7.10.2026

『フェミニズムとわたしと油絵』/金谷千慧子

ルノワール展に行って、なぜに裸婦がモチーフとして成立するのか?という疑問から読んでみた本。

著者は女性の地位向上のためのNPOとか立ち上げていて、全国を飛び回り、その活動に生涯をささげた。で、定年退職後に趣味の油絵を再開したが、モデルさんが裸婦であることに違和感を覚える。教室でデッサンの時間があり、裸婦のモデルが出るが、講評が終わるやいなや、服を着た絵に描き変えていた。

「裸婦が油絵のモチーフになくてはならないのはなぜか。なぜ男性の裸はめったになく、女性しかないのか。」という疑問から、いろいろと調べ学習をなさり、その成果をまとめている。

油絵の歴史は古いので、必然的に歴史をさかのぼって検討していくことになるのだが、中世時代のハーレムがどういう場所だったかなどは嫌悪感を催す内容だった。その他にも目を覆いたくなるというか、憤懣やるかたない気持ちになる歴史的事実もあった。人間の欲望とは。人間も結局動物なんだなと情けなくなった。

著者の結論がなんとも小気味よかった。「つい最近まで男性社会だった絵画の世界で、男性は描く側、絵を購入する側で、女性は描かれる側、見られる側だった。どんなに『美を追求するため』とか取り繕って言っても、結局男性の『女性の裸を見たい、描きたい』という欲求を満たすためだったのだ」。反発も覚悟で、ここまではっきりと言える著者に拍手を送りたい。

実際その通りだったんだろうと思う。女性よりも男性のほうが権力を持っていて、不平等な社会で、その中で発展していった西洋絵画。そう思うと西洋絵画も複雑な気持ちで眺めてしまう。女性の裸を見て、特に美しいとか感じない。なんで裸なんだろうと思う。これが写真だったら大問題なのに。

西洋絵画は子供のころから美術の授業などで扱っていて、普通に接していたので、裸婦だけがモデルとなっていることに今まで特段気を留めなかった。慣れって怖いな。今回その慣れをいったん遠ざけ、客観的に、ジェンダー論的観点から西洋絵画を眺めることができて良かったなと思う。





 

『フランスの高校生が学んでいる哲学の教科書』/シャルル・ぺパン

とても面白かった。フランスの高校生向けの解説本のような位置づけだと思う。それの翻訳版。高校生でもわかるように書かれているし、素朴な疑問のQ&Aがあって面白い。

もっと面白かったのは、この本を読んでるんだ、と書き物会の友達に見せたら、「私も最近ショーペンハウアーの幸福論の本を買って読んでる」とか、「こないだ哲学について語るイベントに行ったけど、マシンガントークする人がいて参った。『欧米では自分の意見をいかに押し通すかに重点が置かれている』とその人は言っていたけど、本当かな?と思った」など、みんな興味津々というか、語ることがあるというか。

哲学はこの世界をどう認識するか、「なぜ我々は存在するか、どこに行くのか、死後の世界は?幸福とは、道徳とは、どうすれば秩序ある社会になるのか」など、答えを出すのが難しい問いを扱う。「答えを見つけるにはこうすればいい!」という単純なものではない。だから、「答え」を提供する宗教とはその意味では対極にあるのかもしれない。

しかし、論理的な弁証法を用いると、何と「神は存在する」と論証することができる、と書いてあった。それについては、どうなのか?と思わなくもない。論証方法も、説明を途中端折っているのか、ちょっとこの本の文章だけでは納得できなかった。ちゃんとした論証があるなら読んでみたい。神の在不在にそんなに興味もないのだが…。 



あと、気になったところのまとめ・抜粋。

ヒューム、ニーチェ、サルトルはアイデンティティという概念を否定する三大哲学者。個人のアイデンティティなんてまやかし。それは、東洋の禅思想とかの、『自分なんて、ないから。』の発想と似ている気がする。

トクヴィルの警告 平等主義は他人と同じになりたがる。人は、(自分よりお金持ちかもしれない)隣人と同じ規模の家、同じ給与を求める。そのくせ、隣人と同じように投票権を持っているのに行使しなかったりする。政治における平等、法の下における平等は、格差があっても成立するということを人々は認めようとしない。

なぜ選択はここまで難しいのか? 選択が難しいのは、すべての選択肢を同時に経験することは不可能で、自分が選んだ選択肢に懸けることだから。それで人生が変わる。でも自分もいつも同じではない。その時の自分が良いと思ってした選択でも、あとで後悔するかもしれない。その時の自分は、以前の自分と同じなのだろうか。どちらにしても、後悔するかもしれなくても、それは分からないから今の時点で決める、懸けるしかない。自分の意思など分からない、のに選択しなければならない、そして選択の連続が「私」を作る。

カント 自由意思があるからこそ道徳がある。なぜなら、自由があるからこそ、人間の本性である利己性を押し留め、理性が善だと判断した行為を行うことができるから。であれば、「道徳」とは本質的に「自由」である。

カント 「幸せになろうとするのではなくて、幸せに値する人間になろうとするべきである」 ふ、深い…。



7.03.2026

石垣島のハーブティーいただいた。

すごくおいしかった! レモングラスが効いていて。パッケージも美しい。真似して描きたくなる。




6.28.2026

山王美術館でルノワールを見た。

見てきました。


ちょうど、NHK大人の教養シリーズの本で見ていて、歴史とか、ルノワールの先輩後輩、同輩なども予習していた。ので復習になってよかった。というか実地見学みたいな感じかな。

教科書で文章で学んで、その後実物を見る、的な。

山王美術館は広すぎず、狭すぎずちょうどいい感じ。5階の常設展示からじっくり見ても1時間ちょい。

ルノワール作品は、山王美術館所蔵品を展示しているらしい。

展示作品としては一応各時代をたどれるようになっていた。

ルノワールのパレットには11色の絵の具しかなかったそう! パレットの上ではほとんど絵の具を混ぜず、カンバスの上で混ぜていた、とか豆知識もあり面白かった。

一日の仕事が終わればパレットを綺麗に拭き上げていたので、いつもぴかぴかだったそう。

ルノワールの絵は、とくに後半期、暖色とあたたかさのあるものが多かった。60歳を過ぎて、リウマチで筆を握ることもままならなくても、常に絵を描いて、可憐に咲く花や柔らかみのある人物を描いていた。「絵は楽しいものでなければならない」が信条だったそう。

確かに、暗い絵を描いていると暗い気持ちになるしな…。

油絵は、何層にもぬり重ねて独特のニュアンスを出せる。重厚な表現ができるんだなぁと思いつつ。

(いや、でも色鉛筆でも出来る。私の技術が足りないだけか😂)

油絵は高校の美術の授業でやったけれど、水彩と勝手が違いすぎて困惑した。あと、油のにおいが強かったなぁ。美術室自体のにおいも、古い油のにおいだった。


山王美術館に戻ると、一般的なルノワールの生涯や作風を解説したパネルが多くあった。しかし、その解説に書かれている代表作はそこにないことも多く…。それが少し残念だったな。

「ルノワールは《大水浴図》という作品を完成させ、『今までの人生の中で傑作だ』と自分では言っていたが、サロンでの評判は芳しくなかった」

というパネルがあり。

となると、《大水浴図》の作品が見たくなるじゃない!?

「どこ?どこ?」となっても、無いのでした… 後でウィキペディアを見ました。良き時代だ。

山王美術館にあるルノワール作品はそこまで有名ではないものが多かったので、それだけを解説しても彼の人生を解説したことにならないから、有名な作品は名前だけでも挙げておきたい、というのも分かるのだけど。

「コレクション展」と「企画展」の違いなんだろうか。「企画展」なら、「ルノワールの生涯ーあたたかさと悦びにあふれた幸福の画家ー」のようなテーマがついて、それにふさわしいルノワール作品を各美術館から貸し出してもらうだろう。なるほどー。勉強になりましたわ。

あべのハルカス美術館では今夏に「印象派展」があるらしいので、そこでは印象派の代表作なんかが見れるかもしれない。行って見ようかな。

https://www.aham.jp/exhibition/future/wallraf/

事前に展示作品一覧を見ておくのも大事かもしれない!と思った。

あと、裸婦像が絵のモデルになるって、ルノワールに限ったことではないけど、普通に考えて何かへんだなーとも思った。1900年代までは画業はほぼ男性の専売特許、そして、女性は裸でデッサンされる側、という構図が、ジェンダー学のテーマとなりそうな気がした。

調べたらそういう本も出ていた。特に興味を引かれたのが『フェミニズムとわたしと油絵』/金谷千慧子(明石書店)。読んでみたい。

https://www.akashi.co.jp/book/b633925.html


山王美術館の周りは静かで緑豊かで落ち着いていてとてもいいところでした!









6.25.2026

満開のヤマボウシ「月光」

ヤマボウシの花も満開で、植物園のエントランスにふさわしい出で立ちだった。

品種名は「月光」。確かに…!

またまた、そばを通りがかったおばさま(おばあさま?)が「綺麗ねえ。立派ねえ」と話しかけてくれて、「本当にー!」と会話ができたのでほっこり。

「最初ハナミズキかと思いました」と言ったら、

「あら、ハナミズキはもう終わってるわよ。ヤマボウシはハナミズキか終わったあとに咲くの。咲き終わったらぼんぼりをつけるのよ」と教えてくれた。

ぼんぼり??

と思ったけど、ちょうど、この木の隣に一足先に開花を終えた木もあって、花の中央部分だけが残っていてぼんぼりのようになっていた。なるほどー!


緑と白のコントラストよ。


花が散ってぼんぼりが残る。(後述するけれどこれは実際には花びらではなくがくが変化したもの)


これを間近で見るとちょいグロかったので、引きで。

というか、これはほんとに花弁かな? ガクアジサイみたいに、花びらに見えるがくじゃないか…?と思って調べたらやっぱりそうだった。中央部分が本当の花みたいですな。しかし集合体恐怖症には大変気持ち悪い写真が出てくる…!ので要注意でふ…。(えっ、この写真平気な人いるの??びっくり… 何枚も出してて、しかも編集までしてるから凝視してるよね?私には無理だーー!となりました)