓練をされていないのは頷ける。大学はそんな場ではないし。バイトしてる人はできるのかもしれない。それにしても社会人の大人な態度は、毎日絶対に決まった時間に出勤しなければならない、意に沿わないこともたくさん言ったり、しなければならない、といった甘えの許されない環境で培われたものだと思う。それは学生の置かれた環境よりも厳しい。不思議なもので、厳しい環境で鍛えられるほど、物腰は優しくなる傾向あり。決してスパルタを肯定しているわけではない。しかし、ゆる〜い環境で自分を律するのは難しい(エネルギーを節約したいのは生物の性なのだから)。

とりあえず学生と社会人は違う。学生の頃からそう感じていて、社会人をかっこいいと思っていた。だから早く働きたかった。いま、社会人の立場から学生を見て、やっぱり全然違うなあと思う。率直に。普通の会社員でもそう思うのだから、軍隊にいた人などはもっとその差を感じるだろう。謙虚が一番だ。

それにしてもなんて陳腐なタイトル(^_^;)