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7.12.2026

『御所ことば』/井之口有一・堀井令以知

御所言葉を解説した本も府立図書館にあったので読んでみた…

御所に仕えたかつての女官さんたちにインタビューの書き起こしは「アラシャいまして」などとなぜかカタカナ混じりで謎が深まった…

上品な言葉遣いだった。

明治天皇のドキュメンタリー映画が後世になって作られたが、それについて、元女官さんたちは、「天皇が一人でお庭に出る、まして御所の外にいる一般人に話しかけるなんて絶対にない。でもそれがドラマなのでしょうね」みたいなことを言っていた。やっぱりそうなんだろうなーー映画に演出はつきものである…。

御所ことばのうち、しゃもじとか、白湯(さゆ)とか、現代の日本語になっているものもあり面白い。

京都、やはり奥が深い…。




7.10.2026

『フェミニズムとわたしと油絵』/金谷千慧子

ルノワール展に行って、なぜに裸婦がモチーフとして成立するのか?という疑問から読んでみた本。

著者は女性の地位向上のためのNPOとか立ち上げていて、全国を飛び回り、その活動に生涯をささげた。で、定年退職後に趣味の油絵を再開したが、モデルさんが裸婦であることに違和感を覚える。教室でデッサンの時間があり、裸婦のモデルが出るが、講評が終わるやいなや、服を着た絵に描き変えていた。

「裸婦が油絵のモチーフになくてはならないのはなぜか。なぜ男性の裸はめったになく、女性しかないのか。」という疑問から、いろいろと調べ学習をなさり、その成果をまとめている。

油絵の歴史は古いので、必然的に歴史をさかのぼって検討していくことになるのだが、中世時代のハーレムがどういう場所だったかなどは嫌悪感を催す内容だった。その他にも目を覆いたくなるというか、憤懣やるかたない気持ちになる歴史的事実もあった。人間の欲望とは。人間も結局動物なんだなと情けなくなった。

著者の結論がなんとも小気味よかった。「つい最近まで男性社会だった絵画の世界で、男性は描く側、絵を購入する側で、女性は描かれる側、見られる側だった。どんなに『美を追求するため』とか取り繕って言っても、結局男性の『女性の裸を見たい、描きたい』という欲求を満たすためだったのだ」。反発も覚悟で、ここまではっきりと言える著者に拍手を送りたい。

実際その通りだったんだろうと思う。女性よりも男性のほうが権力を持っていて、不平等な社会で、その中で発展していった西洋絵画。そう思うと西洋絵画も複雑な気持ちで眺めてしまう。女性の裸を見て、特に美しいとか感じない。なんで裸なんだろうと思う。これが写真だったら大問題なのに。

西洋絵画は子供のころから美術の授業などで扱っていて、普通に接していたので、裸婦だけがモデルとなっていることに今まで特段気を留めなかった。慣れって怖いな。今回その慣れをいったん遠ざけ、客観的に、ジェンダー論的観点から西洋絵画を眺めることができて良かったなと思う。





 

『フランスの高校生が学んでいる哲学の教科書』/シャルル・ぺパン

とても面白かった。フランスの高校生向けの解説本のような位置づけだと思う。それの翻訳版。高校生でもわかるように書かれているし、素朴な疑問のQ&Aがあって面白い。

もっと面白かったのは、この本を読んでるんだ、と書き物会の友達に見せたらみんな興味津々だったし、「私も最近ショーペンハウアーの幸福論の本を買って読んでる」とか、「こないだ哲学について語るイベントに行ったけど、マシンガントークする人がいて参った。『欧米では自分の意見をいかに押し通すかに重点が置かれている』とその人は言っていたけど、本当かな?と思った」など、語ることがあったので非常に盛り上がった。

哲学はこの世界をどう認識するか、「なぜ我々は存在するか、何を目指すのか、死後の世界は? 幸福とは、道徳とは。どうすれば秩序ある社会になるのか」など、答えを出すのが難しい問いを扱う。「答えを見つけるにはこうすればいい!」という単純なものではない。だから、「答え」を提供する宗教とはその意味では対極にあるのかもしれない。

しかし、論理的な弁証法を用いると、何と「神は存在する」と論証することができる、と書いてあった。それについては、どうなのか?と思わなくもない。論証方法も、説明を途中端折っているのか、ちょっとこの本の文章だけでは納得できなかった。ちゃんとした論証があるなら読んでみたい。神の在不在にそんなに興味もないのだが…。 



あと、気になったところのまとめ・抜粋。

ヒューム、ニーチェ、サルトルはアイデンティティという概念を否定する三大哲学者。個人のアイデンティティなんてまやかし。それは、東洋の禅思想とかの、『自分なんて、ないから。』の発想と似ている気がする。

トクヴィルの警告 平等主義は他人と同じになりたがる。人は、(自分よりお金持ちかもしれない)隣人と同じ規模の家、同じ給与を求める。そのくせ、隣人と同じように投票権を持っているのに行使しなかったりする。政治における平等、法の下における平等は、格差があっても成立するということを人々は認めようとしない。

なぜ選択はここまで難しいのか? 選択が難しいのは、すべての選択肢を同時に経験することは不可能で、自分が選んだ選択肢に懸けることだから。それで人生が変わる。でも自分もいつも同じではない。その時の自分が良いと思ってした選択でも、あとで後悔するかもしれない。その時の自分は、以前の自分と同じなのだろうか。どちらにしても、後悔するかもしれなくても、それは分からないから今の時点で決める、懸けるしかない。自分の意思など分からない、のに選択しなければならない、そして選択の連続が「私」を作る。

フロイト「文明は我々に罪悪感を持たせて不幸にした」…… 怒りや攻撃衝動は文明社会ではタブーとされる。しかし人間の本能的衝動として生じるそれらは、表出されることを望む。こうして行き場の無い攻撃衝動は自分へ向けられ、人は罪悪感を覚える、とフロイトは考えた。「人間が、自分の犯した罪だけでなく、『悪事をしたい』と思ってしまったことについても罪悪感を覚える」ことについて指摘したことは大きい、のだそう。


カント 自由意思があるからこそ道徳がある。なぜなら、自由があるからこそ、人間の本性である利己性を押し留め、理性が善だと判断した行為を行うことができるから。であれば、「道徳」とは本質的に「自由」である。

カント 「幸せになろうとするのではなくて、幸せに値する人間になろうとするべきである」 ふ、深い…。



4.23.2026

『そばもん』/山本おさむにハマっている…!

風邪から回復して元気になってうれしいーー!

認識しているはずだが、無くして一層わかる健康のありがたみ。

起きている(座っている)体力もないので寝てて、本を読んでいたのだが…

こういう時、スマホは目が疲れるから、紙の本がありがたい。

図書館で借りている

『そばもん』/山本おさむ 

にハマっている。

主人公の矢代稜。9巻には親戚の子エリカちゃんも。

江戸そば職人の矢代稜が、東京や全国各地を旅しながら困っている蕎麦屋さんを助けたり、そば会を開いたりする。その地域での個性豊かな人々との出会いとともに、そば作り、汁作りまで詳細に解説してくれて、そばにすごく詳しくなれる! 

  • 「そばの3たて」…挽きたて、打ちたて、茹でたて のそば。そりゃもう最強においしいでしょう😋
  • かけそばは汁を濃く作る。盛りそばは普通の濃さ。汁そばは汁を飲むことを考えて薄めに。
  • うまみはグルタミン酸とイノシン酸が出会うことで出る。鰹節はイノシン酸があるがグルタミン酸はない。醤油、昆布はその逆。関東では鰹節と醤油で汁を作るが、関西では昆布と鰹節少々、薄口しょうゆ。だから関東・関西で出汁の味が違うしそば汁の味も違う。

そういえば母が、「若い時(30~40年前)初めて東京に行ったら、そばの汁が口に合わなくて衝撃だったわ~」と言っていた。西日本の出汁の味に慣れていたら、醤油の濃い関東の出汁にはびっくりだろう。逆に、毛利小五郎が大阪に行ったときうどんをすすって、「味がせん…」と言っていた。(漫画だけど笑)

そばって、食文化って、奥深いなーー。

いやきっと、こういう奥深い世界が各食べ物、各分野にあるんだろうな。

全然知らなかったことが見えてくると、日常生活がとても面白くなる。全ジャンルでこういう漫画描いてほしい。

矢代稜は見た目は両津勘吉に似ているが(二人とも「りょうちゃん」と呼ばれているし)、性格はだいぶ違っていて…。仕事はできるしきっぷがいい。ビシッと言うときは言うが情に厚い。という。

で、こういう人は女性が放っておかないわけだが、この漫画に恋愛要素が一切ないのもすごく読みやすい理由で。私が読んだ9巻まででも、矢代稜に惚れる女性は何人かいたが、そういう人のアプローチや色気攻撃には、困ったようにそそくさと逃げる稜ちゃんであった。

矢代稜は恋愛話に限らず、どんな話を聞いても何が起こっても冷静で、「私だったら感情的にすごく反応してしまうだろうな」と思う所でもひたすら顔を向けて話を聞いていたりその場にいたりする。そういう反応もありなんだよな、と思った。

毎回登場人物が違うので、矢代稜に惚れた人が彼をしつこく追いかけることもないし… なんというか、そばのことを語るのが主な目的、となっている漫画なので読みやすい。恋愛要素があると、怒ったり困ったり悲しんだりする人が出たりするし、そばのことそっちのけになっちゃいかねないしな…。

思えば自分、共感を重視するあまり、ちょっと大げさに感情的に反応したり返答したりしていたところもあったかもなー。と自分を振り返る機会にもなった。冷静に冷静に。一歩引いて、自分も含めた丸ごとのこのシーンを観察する、という俯瞰視点があると、自分の感情にも、他人の感情にも巻き込まれないで済むのではないかと思った。

しかし女性も登場させて人口バランスを取るのはさすがというべきか、矢代稜の親戚の子、「エリカ」はちょくちょく登場する。高校を中退してそば屋でアルバイトを始めた子で、ブログをしてみたり稜ちゃんに質問したりおごらせたり(笑)して、話に幅を持たせている。

面白いー。続きを読むのが楽しみです!!


2.28.2026

『アウトプット大全』樺沢紫苑

まあ普通に普通のことが書かれてあった。ただ読むだけじゃなくて、アウトプット(書き出す、説明する)などしないと身につかないもんな。すでに実行しているものがあったのでよしよし!となった。




2.26.2026

『愛するということ』エーリッヒ・フロム


改めて読んでみた。
薄い本だけど長い…もっと削れる気がする(と校正魂が顔を出す)。しかし、資本主義と対比して書かれているのは鋭い視点だし現代にも十分すぎるくらいに通ずるものがある。
 

時間のない人は、最初の章「愛は技術か」と最後の章「愛の修練」だけ読めば事足りるような気もする。その間の章は、フロムの独り言だなーーと思わんでもない。母性、父性が二律背反のように語られていたり、同性愛が病気と語られていたり、「それは受け入れられないな」と思う箇所もある。

フロイトが、すべての行動動機は性欲に結びついている、と考えたことに対して否定したのはお見事というか、違う考え方ができてきてよかった、というか。

時代的・文化的な背景として、「神への愛」がページを割いて語られているのは興味深い。が、同感できるか、自分に関係ある物事として捉えられるかといえば全然なので、この時代自体にさほど興味無ければ寄り道なのかもしれない。

最初の章「愛は技術か」

愛は技術である。なぜなら愛することは自然発生的に生じるものでも、落ちるものでもなくて、自分の意思で能動的に行うものだから。

自分を愛せない人は他者をも愛せない。
ある特定の人だけ愛する、あとの人は愛さない、なんていうこともできない。
愛は全ての対象に向けられるものだからだ。


愛は技術だが、現代(当時も現在も)ではそう思われていない。それには3つの誤解がある。

1.「愛すること」ではなくて「愛されること」の方に主眼を置いている。だから相手に気に入られるように収入を上げたり自分を磨いたりする。
2.愛の問題は「対象」の問題であって「能力」の問題ではないという思い込み。中世では取り決めやしきたりで結婚してから愛が生まれるものと考えられていた。現在は、「愛することは簡単で、その人を愛したいと思えるような人に巡り合うのが難しい」となっている。市場原理に基づき、現代では、自分の能力、年収、将来性、容姿などがひっくるめてパッケージとなり、それを「等価交換」してくれる相手を探す(まさに婚活の「スペック」などその例だ)、生活に根付くその市場原理が愛情関係にも現れている。
3.恋に「落ちる」という最初の体験と「愛する人とともに生きる」という持続的な状態が混同されている。

「愛は人間にとって必要で、孤立の不安から逃れる唯一の方法と言ってもいいのに、現代人はなぜか「愛よりも重要なことはほかにたくさんある」と考えている。成功、名誉、富、権力、これらを達成するためにエネルギーを遣い、愛の修練のための時間もエネルギーも残っていない。「愛は心に『しか』利益を与えてくれず、資本主義社会的な意味での利益はもたらしてくれない」と考えている。」

というのは耳が痛かったな。。。

西洋の近代化(日本でも同じ事が起こっているが)により、あらゆるものが商品になった。人は自分の技能、知力、時間を総合パッケージにして売り出し、賃金と交換するようになった。つまり人間でさえ商品になった。しかし人間をその価値により交換可能な商品としてみなすかぎり本当の愛にはたどりつけない。というようなことが書いてあったのはうなずいた。

また近代化で労働者が生まれたことに関連して、「一日8時間自分のためではない組織の目標に向かって、自分のやり方ではないやり方で仕事をする反動で、人は仕事以外の時間では自分を甘やかそうとする。怠けていたいという言い方がきつければ、「リラックスしたい」でもいい。それは時間も成果も場所もきっちり決められた行動に対しての、反動である」というのも同意である。

本当に仕事は「会社のため」とか言われても自分には響かないし、決まった時間に締め切りに追われながらいろんなことを集中してこなしていかなければならないストレスは大きい。

最後の章「愛の修練」

愛は技術だから学ぶべし、修練すべし、というのがこの本の最終章の論で、修練に必要なのは規律、集中、忍耐、最大の関心である。

規律は疲れていようがやる気がなかろうが同じことをするということ。

集中にはいろいろな面があり、相手の話をよく聞く。相手から逃げずにそばにいる、相手に対して敏感になる、自分自身に対しても敏感になる。

しかし現代社会の仕組み上、規律、集中、忍耐、関心を揺さぶり誘惑するものに満ちている。というのがフロムの指摘。

ただ、技術向上に最大の関心を持てば、規律は自分の意思の表現となり、やることが楽しいと感じ、ついにはやめると物足りなくなる。その展望は勇気づけられる内容だ。



客観的に物事を見るためには理性が必要である。理性を働かせるためには感情面での謙虚さが必要(ナルシシズムの逆)。ナルシシズムとは自分の見方が全て、自分が(色眼鏡を通して)見ている世界が本物の世界だと思い込むこと。

「理にかなった信念」=「根拠のあるヴィジョン」 生産的な分析と思考に基づいた、他のいっさいから独立した確信。科学者がデータを十分にあつめて吟味してその上でたてた仮説。確信。自分の経験や、観察力、判断力、思考力に対する自信に根ざしている。

対して「根拠のない信念」は多数の人々がそう思っているから、とか、道理に適わぬ権威への服従である。

愛の修練に必要なのは「信じる」ことで、他者の核となる部分が「信頼に値する」と信じること。

また、自分自身も信じること。自分が自分であること、自分の感情や意見が多少変わろうとも変化しない芯のようなものがあるという確信が、自分を「信じる」ことにつながる。これがないと他人依存になってしまう。

信念を持つには勇気がいる。勇気とは危険を冒す覚悟のことで、痛みや失望を受け入れる覚悟である。

困難な場面に直面したとき、「自分には起こるはずのない不公平な罰だ」と考えずに、自分に課せられた試練だとして受け止め、これを乗り越えればもっと強くなれると考えるにも、勇気と信念がいる。他の人たちがなんと言おうとも。

「人を愛するということは、何の保証もなしに行動を起こすことである。こちらが愛せばきっと相手の心にも愛が生まれるだろうという希望に全身を委ねることである」

た、確かに……。まだその段階にない人(心のなかに芽生えるかもしれない愛を認識し返すことができない人)もたくさんいるかと思うので、現実的に考えると「人選」が非常に大事な気はするが…。その思考自体が、「最初の章で紹介されていた誤解2.愛の問題は「対象」の問題であって「能力」の問題ではないという思い込み」なんだろうけれど…。

愛の修練に関して大切なのは「能動性」である。自分から行動を起こすこと。

「公平さ」は資本主義社会が倫理に与えたもっとも大きな影響だった。資本主義社会以前は、者の交換は、権力、伝統、愛、友情にもとづいていた。(それはつまり、権力者による民衆の搾取という形も含むと思うのだが。。。)それに対し資本主義社会では「市場のルールに則った等価交換」、「あなたがくれる分だけ私もあげる」。

愛は必ずしもそういうことではない。愛は相手に責任を感じ、相手と一体であると感じること。公平さは、相手と隔絶しており、責任も一体感も感じていない(愛と公平の違い)。

現代社会は大企業の経営者と職業的政治家によって運営されている。ひとびとは生産し消費するためだけに生きていて、自分の中にある極めて人間的な資質や社会的役割に対する究極的な関心を持っていない。資本主義と愛は両立しない。したがって、人間はほんとうは愛したいと思っているならば、社会の仕組みと合致していない。よって愛が社会的な現象になるためには社会構造が変わらなければならない(『正気の社会』において詳しく論じられている)。しかし資本主義社会も複雑で、非同調や個人の裁量を許容していることも確かである。愛こそが、いかに生きるべきかという問題に対する唯一の理にかなった応えである。

と締めくくられている。頷くことの多かった書でした。







1.05.2026

地球の歩き方&ムーコラボ 『異世界の歩き方』

「◯◯が『ムー』に載ってたわ」
「ムーって何?」
「ムー知らないの??? 超常現象とかスピリチュアルとかをガチで解説してる本だよ」
「へえ……」
「僕もってますよ。貸しましょうか?」
というやり取りから借りた、ムー✕地球の歩き方コラボ。

わりと普通な地球の歩き方(観光地、史跡、名所解説)だったけど、幽霊の出るホテルとか、古城とか、セドナというワイオミングのまさに荒涼とした middle of nowhere の地にあるスピ系の岩場の場所とか、ストーンヘンジ、ウルルとか、全世界にわたってミステリースポットを解説していた。なかなかおもしろかったな。。  

怨念とかやっぱり存在するのかも知れないな、とか思った。多くの人々が虐殺されたり、不条理に命を奪われた人がいた場所は、幽霊の目撃情報の数が尋常じゃなく、これらの通報のすべてが見間違いや気のせい、愉快犯だとは考えにくい……。未練や恨みがこの世に残っているなんてこともありうるかもしれない。

それにしても、古代に比べたら、まだ人間の倫理観は向上したのかもしれない。処刑に見物人が集まってたとか、血なまぐさい決闘が見世物になって、観客が熱狂していたなんて考えただけでもゾッとする。集団心理もあるかもしれない。それに比べたら現代はまだ「倫理」「道徳」「人道」「人権」という概念があるだけマシな気がする。守られているかはべつとして…。

人類はまだまだVer1.0、発展途上なんだろうな。




1.04.2026

『嫌われる勇気』/岸見一郎 古賀史健

ベストセラー、『幸せになる勇気』の前に出ていた第一冊目。知らずに『幸せになる勇気』から読んだけど、この度ついに『嫌われる勇気』も読んでみた!



ベストセラー、『幸せになる勇気』の前に出ていた第一冊目。知らずに『幸せになる勇気』から読んだけど、この度ついに『嫌われる勇気』も読んでみた!

『嫌われる勇気』は、他者の期待に応えることなど考えずに自由に生きて、やりたいことをやる、というような内容。人間関係の悩みがあり人生がしんどい人に、どうやってそれを脱却するか、つまりどうやってマイナスをゼロにするか、を説く本。

それに対して、『幸せになる勇気』は、どうやってそれから愛と交友の関係を築き、幸せな人生にしていくか。つまり、どうやってゼロをプラスにしていくか、が書かれている、と書評か何かで読んだ気がする。

哲人と青年の対話形式で話は進んでいくが、今回は、この青年にあまり感情移入できなかったな。別にそれは問題ではないのだが。そういう人もいるだろうな、また、そういう考えとか思いを持っていたらそりゃあ人生つらいだろうな、と冷静に見れたりした。

青年は、アドラー心理学を研究する哲人にいわば挑戦状を叩きつけ、「承認欲求は人間本来のものだ!」とか、「誰しもすごいことを成し遂げたいものだ」「ではこの凡庸な人生を肯定しろと?」とか、血気盛んで、かつ自分のやりたいことが見えてない、焦りばかりが募る若者っぽさが出ている。ので今回は、こんな尊大な態度で反論してくる若者に、根気よく冷静に反論するってよくできるよな、哲人…、と思ったり。

閑話休題。

哲人も言ってたけど、「この人といい関係を築きたい」と思うのは自分の自由意志である。学校でも会社でも、いい関係を築きたくない、そこまで努力する価値は無いと判断できれば、身を引けばいい。それは自分の課題。

「怒り」と権力争い

社会的な問題に憤りを覚えることは「公憤」、論理的で長く続く。一方、私的な怒り(「私憤」)はすぐに冷める。

怒ってはいけない、ではなく、「怒りという道具に頼る必要が無い」。怒りはコミュニケーションの一形態である。かつ、怒りを使わずにコミュニケーションを取ることは可能。

本気で腹が立つようなことを相手がしてきたら、相手の目的は「権力争い、闘うことそのもの。勝って、自分の力を証明したい。」もし相手が権力争いをしてきたと感じたら、絶対に乗ってはいけない。なぜかというと、もし相手を言い負かしたら、相手は報復行動に出る(復讐)。アドラー的な目的論は、言動の裏にある相手の目的を考える。
・親から虐げられた子供が不登校、非行、自傷に走る。→親を心配させ、悲しませるという復讐が目的。

人は、「自分は正しい、相手が間違っている」と思った瞬間、権力争いに足を踏み入れている。自分の意見が正しいと思うのならそこで完結すべき話。ただ、多くの人は他者を屈服させようとする。だからこそ、「自分の誤りを認めること」を「負けを認めること」と考えてしまう。相手が権力争いを挑んできたら、いち早く争いから降りる。リアクションを返さない。

共同体で他者と、横の関係を築く。

アドラーが説く理想は、「共同体感覚」。社会や国だけでなく、動物や植物まで含めた、宇宙全体が調和して一体となって存在している、という究極の理想の世界。

個人が所属感を感じ、「わたしには能力がある」、「他者はわたしの味方である」と思えて、自立し、かつ社会と調和して生きられる、そんな世界。

そのためには尊重が大事。尊重は横の関係。評価や上下関係は縦の関係。「同じではないけれど対等」という態度で全ての人と接する。社長から赤ん坊まで。それは所属感にも繋がる。

褒めてはいけない、叱ってもいけない。ただ、貢献に関してありがとう、感謝、尊敬を述べる。それが勇気づけ。

アメリカで、若い上司や女性の上司が当たり前なのとか、スーパーのレジ打ちの人や大学の清掃員の方々まで、職責は違えど、対等な個人同士、という意味では同じだと感じたことを思い出した。

「いま、ここ、を真剣に生きず、過去と未来にぼんやりと光を当てて何となく分かった気になっているのは、人生最大の嘘です。」

青年「それでも、人生で何をやったらいいか分からないのです!」→哲人「それは、自分の人生の舵を取り戻したからこそ出る悩み。大いに悩み考えよ。親が決めたレールに乗っていれば、不満は出るが、楽ではある。不安もない。不満か不安かを天秤にかけ、今まであなたは不満を選んでいたのです。」

アドラーの言う人生の導きの星は、「他者貢献」。自由に生き、嫌われる人には嫌われる。でも他者貢献という星を道しるべにしていれば幸福になる、仲間とともに。

幸福への3要素:他者貢献、他者信頼、自己受容。

他者貢献=他者に貢献している、という主観的な感覚さえあればいい。ただ存在すること、無事であること、それだけでも貢献になる。行為だけではなく。(承認してもらうために何かの行為をするのは自己犠牲。)
他者信頼=相手を信頼して、心を寄せる。
自己受容=特別でないことを認める勇気ともつながる。そのままの自分を受け入れる。

はそれぞれ繋がっている。これができたから次はこれ、というステップではなく、それぞれが円環のように繋がっていて、一つがその他に繋がる。

他者信頼は、他者を仲間だとみなすこと。信頼の反対は懐疑。懐疑しだすと、その証左になるのではと思われるようなものばかりが目につくようになる。「あなたは、裏切られた時のことばかり心配している。相手が、『あなたに疑われている』と察知した時、あなたと親密な関係を築こうと思うでしょうか? こちらから信じるしか無い。結果がどうなるかなんて、今考えることはできないのです。もし裏切られたり傷ついたりして悲しい時は、思い切り悲しめばいいのです」

「共同体感覚」を得るために必要な、人生のタスク

仕事のタスク

仕事にまつわる対人関係を避けたいがために働こうとしない人々… 何社も履歴書を送って不採用となる、自尊心を傷つけられる。大きな失敗をして、会社に巨額の損失を出してしまう。眼の前が真っ暗になって、明日から会社に行くのも嫌になる。これらは、仕事そのものが嫌になったのではなく、仕事を通じて他者から批判され、叱責されること、お前には能力がないのだと無能の烙印を押されること、かけがえのない「わたし」の尊厳を傷つけられるのが怖いから。
他者を敵だと思っている。

交友のタスク

友人の数は人数ではない。距離と、関係の深さ。

愛のタスク

愛とは、相手の幸せを素直に祝福できること。「この人といると、とても自由に振る舞える」と感じた時、人は愛を実感する。劣等感を抱くでもなく、優越性を誇示する必要にも駆られず、平穏な、極めて自然な状態でいられる。

そのためにはまず、お互いを対等な人格として扱わなければならない。

口実をつけてタスクを回避するのは、「勇気」をくじかれているから。

Aさんのことを嫌っているあなたは、Aさんとの対人関係を回避したい(目的)から、Aさんの欠点を探している。
→でも、相手がひどいことをする人だったら、関係を切るのも自分の課題だし、選択肢である。

さまざまな口実を設けて重要な人生のタスクを回避しようとする状態=「人生の嘘」。
「世界は敵で満ちていると決め、対人関係を回避する、向き合わない」と決めたのはあなた自身。

でも、アドラーはそういう人たちのことを善悪や道徳で糾弾しているわけではない。人生の嘘をついている人たちは、「悪人」ではない。ただ、勇気が足りないのだと言う。

自由とは、嫌われることを恐れないこと。
嫌われるリスクを取ってしか、自由になれない。
「これだけしてあげているのだから、自分のことを好きになるべきだ」も、見返り的な発想。
嫌われろ、悪行を働けと言っているのではない。あなたのことを嫌うか嫌わないかは相手の課題なのだから、あなたは、自分が最善であると思う選択をする。それだけ。

「ゴルディオスの結び目」を断て。

ペルシア領のリュディアにアレクサンドロス大王が遠征した時、神殿に戦車が祀られ、結びつけられていた。かつての王ゴルディオスがその戦車を結びつけたもので、「この結び目を解いた者がアジアの王になる」という伝説があった。腕に覚えのある多くの者どもが挑戦したが誰にも解けなかった。さて、アレクサンドロス大王はどうしたか。なんと、結び目が固いと見るや、短刀で一刀両断に断ち切ってしまった。「運命とは、伝説によってもたらされるものではなく、自らの剣で切り開くものである」と語った。それから、アレクサンドロスは中東から西アジアの全域までも支配する王になった。

「ゴルディオスの結び目」の逸話のように、アドラー心理学は、常識への強烈なアンチテーゼ。


けっこう、私も人間関係が面倒くさいと思っている節があるのだろう。なぜ面倒くさいのかというと、傷つくのが怖いからだろう。「そんな真剣なこと言って、何言ってんの?」って、言われるのが嫌なんだろう。それで不快な思いをしてまで、分かり合えない人と分かり合おうと思ってはいない。そこは、肯定的なあきらめというべきか。自分のコントロールできないことを明らかにして、手放す、のような。
目標としては、
・怒りや悲しみといった自分の感情や考えを理路整然と説明できるようになる。
・相手が聞いてくれると信じること、受け止められないかも知れないと分かったうえで感情的リスクを取る。
・そうしたいと思える相手を見極める。
・相手が聞いてどうするかは、相手の課題。(課題の分離)
かなーと思った。


前回の『幸せになる勇気』の記事はこちら。



12.31.2025

2025年読書記録 Reading record in 2025

Books I read in 2025!! This year I tried to and read books in unfamiliar fields in addition to books that I like. Think they helped broaden my mind a bit.. I am super thankful for public libraries. They're a blessing. 今年は、普段手に取らないような新ジャンルも含めてたくさん読むことを目標に…実りある読書でした。図書館ありがた〜い📖








12.15.2025

『つい他人と比べてしまうあなたが嫉妬心とうまく付き合う本』/根本裕幸



根本さんの本を全巻読破しよう!のコーナー。

今の自分には、嫉妬心はあまり無いと思うけど、昔はすごく留学したくて、留学・海外勤務している友人たちが本当に羨ましかった。彼らのキラキラしたSNSを見たくないと思ったこともあった。そんなことを思い出した。「私も留学したい…けど、だって…、どうせ…」と、素直に認められなかったし、無力感、敗北感を強く感じていた気がする。そんな時のことを思い出しながら読みました。

嫉妬する相手と対象は別。だから、嫉妬を感じたくないあまりにその人と距離をとっても、また同じ嫉妬の対象を持つ人が人生に現れる。

嫉妬する対象は、自分が本当は欲しいと思っているもの・本当は手に入ると理解しているもの。

嫉妬は、「うらやましい」+「ネガティブ感情」。

ネガティブ感情:無価値感、無力感、劣等感、罪悪感、怒り、嫌悪感、不安、恐れ(抵抗)、不信感、競争心、独占欲。←これらに向き合うことが本質。

ネガティブ感情への向き合い方
覚悟と根気が必要。時間がかかるかもしれない。できることからでOK。
1️⃣ 自分で自分を認めてあげる。
● 他の人の魅力的だなと思う所を挙げる。それは自分の魅力であることも多い。自分の魅力や価値を、自分で認めてあげよう。
● 誰かのために頑張った自分を、まずは自分で認めてあげよう。
2️⃣ 愛されている!と実感する。
● 他の人に、してもらったことを書き出す。
● 両親が自分を愛してくれた証拠を探す。
3️⃣ 自分の感情に責任を持つ。
● 「嫉妬を覚えるのはこの人のせいだ。環境が悪かったからだ。親が悪かったからだ」と他責にするだけではなくて、自分の感情として、自分で処理する。
● お恨み帳(怒り、恨みつらみを書き殴る、誰にも見せない吐き出し帳)を書く。
● 投函しない感謝の手紙を書く。

嫉妬する自分を認めてパワーに変える3ステップ🐾
1️⃣ 私は「何に」嫉妬しているのだろう? →そこから「本当に欲しいもの」が見えてくる
2️⃣ 「私は、◯◯が欲しい」と言葉にする。口に出す。その時、惨めさや無価値感、自己嫌悪が出てくるかもしれない。それも感じて、吐き出す。「◯◯が欲しい」と素直に認められると、心は落ち着く。
3️⃣「私は、◯◯を手に入れられる」と口に出す。魅力なら、「私にも、◯◯という魅力がある」など。手に入れられる、と思い込めれば、そこから言動が変わる。行動が変わる。世界が変わる。

嫉妬に振り回されずに自分を保つ3つの手法
⭐️自分軸を持つ。「人は人、自分は自分」
⭐️自分をそのまま肯定する。「嫉妬しちゃうよね、しょうがない!」
⭐️自分を、大切な友人のように扱う。鏡のイメージワーク:ただ、鏡に映った自分に「OK」を出して、抱きしめてあげる。


すると、「もっと自分らしく生きたい」という思いが生まれてくる。
  • 自分は本当は何が好きなんだろう。
  • 自分にとって「自然体」とは何だろう。
  • 自分の魂が喜ぶ生き方って、どんなだろう。
そこで、自分の思いに正直に行動できるようになり、他人の言動が気にならなくなる。


*       *       *

確かに確かに、と思いながら読みました。
自分が欲しいものを素直に認めるだけで心が落ち着くっていうの、不思議だなーー。自分に嘘をつく(本当は欲しいけど、欲しくないと思い込む、認めない)っていうのがいかに心の健康に良くないかを示している気がする…。




9.23.2025

『どうして男はそうなんだろうか』会議/澁谷知美 清田隆之



暴力性とか、競争心とか、プライドとか、プレッシャーとか、見栄とか。

「オチのない話を延々とできる女性がうらやましい。男性の中では、オチをつけて笑わせるか、武勇伝にして称賛を得るか、アドバイスして尊敬を得るか、そのどれかをしないといけない。そういうプレッシャーがある」とインタビューされたある男性が言ってた。

見ず知らずの男に恐喝されそうになって拒んだら暴行を受け、何針も縫う大けがをしたという事件に遭った男性でも、男どうしだと、面白おかしく自虐ネタにしたりしていたそうでびっくりした…。。なんというかいたわり合いとか気にかけ合うとかそういうのないのかしら?

女性と比較したら腕力は「強い」んだろうけど、文明社会では、腕力が直接ステータスに繋がったり有利に働くことはない。社会性、倫理観、理性とかのほうがよっぽど大事だ。

でも、男性は、少なくともまだ、弱さを見せられない社会に生きている(と感じている)らしい…。



9.09.2025

『まんがでわかる妻のこと』/根本裕幸 監修 ポンプラボ シナリオ・文 松岡リキ 作画

カウンセラー根本裕幸さんの本を全冊読破したい衝動に駆られている最近です。

主人公が最初は妻におんぶにだっこで仕事から帰ってきても何もせず、妻の文句もスルーで全然自分の行動を顧みないストーリーだったのでムカムカしてきて、これは心穏やかに読めないなと思って一回閉じたのだが…。

ほとぼりを冷ましてからもう一回開いてみた。
多分、夫婦仲の良い同僚とかにダメ出しされて行動改善するんだろうな、オチ的に、と思ったので。



オチは予想通りで。それにしても、仲直りの際も言葉が足りてない気がしたけど…。

ともかくも、この本のメッセージとしては以下のような感じかな。
  • 夫の妻に対する甘え(他人事気分、話を右から左へスルー、問題に気づかないフリ、など)は、「甘え」と言えば聞こえのいい言葉だけど、その実は「妻のことを自分と同等と見ていない・軽く見ている・なめている・重要視していない」ということ。
    • 大問題だと思う。
    • 漫画でもグラグラ来るくらいに腹立たしい。
    • そんなふうになめられた状態に甘んじている人ってなんでなんだろう。
    • きっと、両親の姿とかを見て、「これが普通」と思い込んでしまっている人も多いのではないか…。
  • コミュニケーションの大切さ。言い難いことほど。
    • 「いつかわかってくれるだろう」「時が来たら変わってくれるだろう」では、伝わるはずもない。
    • 不満を我慢すると、それは相手にとっては無かったことになる。
    • 意思疎通、コミュニケーションの大切さが書かれていた。
    • 考えや感情を言語化して伝える力
    • 口を挟まずに聞く力
    • 両方が必要!!
    • これだけでけっこうな割合の問題が解決するのではないか、というくらい…。
  • 相手の話をよく聞くこと。
    • 聞くのは、相手の思い、考えを理解するため。
    • 相手が話したいと思っていることを聞く。
    • 怒っているのだったら、怒りたくて怒っているのだから、怒りたい気持ちを受け止める。
    • 「まあまあ落ち着いて」は、相手の感情を否定・拒否していることになる。それでは相手の気持ちを受け止めたことにならない。
    • 「自分に何ができる?」と聞く。
    • そして、言われたことを実行するよう努力する。
  • 我慢しすぎていつかバクハツ→熟年離婚、が最近多い。でも、突然言われた方も寝耳に水で。「何も問題ないと思っていたのに…」。
    • まずは言ってみよう。伝えてみよう。
    • 相手に気を遣いすぎて言えないというのは、耳の痛い話だった…。
    • 伝えたいことを相手が受け入れるかは、相手の課題。自分の課題ではない。
    • 相手が聞く耳を持たないなら、その時は自分の身の振り方を考えよう。という話。
  • パートナーシップとは、自分の成育歴(母親が全部やってくれていた、など)はベースにあるとしても、想像力を駆使して、二人の居心地いいところを探そう、作り上げようと努力すること。おんぶにだっこでは、パートナーを親の代わりにしているだけ。
    • お互いに考えを言い合って、できるだけ二人とも納得できるような形にしようと頭をひねる中で、一人では思いつかなかったような抜け道のような解決策が生まれる。それは人間関係の醍醐味でもある。
  • 「こうするべき」「こうあるべき」の「べきおばけ」
    • SNSに見られるキラキラした世界、「一億総中流」、世間、対面、隣の芝生…などから、「こうするべき」「こうあるべき」という考えに縛られて苦しくなる。
    • 本来、自分軸があれば気にせずにいられるもの。「うちはうち、よそはよそ」。
  • 自立は、自分の力で生きていくことだが、全て自分一人でやることではない。頼るべき時に頼れる人がいてこそ成り立つ。頼れる相手が誰もいない状態は孤立。「おかげさま」、「おたがいさま」の心で人と繋がろう。

気を遣いすぎて言いたいことが言えない、っていうのはつまり、
それだけ相手のことを気にかけている、愛している、ということ。

自分の中にあるそんな大きな愛に気づきつつ、
自己犠牲ではなくて、相手も自分も幸せになれる道を探していく。
それを自分に許可する。
ってことをやっていきたいですねー。





7.31.2025

『音楽力が高まる17の「なに?」』/大嶋義実

音楽理論とか、指揮者、オーケストラについての豆知識とか。
なんか、そこまで詳細な音楽理論には自分興味ないんだなって分かった(笑)。
中世のヨーロッパでは、コンサートは社交の場のBGM程度の扱いで、カードゲームとかおしゃべりとかしている人が大半。誰も音楽を真剣に聴いていなかった…。襟を正して音楽に注意を払って味わうというのは後から出てきた文化だそう。

バッハがこれほど音楽の父として偉大な存在となったのは、大勢の弟子を育てたから。弟子同士の交流などもありさらに音楽ネットワークが広がり、近代の音楽の進化を可能にした。

昔は職業指揮者はいなかった。ということは、指揮者がいなくてもオケは鳴る、というのは真実らしい。コンマスあたりが拍子をとるのを担当すればよいのか。。。それでも、音楽に一貫性を与え、リーダーシップでみんなの心を一つにして、お客さんも寄せる(客演指揮者の重要な仕事だ)、という役割がある、のだそうだ。なるほどーー。








7.22.2025

『フランスで大の字』/小栗左多里 トニー・ラズロ

フランス旅行記録ーー 塩田とかマニアックなところに行ってる。チーズとかワインとかは、さすがに奥が深い。。。




7.20.2025

『世界で一番素敵なアメリカの教室』

アメリカの50州をそれぞれ写真とともに解説。川から、森から、大都市から。本当に個性豊かな州がたくさんである。 


この岩は…サウスダコタ州にある「マウント・ラシュモア国立記念公園」らしい。

ノースダコタ州の国立公園はカナダと国境を接しているが、国境警備隊はいない。平和な国境線と呼ばれているらしい。。

サザン・ホスピタリティと奴隷使役の歴史の複雑さよ…。

ネイティブアメリカンの歴史はやはり読めば読むほどすごい残酷だし、よくそんなことできたな、と思う。近代の倫理観とか国際社会とか、ほんの少し前の概念なんだなと思う。

この「世界で一番素敵なXXの教室」シリーズ、たくさんあるらしい。他のも読みたい。


7.04.2025

『ホンダF1 復活した最速のDNA』/NHK取材班


Honda社がF1に参戦して、技術を上げながら、歴史的勝利を飾りながら、撤退と復帰を繰り返していますよー2025年まではHonda社製のパワーユニット(ハイブリッドエンジン)が載ったF1カーが走っていますよーというお話。

この本では2021年シーズンでHondaの参加は最後、となっているが、2026年からはHondaが再びF1に復帰することが決まっている。補足。

2019年、オーストリアGPでフェルスタッペンが7番手スタートからの奇跡の逆転勝利を飾った。Hondaが開発、改良したパワーユニットがこの年は一味違ったのだそう。

表彰台で、フェルスタッペンはHondaのロゴを指さしてたたえた。レッドブルとHondaの蜜月の始まりを象徴するものだった。

それからコロナ禍を挟んで、2021年。

HondaはF1をこの年で撤退する予定だったので、最後だった。F1始まって以来二回目の、トップ二人が同点で迎えた最後のGP、つまり、このGPで優勝した者がシーズン王者となる緊迫の戦いだった。メルセデスのルイス・ハミルトンと、レッドブル・ホンダのフェルスタッペンは、残り1周でシーズン優勝を賭けて大勝負し、なんと連続王者のハミルトンを抑えてフェルスタッペンが優勝。奇跡の大逆転で、まるで映画のような展開だった。かくして、ラストイヤーを優勝で迎えたという、物語性の高いドキュメンタリーに仕上がっている。。。

それから、2022ー2024年まで、フェルスタッペンは4年連続王者。すごい。でも今年はちょい厳しいかな…。

パワーユニットの改良をする際の、技術的問題にぶち当たった時に、F1チームが、Hondaのジェットエンジン開発部門に相談してそれがすぐ直ったというエピソードが興味深い。横の連携がいかに大事か、他分野の人たちから学べることがいかに多いかを象徴する出来事だと思う。自分でなんとしてでも解決しなきゃいけないんだ!と意地を張らず、素直に相談すればすぐ解決する、こともある!



6.15.2025

『生きがいの創造』/飯田史彦

おすすめされて読んでみた。

前世とか、輪廻とか、そういうスピ系の話だった…。大学教授が書いているというのがすごいなと。
ただ、誘導催眠とかさせて、その人が語った前世の記憶が、実際に現地に行って調べたら裏付けが取れたとかそういうこともあり。
また、小さい子どもが、生まれる前に空にいて、お父さんとお母さんを選んだ、ということを言い出すこともあるそうで、なんか、作り話とは思えないエピソードもあり。

今、近しい関係にある人とは前世でもそうで、例えば前世での恋人は、現世では母だったりとか、あるらしい。

そういうこともあるかもしれないなーと思える、って感じ。
そして、現世だけでなく来世もあるとしたら、また親しい人に会えるかもしれないいし、来世で新しい体験ができるかもしれない。それって何か希望だし楽しみでもある気もする。



 


6.13.2025

自分の感覚を大切にして生きよう。『繊細さんの幸せリスト』/武田友紀



HSP専門のカウンセラー、武田さんの送る、繊細さんが幸せになるための生き方提案。

自分の感性・良心を大切にして生きよう。


繊細さんは感覚が繊細、鋭敏。

直感は良いこと、悪いことを教えてくれる使えるツールだから、直感を大事にする。直感を感じた時にそれを検証して、直感の精度を上げていく。

自分の良心がいいと思えることをする。繊細さんは感情も大きく感じてしまうので、罪悪感を持ってしまうような物事は続かない。「これは良いと思う?」良心に聞いてみよう。

創作ができなくなった時は、逃避としての物語が必要なくなった時。幸せな現実を感じ取ろう。

自分の担当・得意分野に全力を尽くそう。

つい、先回りして率先して何でもやりがちだけれど、やりすぎ・燃え尽きに注意。

例「HSPの交流会をしたら、予想よりもみんな落ち込んでいた。和気あいあいと交流する会にしたかったけど、自分がカウンセリングもできたほうがいいのかな」

この「◯◯できたほうがいいのかな」「◯◯するべきだろうか」「みんなのためには…」という〜〜べき思考になると、自分の本心とはズレた方向に行ってしまう。

「私はカウンセリングがしたいのか?」をよく考えよう。

何か叶えたい目標があって、それが自分の特性に合わない場合は、それが好きで得意な人に任せる、という選択肢を持とう。

人は、好きなことをする時に一番エネルギーを発揮するのだから。

聞き上手は、自分の意志のもとに使おう。

話を聞く時は、共感ではなく、理解を使う
「(あなたにとっては)そうなんだね。なるほど。」

何を感じるかは自分で舵を取る。人生には、
1.痛みを治癒する時期
2.ゼロ地点
3.愛や喜びを探求する時期

がある、そうで、これはフェーズ1、フェーズ2の考え方と似ている。

愛や喜びを探求する時期、つまりフェーズ2に来ている人は、それまで、人の痛みに目を向けてきた人でも、「悲しみはもう十分」「人の痛みはもうおなかいっぱい」と思ったら、自分の幸せ、自分がやりたいこと、感じたいことに意識を向けてみよう。

自分が幸せになれば、回り回って他の人も幸せになる。繊細さんは、自分勝手な幸せを追求しようとはしないから。

やりたいことをやり始めると、自然に、大切にしているものが同じである人、人生の時期が似ている人と出会える。

「すべての人とわかり合う」ことを手放そう

世界の人全員が、繊細さんのような鋭敏な感受性を持っているわけではない。

「わかり合いたい」と、「私と同じ考え方や感じ方をしてほしい」は紙一重。相手をコントロールしようとしてしまっていることもある。わかり合える人は最高だけど、みんながみんなそうではない。

自分の考えや、やってほしいことを伝えるところまでが自分の領分。
伝えられたことに共感するか、納得するかは相手の領分。

わかってもらえるときもあれば、わかってもらえないときもある。
「わかって、共感して、納得して」と、相手の反応をコントロールしようとする心を手放すと、良い人間関係が築ける。






5.10.2025

自分を愛する=自分が笑顔になれることをする

『いつも自分のせいにする罪悪感がすーっと消えてなくなる本』/根本裕幸 より。



自分を愛すると言ってもピンとこない人が多いので、自分を笑顔にする、とするとわかりやすい。

何が好きかな。なにがあったら笑顔になれるかな。どうしたら笑えるかな。

「こんなことをしていいのか?」と最初は罪悪感にかられるかもしれないが、自分が笑顔になれることを続けていくと、やがて気がつけば罪悪感は消えてなくなっている。罪悪感は、愛には勝てないから。

  • チョコレートを食べる
  • 読みたい漫画を好きなだけよむ
  • 好きなだけスマホゲームで遊ぶ
  • 時間を作ってゆっくりカフェでお茶する
  • ゆっくりお風呂に浸かる
  • 好きなドラマ、気になっている動画を観まくる
  • 服を買いに行く
  • 美味しいレストランで食事をする
  • 友達と時間を気にせずにおしゃべりする
  • 旅行の計画を立てる
  • マッサージやエステに行く
  • 髪を切りに行く
  • 好きな人に会いに行く
  • 知的好奇心を満たされることをする
  • 気になっているトピックについて気の済むまで調べまくる
  • 気になっていた名所に行ってみる
  • 美術鑑賞に行く
  • 鑑賞の感想を書く
  • 思いのままに絵を描く

など。後半はだいぶ私の好みが出てる…笑



5.09.2025

『いつも自分のせいにする罪悪感がすーっと消えてなくなる本』/根本裕幸



誰もが抱えている、罪悪感についての根深い話。
正直、重苦しい気持ちになることもあったけど、やっと読了。
根本さんは、行動と、その奥にある感情を結びつけるのが上手だなーー。

罪悪感の種類
傷つけてしまった、助けられなかった、というのはわかりやすい罪悪感の例だけど、ほかにもある。

恵まれていることについて、何もしなかったことについて「あの時こうしておけばよかった」、自分は毒であるという思い込みも。

親の罪悪感を鏡写しして、一緒に感じてしまい、引き継ぐこともある。

罪悪感は上手につきあい、人生のスパイスにする
罪悪感は、悪いものではなくて、上手く扱い、付き合っていくもの。
罪悪感を持っている人は、愛もたくさん持っている。罪悪感は愛の裏返し。

罪悪感を持っていると自分を罰してしまう。手のかかる人ばかりを選んだり、わざと傷つく結末になるようなことをしたり。自分は幸せになる資格がないと思いこんでいるから。

罪悪感を手放すために、親友に接するように自分に接しよう
親友が「自分のせいだ」と言ったとき、本当にそうか?と思うよね。そうだったとしても、「そんなこともあるよ」「大丈夫だよ」って言ってあげられるよね? 自分にもそう言ってあげて。

「罪を憎んで人を憎まず」の精神も大事。

自分のゆるし方
罪悪感を癒やすこと=自分をゆるすこと。

自分自身に「無罪を宣告する」。

「そうせざるを得なかった事情があった」と考えてみよう。自分に対しても、相手に対しても。

自分を理解し、受容し、自分らしい人生を生きることを自分にゆるす。

自分が愛されている証拠を探そう。人はさがしているもの、注意をむけているものを見つけ出す。つまり、自分が愛に値しないと思っている人は、その証拠に気がつく。自分が愛されていると思っている人は、愛されている証拠に気がつく。

投函しない、感謝の手紙を書こう。

「自分は幸せになってはいけない」という思い込みを手放す
自分の存在を丸ごと受け入れてもらえない、否定されるような環境で育つと、自分の存在に罪悪感を覚えてしまう。その罪悪感は、自分を傷つけ、幸せにしない感情。

そうすると、問題児ばかりと付き合い、自分のことを愛してくれる人に悪い態度を取ってしまう。「自分は幸せになれるはずがない、なってはいけない」という思い込み、観念があるから。

加藤諦三さんの本にもあったが、観念とは、「それをすれば傷つかない」と、自分に課したルール、思い込みである。でも、子供の時の見方は偏っているし、大人になった今それを使う必要はない。それを手放そう、ということ。

「私が愛されるわけがない」と思っている人は、優しくされると、それをテストしたくなって、ひどい対応をしたりする。「本当に私のこと愛してるの?じゃあ、このハードルを飛んで見せてよ!」

愛を持ってパートナーの罪悪感を癒やす
パートナーが、罪悪感から過労に陥っているとき。感情は共鳴するので、自分も、「助けてあげられなくてごめん」と思ってしまう。

で、癒着になる。「相方を助けてあげられない私はダメだ」と思ってしまう。愛ゆえに。
相手を助けようと、自分のことを後回しにする=自己喪失
これは、遭難した人を助けるために、自分も遭難場所に飛び込み、共倒れしてしまうこと。
でそれはいっそうパートナーの罪悪感を重くしてしまう。

まず自分の安全を確保するのが先決。

まず自分が切り離すこと。
「私は私。夫は夫。
私は私でしあわせになれるし、彼は彼でしあわせになれる。
私は彼の選択を支持し、彼の選択を応援します。
私は私でしあわせを選びます」
というアファメーションを唱える。癒着を切り離し、自分軸を取り戻す。

そして、相手を助けることに関しては、自分がやりたいと思うことだけやる。
自分を笑顔にすることにもっと時間を使う。
相手に「ありがとう」を伝える。
感謝は罪悪感を溶かす効果があるから。
愛を伝える。
たくさん褒める。


罪悪感を癒やして幸せになっていったたくさんの人達のエピソードもあり、希望が持てました…。