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7.23.2025

深掘り会

去り行くお友達のお話を聴き、より深く理解する深堀り会を開催しました。けっこうこの年になると、人生の出来事が盛りだくさんで、聞き出して整理するだけで何時間もかかるね! それだけ多くの経験と知見と考えたことがあって。積み重なっていって、それがまた新たな自分を創っていく。新陳代謝といいますか。人との出会いと別れ、旅立ちも、そんな人生の一部分である。とっても寂しいけど、また会えると信じて。たまには近況報告会したいでふ。


ネコ型のはんぺん、その名もにゃんぺん!! とてもかわいく食べるのがもったいなかった…でも美味しかった!!



生酛(きもと)という、乳酸菌を使った日本酒。大変味が濃くて複雑で、もはや普通の日本酒とは違う感じなんだけど、珍しく美味しかった。

フランス料理、鶏肉のソテーとカスレ(豆煮込み)をいただきましたーー美味しいーー





5.29.2025

鴨川ピクニックで書き物会!

だいぶ前の話に感じるけど、5月11日は書き物会恒例、春と秋のピクニックでしたーー
鴨川のほとりでピクニックシートを敷いて、書き物に没頭する。
春の気候と、川音と、曇天が最高。眩しくない…
楽譜にラテン語の英訳を書く作業がはかどりました…
はじめましての方も、イツメンさんも楽し。
1年前に京都に来て、まだ知り合いとか友達とか少ないって言ってる人がいたので、これから増やしていけるといいねーと思いながら。
しかも、いつも室内会場を借りている私設図書館の方が自転車通勤で通りがかって気づいてくれたらしい。京都せまいねーー
大阪から来たという、主催者の方のお友達は、母娘で来ていた!すごい。大阪のおば…いや、お母さん炸裂で笑った。
あと、友達が二人もヨーロッパに行くらしい!パリ、オーストリア、フィンランド! なので、私もすごく行きたいなぁと思ってしまった〜〜 合唱のコンサート本場を聴きたいな!
なんか大充実な日曜日でした。


鷺ちゃんが麗しくポーズを取ってくれました。

 

2.19.2025

メキシカンにておしゃべりランチ

メキシカンに行って、広々した二階に通してもらったので周りを気にせずおしゃべりに興じてしまった! 近況報告できてよかった!! 人生色々ありますよねえーー
語れる友達を大事にしよう〜




2.10.2025

ウガンダのことを調べて、思って、考えて Reseraches, thoughts, and feelings on Uganda

ウガンダを舞台にした調査をしている。人口4000万人、面積は本州くらい。赤道直下に位置する国だが、高度1200メートルで涼しい。北部では世界最大の人道危機と思われたくらいの内戦が起こった時代もあるが、1997年から現在まで同じ大統領で、政情は安定している(らしい)。しかし、貧困や格差はなくならない。場所によるが、学校に行けないことが普通、食べるのがやっと、医療も仕事もない、というような状況で。

南スーダンからの難民を多く受け入れていて、難民にも、教育や福祉を受けられる機会を与えているらしい。なので、ウガンダの負担は重い。米国など様々な国からの支援を受けている。一人あたりGDPは年間8万円ほど。

などなど…。やっぱり世界には想像を絶するほどの貧困があり、格差があり、その人の能力だけではどうしようもならないことがたくさんある。ありすぎる。日本でぬるま湯に浸かっていることを改めて自覚せねばなー。

For work, I'm conducting research on Uganda.  With a population of 40 million, its land area is about the size of Honshu. Although it's located right on the equator, the altitude is around 1,200 meters, making the climate relatively cool. The northern region once experienced a civil war so severe that it was considered one of the world's worst humanitarian crises. However, since 1997, the country has been under the same president, and its political situation is said to be stable. That being said, poverty and inequality persist. Depending on the location, it is common for children not to attend school, people barely have enough to eat, and access to healthcare and jobs is extremely limited.

Uganda has taken in a large number of refugees from South Sudan and reportedly provides them with opportunities for education and welfare. This places a heavy burden on the country. It receives aid from the U.S. and other nations. The GDP per capita is around 80,000 yen per year. 

All in all, there is an unimaginable level of poverty and inequality in the world, and so many things cannot be overcome by individual effort alone. Too many hardships that are not the person's fault. I need to remind myself how comfortable and sheltered life in Japan really is.



2.07.2025

クレープ会!! A crêpe party!!

フランス人の会員さんがクレープを作ってくれました!!木曜の夜のクレープパーティー!!

クリスマスの40日後に、キャンドル・マスというキリスト教のお祝い?があり、クレープとシードルで祝うんだって。なので、シードルも買ってみんなで飲みました。

人に何かしてあげるのが喜び、という人、本当にいるんだな、と実感。以前にも、そういう人に会ったことはあるのだけれど。この人の優しさが、悪用されない世の中であってほしいなと切に願うばかりです…。

小麦粉を篩う道具、専用のフライパンと返しへらも持参してくださっていて、準備万端! 仕事できる人だなーー。どんなことでも真剣に取り組めるってすごい。彼はクレープを何十枚も焼いて積み重ねた後、それを一枚一枚またフライパンに乗せて、今度はほうれん草やチーズなどの具を乗せて焼いて、四隅を折って四角い形にして、お皿に乗せてくれた! 一人ずつオーダーを聞いて焼いてあげていたから、その人はずっと立ちっぱなしでご飯を作る係…。すごい大変だっただろうなーー。感謝感謝です。

いろいろしてくれる人ってほんとすごい。恩返しが精いっぱいな私はまだまだ学ぶところが大きいなと感じます…。

ああ、そして、招待されて、ただ彼がクレープを焼いてくれるのを待っていただけのある人が、「難しく、すごいことに見えるけど、クレープ焼くのは実は簡単なんだよ」とか言ってた。無礼だな…。あなたの人間性に関する私の評判は、ガタ落ちしちゃいましたわよーーって感じです。こういう時、角を立てずにやんわりと否定するには。「ええ? そんなこと言う人だとは思わなかったよ。簡単じゃないよ、何十枚も焼いて、大変なのに、今度は皆のために一枚一枚焼いてくれて、大変な労力だと私は思う。」って、「私は」で言えばいいのでしょうかね。つい、「~~すべき」「~~すべきじゃない」という口調になってしまうので。練習練習。


ともかくも、大変心の温まるクレープパーティーでございました…!

A French coworker made crêpes for us!! We had a crêpe party on Thursday night!!  

Apparently, in Christianity, there is a celebration called Candle mass 40 days after Christmas, where people enjoy crêpes and cider. So, we bought some cider and drank together to celebrate!  

I was reminded once again that there really are people who find joy in doing things for others. I've met such people before, but seeing it firsthand again made me appreciate it even more. I sincerely hope that this person's kindness will never be taken advantage of in this world…

He even brought a sifter for the flour, a special crêpe pan, and a spatula — he was totally prepared! Such a capable person.  It’s amazing how some people take everything they do seriously.  After making dozens of crêpes and stacking them up, he then took each one, placed it back on the pan, added ingredients like spinach and cheese, folded the edges into a square, and served it on a plate.  He took orders from each person and kept making crêpes for everyone, standing the entire time, just cooking for us.  It must have been exhausting… I’m so grateful!  

People who do things for others like that are truly incredible. I still have so much to learn, as I’m only capable of giving back in return…  

Oh, and then, someone who had just been sitting there, waiting to be served, casually said, "It looks difficult and impressive, but making crêpes is actually easy."  Seriously?  How could he say that?  That was so rude… My impression of that person plummeted right then and there.  

How can I respond to such remarks in a way that’s not confrontational but still makes my point? Maybe something like: 
"What?  I didn’t expect you to say that!  It’s not easy at all.  He made dozens of crêpes, and now he’s carefully making each one for everyone — it’s an incredible effort, and I truly appreciate it."  
Saying it from my own perspective might be the best way to go.  I tend to phrase things like "You shouldn’t say that" or "That’s not okay," so I need to practice expressing myself more gently.

Anyway, it was a truly heartwarming crêpe party…!





1.29.2025

豆のお皿! Bean plate!

お友達が伊勢神宮土産でくれましたーー
豆×2。かわいい!!
まだまだ豆の研究に携われて幸せだなーー

My friend gave me a souvenir from Ise Jingu shrine.  Two little bean pods are so cute!!  
I feel so lucky to still be involved in bean research.



1.03.2025

チヂミ作り会! Jeon making party on the last work day of the year!

コワーキングおそらく仕事納めの日、友達が野菜たっぷりチヂミ&餅チーズお焼きを作ってくれた! 料理上手ー! 二人がかりでひっくり返すのもまたたのし。とても美味しかった。餅チーズお焼きは生地の余りで。アイデアすごいな。

あまり話したことのない、最近入った人とも話すことができて、在日8年目で、もうすぐ永住権申請できる!とか、アメリカではコロナの頃の在宅学習の影響で今の3年生とかが読み書きできない、なんていう社会問題も教えてもらった。そうかーー

そんで、年内に仕事できるだけ終わらせとこうと頑張ったーそんな年の瀬。

On what was likely the last coworking day of the year, a friend made vegetable-packed jeon (Korean pancakes) and mochi-cheese patties! She is such a great cook!  Flipping them over together was part of the fun.  They were absolutely delicious.  The mochi-cheese patties were made with leftover batter—such a clever idea.  

I also got to talk with someone new who recently joined. She shared that she’s been in Japan for eight years and is about to apply for permanent residency in two years!  She also told us about a social issue in the U.S.—how the effects of remote learning during COVID have left many current third-fourth graders unable to read or write.  That really made me think.  

After that, I worked hard to wrap up as much as I could before the end of the year.  A true end-of-year vibe in a usually crowded office with just the three of us.







12.31.2024

個人主義の現代社会における「甘える」

過日、「甘える」ことに関してコワーキングで議論があり…。 超濃い内容でした!

コワーキングで、スタッフの方がおしるこを作ってくれました。でキッチンエリアでそこにいた4人でいただきまして、皆食べ終わった後、1人が流しで自分の使ったお椀を洗っていました。なので私は次洗お〜と思って、自分のお椀を持って、流しのそばで順番待ちしてたのです。そしたら、その人が、「◯◯(私のあだ名)、『洗ってください〜😄』って言えばいいのに。甘えてくれたら、こっちも気持ちよく洗うのに。甘えベタやなぁ(笑)」と、言ってくれまして…。他の人も、「そうよ、こういう時は、甘えるのよ!甘えられた方も嬉しいんだよ」って言ってくれて。自分でできることを人にしてもらう、という選択肢がそもそもなかったので、ちょっと驚いたのですが、恥ずかしいやら嬉しいやら、、でもとても温かな気持ちになりました。

で、その甘え下手やなぁって言ってた人も、もともとは甘える選択肢は持っていなくて、仕事とかで身につけたそう。気難しい人に、会議に出てほしい、って新人の立場でお願いする時に、「お願いっ🙏」と言って、出てもらったり。いわば戦略的甘え…笑 そういうの、世の中でも役に立つよ、と伝授してくれたり。

3つの幸せも教えてもらった。

1. してあげる幸せ。

2. してもらう幸せ。

3. させてあげる幸せ。

3については、「誰かに、自分に何かをして、とお願いして、それをその人がすることによってその人の頼られたい欲を満たして、それで自分も嬉しい」というものらしい…。なんか傲慢?な気もするけど、そういう幸せの形もあるらしい。

お皿洗いの例でいうと、その人に私が、「洗ってください〜」とお願いして、「私のためにお皿洗いをさせてあげる」。その人は頼られることで嬉しい。だから私もその人を喜ばせることができて幸せ。ということらしい。

神戸メンタルサービスの平さんも言っていたけど、「誰かを喜ばせたいという欲求は人間誰でも持っていて、簡単にそれを叶えさせてくれる人は好かれる」、つまり、「喜ばせやすい人は好かれる」

お皿洗いしてくれたら、私は喜びます、あなたに感謝します、って、言える人が甘え上手で、好かれる人なのだ。メンタルサービスのカウンセラーさんの動画 幸せな恋愛・結婚を掴んだ人が身につけた視点についてお話します(浅野寿和) でも同じようなことを言っていた。

既婚者の方々は、パートナーに甘えるのは、今さら照れるし恥ずかしいし面倒くさい(!)からしない、と言っていた…。あれれ? たぶん、そういう関係性を前提に付き合ってなかったのだろうか。子どもができたらまた違ったものになるだろうし。

私の叔父叔母は、お互いにいろんなことを、わざと(わざわざ?)やってあげていて、それが愛情表現となっていて、密な関係性を維持している気がする。

甘えたい人と頼られたい人が共存すれば上手くいく気がする。需要と供給の関係。

「甘え」と「ワガママ」の違いは何か?って問いを立てて、あれこれ考えたりもしてました。

甘えが可愛いと思われるかウザいと思われるかは、その人の受け取り方次第で、受け取り方の違いは、関係性の違いではないか、という論になった。ハラスメントと同じ、って(笑)。確かに。

なので、相手の頼られたい需要と一致してる範囲の甘えはOKなのだろうけど、その範囲を見極めるのって難しい。という意見も。だから、たまにはその線を越えてしまうこともあって。それにもへこたれず、またトライしていき、適度な甘えの範囲を見定めていくという継続的な営みな気がした。とすると、甘えるにもけっこう鋼のメンタルが必要な気が…。「あ、甘えすぎちゃった、ワガママと思われちゃった、二度としない😣」では、その人に対する心理的抵抗がぐーんと上がっちゃうわけで…。甘え上手な人は、それを何度でも繰り返せるんだろうな。

甘えるとは、何でも言える、何でもお願いできる仲どうしで行われる行動で、そのお願いが、相手を利用してやろう、じゃなくて、その人と自分のコミュニケーション、愛情確認、ある種の愛のあるやり取りである、と思えるかどうか。と仮定義しておこう。


私が甘えやすいかなと思う人は

  1. 損得勘定なしに、人に何かをしてあげる心の準備ができている人(つまり、自分を自分で満たせている人)
  2. お願いを叶えられなくても、突っぱねるのではなく、愛のある断り方をしてくれる人

かなー。


12.18.2024

書き物グループでの忘年会

書き物グループでも忘年会しました〜 スペシャル版!場所提供してくださったオーナーさんに感謝〜優しすぎる〜 そして、パーティーにちょっと加わってくれて、一緒に飲んだりした! このコミュニティも貴重である…!




12.17.2024

忘年会&歓送迎会

いろいろ兼用のパーティー!

新年会したのがついこの間のようだけど、あれから1年近くたったのかーと感慨深くなりました。

パーティー料理が次から次へと出来てきて…人数が多いと手際が良い!メンバーそれぞれの強〜い個性がいかんなく発揮されて、とても面白い会だった…

同じ波長の人たちが集まっている〜というのは、ほんとうにあると思う。





10.28.2024

レインボーフェスタ大阪2024

レインボーフェスタ大阪で、今年もボランティアしてきました。

去年知り合った人たちがまた来てくれてて、嬉しかったな!しかも皆両日参加だったし! 私も来年は両日参加したい!と思う一方、仕事もあるし、体力的に無理しないようにはしないと…とは思う。

「私たちだっていいふうふになりたい展」の宣伝を見て思った。「私たちだって」の、「だって」ににじみ出ている、「異性愛者とは一段下の自分たち、であっても」という卑下。

自分たちにも、同じ権利があるんだって、何の疑念なく信じていれば、「私たちだって」ではなく、「私たち」となるのではないか。

考えすぎかもしれないけど、結婚が認められていない同性カップルが、肩身の狭い思いをしているのは事実。「平等な権利が長く認められていない自分たち」という、虐げられた状態に慣れてしまっていて、「私たちだって」という、這い上がっているような感覚が無意識的にあるのではないか。と邪推してしまう。

これは本当に人権問題。

一緒にボランティアした友人はスペイン出身で、自身はアライとして、デモとかにもよく参加しているらしい。東京のレインボープライドにも行ったことがあるらしい。東京のイベントは、酔っぱらいが多くて、エロ要素も目立って、皆に開かれたイベントではないという印象だったそうだが…、関西は、そういう要素はなく、誰でも参加しやすいイベントだなと思ったそうな。東京のイベントはそうなのかーやっぱり新宿二丁目とか、オネエとか、そういう文化が牽引しているのだろうか。

問題だと思ったのは、「ハッピープライド」という文言。ハッピー…とかそんなノリじゃないんだよ…。「ハッピーハロウィン」のような、祝っても祝わなくてもどちらでもいい、個人の自由なただのイベント、みたいな印象を与えられると困る。

黒人の差別撤廃運動に、「ハッピー◯◯」の文言が使われただろうか。女性の地位向上運動に、「ハッピー◯◯」が使われただろうか。フェスタ=お祭りという体で、身近に感じてもらおうという趣旨だけど、ハロウィンのようなお祭りではない。季節の行事でもない。

本来誰しもが持っている基本的人権が、性自認・性的指向によって、制限されている人たちがいる。問題ですよね?基本的人権を取り戻すよう、政府に働きかけましょう、という運動なのです。性自認・性的指向に関わらず、人間全員が、本来持っている権利を行使できている世界であれば、こんな活動は不要なのです。

まあ、同性婚が実現しても、この長い戦いを忘れないためにも、性の多様性があることを思い出してもらう機会としても、プライド関連イベントは続けていった方がいいと思うけれど。常に主張して、戦わなければ、自由はすぐに奪われてしまうので。悲しいことに。

和歌山にある動物園、アドベンチャーワールドも出展していて、虹色の動物のグッズを売っていた。そこのブースにいてた方とちょっと話すことができた。同社では、同性パートナーがいる人にも、パートナーの怪我や病気で休職できる制度があるらしい。

同社の多様性受容への姿勢は、性的少数者にとどまらず。知的障害がある子とその親だけに限定して園を解放する日を設けている。車椅子に乗っていたり、突然騒ぎ出したりする子は普段ジロジロ見られるため、その家族はなかなか外出もしにくい。しかしこの日は、人の目を気にせず自由に園を楽しむことができる。そんな日を設け初めて、七年になるのだそう。その人も自分の身の上話をしてくれて、嬉しかった。ありがたかったな。勇気のいることだったかもしれない。きっと、アドベンチャーワールドで働いていることを、誇りに思っているだろうな。






10.18.2024

レインボーフェスタ大阪2024!!

今年も行われるそうです!!

来週、10月26日(土)、27日(日)、扇町公園です!


実行委員の皆さんは有志で、ほぼ1年前から準備してくださっています。

去年初めてボランティアで参加して、さすが大都会、進んでるなあーーと感動しました。

もちろん、同性婚の法整備とかも含めてまだまだ課題だらけなのですが。

声高に性・愛の多様性を訴えることが出来る、祝福することができる、虹色に輝く大企業のロゴがたくさん、たくさん並んでいるのを見て、背中を押される気持ちになる。

そんな場所が、たった2日間のお祭りという非日常な舞台にだけでも、存在する。

それだけで、どれだけ、安心できる人がいるか。

ここにいても大丈夫ですよ、
そのままのあなたで良いんですよ、

というメッセージを、受け取ってくれる人がいるか。

改めてこういうイベントの大事さを考えます。

 
諸般の事情で、そういう場所作りに関わることが叶わない人もいるから、関わることができる私は関わらねば、と、ある種、責務のように使命のように思っています。

天気がいいといいなあー
 
ただ、「愛は愛だ!」と主張する際も、
「皆(異性愛であれ同性愛であれ)恋愛するものだ」
「好きな人とはしたくなるものだ」
という暗黙の前提があって、そこに違和感を感じる人がいることも忘れてはいけないですね。

つまりアセクシャル(性的欲求を人に向けない)や、アロマンティック(恋愛感情を人に向けない)の人々もいるから、彼らをも含められるように、あらゆる多様性を含有するように言い方を考えないとなとも思います。

社会の、異性愛を前提にした仕組みや人々の認識はほんとーーーーに、改めるときが来ていると思います…!!



9.28.2024

イスタンブールサライ と、濃ーーーい二次会。

トルコ料理屋さんで、総勢10名のお疲れ様会をしましたー!
楽しかった…

ケバブコース。
お腹いっぱい。レンズ豆のスープに、ひよこ豆のペースト(フムス)まで出て、私的にはすでにそれで大満足…! パンにつけるディップは他にも、ラタトゥイユみたいなのと、夏野菜をオーブンで焼いたのとか、ヨーグルトとにんにくのペーストとか。美味しいーー
そして、トルコワインが意外にすごく美味しかった!また飲みたい…ので写真撮る。

その後、コワーキングの大先輩とサシで二次会する機会に恵まれ… お話聞いてもらって、アドバイスもらって、分析的視点も共有してもらい、自身の経験も話してもらい… 超ーーーー勉強になりました。あまつさえおごってもらうという…! どこまでお優しい人なんだ。。。「恩送りっていう概念が好きなのよ。僕へのお礼じゃなくて、違う人に、同じようなことをしてあげて、繋げていってね。僕も、先輩に同じようにしてもらったから。」と。
はいいいーーーー!




7.15.2024

ヒーリングワークベーシック、癒やしの2日間。

最近古傷が疼くようなことがあったので、かねてから気になっていたヒーリングワークベーシック、オンラインに参加してきました! アシスタントさんも含め総勢50名くらいで、人とつながり、心を癒やす体験でした。参加して本当に良かった…! カメラ必ずONにして、表情が見えるように照明を調節してください、とか、感情を扱うから、自分にも他の参加者の方にも優しく、自分の感情に責任を持ってください、ということをトレーナーさんたちが再三共有してくださっていたので、実際とてもスムーズだったし、画面上でも親密感を感じられました。

◆一日目
全体ワーク
【ねぎらう、いたわる】
ぬいぐるみ、タオルなど、抱きしめてあげられる物を使って、癒やしのワーク。いつも頑張っている人、自分の苦手な人、そして自分自身を、労って、いたわって、よしよししてあげる。

グループワーク
【そこが可愛い】
自分の欠点を言う→「そこが可愛い!」とチームメイトが言ってくれる。
自分のいいところを言う→「知ってるー!」とチームメイトが言ってくれる。
自分の家族のいいところを言う→「そうだと思ったー」とチームメイトが言ってくれる。
・ねらい:自分ではだめだと思っていても、他の人からしたら、え、そんな気にすることでもないじゃん?と思える。それが自分にも当てはまると気づく。自分のだめなところのほうが言いやすい。自分の良いところは言うのが恥ずかしい。そこから、いかに自分を過小評価しているかがわかる。

【伝えたいこと】
「ありがとう」「ごめんなさい」「助けてほしい」「愛しています」
人間関係で困っている時、この4つの言葉が言えていない。自分の中のネガティブな気持ちがくすぶる。
やりかた:
1.その言葉を言えていない相手(家族、友人、パートナー、他)を選ぶ
2.その人との関係、状態を簡単にチームメイトに共有
3.グループの中で、一番その人を思い起こさせる人に、ロールプレイをお願いする。
4.その人をピン固定。
5.目を見て、その想いと、伝えたい言葉を伝える。
6.役の人は、「伝えてくれて、ありがとう」と言う。

・ねらい:その人に直接伝えられなくても、その人の役になってくれる、絶対に受け止めてくれるチームメイトに、安心して言葉を伝えられる。自分の伝えたかった言葉、その人への想いが明確になる。

【遺言】
あなたを愛してくれた人の遺言は? 何らかの区切りがつく時、人は本音を言いたくなる。
1.自分を愛してくれた人になりきる。
2.自分役を選ぶ。
3.自分役の人に向かって、目を見て、もうすぐ亡くなろうとしている人になりきって、伝える。
「あなたは私にとっての◯◯でした」 救い、希望、喜び、癒し、生きがい など。
4.役の人は、「分かっていました、ありがとう」

・ねらい:あなたを愛してくれた人になりきることによって、その人が自分に与えてくれた愛を明確に感じることができる。この人、きっとこういうふうに思っていたんじゃないかなと想像できる。この時点でだいぶ癒やされる…!

許しとは、誰かに対する強い感情を緩める、こと。この人がしたことを、なかったことにすることではなくて、「この人だって、苦しかったのかもしれない」と、「心を寄せる」こと。この人すら、大きな愛で包んであげられるほどの自分になることが、許しの本質。「この人を許してみたいな」と、思えたときで良い。

◆二日目
全体ワーク
【フォーカスカウンセリング】
公開カウンセリング。他の人の経験、思い、問題の背景を知り、カウンセラーからいろいろと引き出されて、導かれて、癒やしを得る過程を一緒に見る。そうすることで、自分や自分の近しい人が似た境遇であったり思いを持っている時に、ああそういうことだったのか、と一緒に学ぶことができる。

「答え」は、自分の悪かったところを振り返ること、分析すること、問題解決すること。だけど「答え」は、癒やしではない。ただ、頑張った自分を認めてあげること。「よくやった」。それだけでいいんだよ。

グループワーク
【フォーカスカウンセリングの感想共有と、出会ってくれてありがとう】
グループに分かれ、行われた公開カウンセリングについて感想を共有し合う。
そして、2日間の中で、特定のメンバーから、学んだこと、感じたことを共有し、出会いに感謝する。
「◯◯さん、私は、あなたからXXXということを学びました。出会ってくれて、ありがとう。」と伝える。
言われた方は、「こちらこそ、出会ってくれて、ありがとう。」と応える。

*              *             *

2日間、むちゃくちゃ濃い時間でした…
チームメイトさんとも共通点がたくさんあり、こんな深い話をいきなりできるって貴重だなあと思った。他の人の癒やしを目の当たりにし、自分の経験もお話して、分析して、他の人に何かを感じてもらえて、嬉しかった。こんな心に刺さる時間、なかなかないーー

人間関係はすべての問題を作り出し、すべての問題を癒やすって、アドラーが言っていた通り。こんな癒しのセミナーに協力できるって素敵だな。全力投球できそう。利益を上げたりすることよりよっぽど大事だと思う。

Lately, I had been feeling a bit restless about some things and felt like my old memories stinging again, so I attended a 2-day workshop called Healing Work Basic, Online, which I had been curious about for some time!  There were about 50 participants in total, including ~10 assistants, and it turned out to be an experience to connect with others and heal my old wounds.  I am so glad I attended!  It was well organized and very smooth, and I felt a sense of intimacy with others even on the screen because the trainers reminded us to turn on the camera, adjust the lighting so that your facial expressions will be visible, to be kind to ourselves and other participants because we were dealing with emotions, and to take responsibility for our own feelings.

Here's a record of activities:

◆Day 1
[Taking care of oneself and others]
Healing work using a stuffed animal, towels, and other things that can be used to give hugs.  We gave a good hug to our stuffed animal, imagining someone who we are thankful to, who is difficult to deal with, and ourselves.

Group Work
[That's your charm!]
We take turns to:
Share your weaknesses with teammates → They will say "That's what makes you cute!"
Share your strengths with teammates → They will say "I knew it!"
Share a good thing about your family→ They will say "I thought so!"

Aim: Even if someone thinks they are not good at something, others may think, "Oh, it's nothing to worry about. I think it's actually a good thing."  Then we can realize that it applies to us as well.  Also, you realize how much you underestimate yourself by noticing that it's easier to say bad things about you than saying good things about you.

[What I want to tell someone]
"Thank you," "I'm sorry," "I need your help," and "I love you."
When we are having trouble in inter-personal relationships, we tend not be able to say these four phrases, and negative feelings inside us smolder.

1. Think of a person (family member, friend, partner, etc.) with whom you have not been able to say those words.
2. Briefly share your relationship and status with that person with your teammates.
3. Ask someone in the team who reminds you the most of that person to role-play.
4. Pin the person.
5. Look the person in the eye and tell them the feelings and the words you have wanted to convey.
6. The role-player says, "Thank you for telling me that."

Aim: Even if you can't tell the person directly, you can tell your words to your role-playing teammate with confidence because you know they will definitely accept your words.  The words you wanted to convey and your feelings toward that person will become clear.

[The last words to you]
What is the last will and testament of someone who loved you?  When there is some kind of closure, people want to share their true feelings.

1. Act and think like the person who loved you.
2. Choose someone from your team to act the role of yourself.
3. Look into the eyes of the person and tell them, as if you were the person who loved you and is about to pass away.
4. Conclude with "You were XXX to me." with XXX being something like: "salvation", "hope", "joy", "healing", "purpose in life".
5. The person in the role says, "I knew that, thank you."

Aim: By becoming the person who loved you, you can clearly feel the love that person gave you. You can imagine that this person must have felt this way.  It is much more healing at this point...!

Forgiveness means to loosen strong feelings toward someone.  It does not mean to pretend that what this person did did not happen, but to "be mindful" of the fact that "this person may have been in pain, too". The essence of forgiveness is to become a person who can embrace even this person with great love. Your heart may say you're not ready to forgive yet. It's okay.  You can let forgiveness happen only when you feel "Maybe I can try to forgive this person".

◆Day 2
[Open Counseling]
A volunteer is selected at random to share their problems and talk with a counselor, while others are watching.  Learn the background of other people's experiences, thoughts, and problems, and witness together the process of drawing out past memories and traumas, and the person being guided and healed in many ways by a counselor.  By doing so, we can learn together and feel "Oh that's what it was all about", when you or someone close to you is in a similar situation or has similar thoughts.

We tend to look for "the answer", as shown by one of the participants in this session.  The "answer" is to look back at what went wrong, to analyze, to problem-solve.  But the "answer" itself is not what brings healing.  It's just acknowledging yourself for the hard work you did. "Well done." That's all you need to do to let healing happen. 

Group Work
[Sharing impressions of the focused counseling and thanking teammates]
Share thoughts, realizations, and impressions of the public counseling that took place.
Then, share what you learned and felt from certain members during the two days, and thank them for meeting you by saying "I learned XXX from you.  Thank you for meeting me." And that person replies, "Same here. Thank you for meeting me". 

*******

It was intense two days...
I had much in common with my teammates, and it was valuable to be able to have such deep conversations meeting for the first time.  I was happy to witness the healing of others, to share my own experiences, to analyze, and to let others feel something warm and deep.  It's hard to spend a time that sticks in the mind like this!

Relationships create all problems and heal all problems, just as Adler said.  It would be wonderful to be able to cooperate with others at such a healing seminar.  I'm curious about what I can do to support and advocate this kind of activities.  I would give it my all as a staff member, and think it is much more important than making a profit or something.


6.05.2024

愛と人間関係と希望。

コワーキングの方々にいろんな相談に乗ってもらって、「大丈夫?話聞くよ」と言ってもらえて、とても幸せだーー

こんなに濃い人間関係に恵まれるとは、ここに来るまで思っていなかった。運がいいなあ…大感謝。

ある時、ガッと環境が変わって(変えて)、人間関係が変わって、人生がもっと豊かになる、ということが突然あるんだなあ。それは、未来への希望である。

そんな感じで自分が満たされているから、「私がだまされた」「私が悲しい」「私が…」という感情は、感じつつも脇において、「この人は今どんな気持ちなんだろう」「この人をどうしたら愛してあげられるだろう」「この人には今何が必要だろう」と、相手を第一に思えるようになった。で、相手が喜んでくれたら、幸せになってくれたら、私も幸せ。という境地である…!

以前は、自分の幸せよりも他人の幸せを先に祈れる人を、すごいな、私にはまだできないな、と思っていたけれど。

自分の幸せ「よりも」ではないんだ。

自分の幸せ=相手の幸せ だから、何も犠牲にしていないんだ。と、納得がいった。

自己中心性からの脱却。
それってボランティア精神の根源でもあって、最も基本的な愛と信頼の根幹という気もする。




6.02.2024

"Put oneself in their shoes"  自分で解釈する前に、その人の身になって、考える。

Putting yourself in their shoes - it is essential in understanding other people's way of thoughts, feelings, reasons for their actions.

Understanding other people's thoughts and feelings, not imposing one's own or making assumptions, is the first step to love them, in a broad term. 

And communication is the means to do so. 

Am I able to say:
"Thank you for telling me so."
"I'm sorry what I said made you feel sad.  That was not my intention.  Your feelings matter to me.  What can I do to make things better for you?"

Am I ready for this kind of conversations? 

「満員電車で大きなおじさんが倒れてきたら避ける!」と言う人に対して、
「え、優しくない。助けてあげないとその人が怪我するかもしれないじゃん。」というやり取りがあった。

けれど、よくよく考えてみると、その「避ける」といっていた人は小柄の女性で、おそらくおじさんに押しつぶされてしまう。「助けてあげないと」と言っていた人は、180センチを超える大柄な男性だ。それなら、余裕で助けてあげられるだろう。それぞれの事情(この場合は体格や力)によって、出来ることと、できないことがある。その事情は、体力的なこと、経済的なこと、あるいは、精神的な状態かもしれない。

自分の価値観の物差しを当てる前に、その人にとってはどうなんだろうか?と立ち止まって、その人の身になって考えてみることの大事さを考えた。

募金をしない、のではなくて、できない、のかもしれない。

優しい言葉をかけない、のではなくて、何らかの事情があって、かけられない、のかもしれない。

席を譲らない、のではなくて、譲れない、立ち上がれないほど疲れている、のかもしれない。

自分の物差しを当てるのは簡単で、クセになっていたりする。そして簡単に、「ああこの人はこういう人なんだ」と結論付けてしまう。これって要注意!!!










5.26.2024

Kobe Rainbow festival!

I only had a short time to swing by, but it was really nice to see such an event held in Kobe, too.  Got to talk with a friend from last year's Osaka festival, too, so it was good.

Baby steps, human beings...!



5.20.2024

A non-stop talking session Vol 2!! バラを肴に人生談義。

I had deeeep conversations about life with one of my good friends the other day. It is precious to have someone who I know will not judge me whatever I say or do.  So, we can exchange opinions, share our past mistakes and lessons, and ask hard questions to each other without having to worry about what the other person may perceive it. And how wonderful it feels is beyond description.  (With respect, of course!)

I felt comfortable sharing my regrets and shortcomings with him because we both understand the complexity of life and the hardships attached to it, as well as our capability to learn lessons and grow from there.  It is rare to find someone like that, I think.  He shared his complicated life stories, and I appreciate his trust in me.  He said he felt good after venting to someone who understands English.  I can imagine that being able to have deeper conversations in their native/semi-native language can be a huge relief, just like I enjoyed having a chat with my Japanese friends in Michigan every now and then. 

Not only the language, but also the culture plays a part, too.  A typical Western and Japanese cultures are so different, especially in that expectations are not clearly communicated.  Many non-Japanese residents in Japan feel lost or uncomfortable because they do not see what is expected, and they have to make a guess.  In my observation, I would say Japanese people are not used to communicating expectations to each other because expectations are already shared among them. There are few occasions where they need to express it in this mostly mono-ethnic country, and people don't think about expectations or verbalizing them.

All in all, it is amazing that people come from abroad and live and work in Japan despite countless challenges and sometimes unfair, different treatments.  I have immense respect for expats in Japan, who are trying their best to fit in to a society that is not so immigrant-friendly, unfortunately. It is becoming like an old, textbook conclusion that language and culture are huge factors that will probably have a huge impact on your life abroad.  They are! 

Anyway, it is precious to have that kind of relationship where you can talk about what you want to talk about, tell what you want to tell, and ask the questions you want to ask, without worrying about what the other person might think... I really appreciate it.  And it is such a relief that if ever the other person might find it odd or offensive, they'd tell me so and ask questions to confirm.

I feel refreshed when I come in contact with people like this because I am quite individualistic, and sometimes I feel I lack kindness!  Those people are ready to give first, regardless of the other person's reaction.  They accept others' feelings, notice others' concerns, and do not hesitate to ask about them instead of just assuming.  It is a great learning experience to talk with such a person with high EQ.

京都府立植物園に写真仲間と行ってきました。雨だったけど、満開のバラはとても綺麗だった。

あまり花には興味ない、と言っていた友人も、こんなに多くの種類、花の形や色や香り、花びらの枚数まで違う品種がたくさんあるとは知らなかった、と言っていて、よかったー。

興味ない人は本当に興味ないんだな、花って。何にしてもそうだろうけど。私がいわゆるポップカルチャー(流行の映画とか音楽とか)にあまり興味がないのと同じ…。だから、自分が興味ないことでも、一緒に来てくれて嬉しかった。ありがたや。

その後、いろんな話をした。人生について。それぞれ、いろんな問題?を抱えていて、
そんなに絶望的とかではないんだけど、やはりいろいろ思うところはあって。

相手がどう思うだろう…とかを気にせずに、話したいことを話し、伝えたいことを伝え、質問したいことを質問できるそんな関係性は貴重だ。本当に、ありがたいです。

私はけっこう個人主義なので、優しさが足りない!と自省することが多々ありまして、
何というか、こういう人と接すると、浄化される思い。相手の反応に関わらず、優しさを与えてくれて、こちらの気持ちもちゃんと受け入れてくれて、こちらの気遣いに気づいてくれる。そんな、EQの高いひとに接するのはとても勉強になります。





5.14.2024

猫派と犬派からの衝撃の気づき…!

ずっと、飼いやすさとかツンデレがたまらんとか何とか言いながら、猫が好きと言ってきた、し、そう思ってきた。

けれど、猫派と思っていたのは、「自分は拒絶されるにふさわしい」という間違った信念を心のなかで持っていたから?と、平先生の心理学の動画を見て思い当たった。

拒絶されると、心の何処かで安心する、という構図が。
「ほ〜ら、やっぱり。」という、予定調和の安心が。
そんなこと思う人いるの?どういう心理?と思っていたけど、よくよく、蓋を開けて、自分の深層心理を目を凝らして覗き込むと、ああ、そういうことね…と思った。「防衛」と呼ぶものだろう。

いつでもいつまででも、100%の愛を向けてくれる犬をなぜ好きと言わないのか、それは、ずっとずっとほしいと思っていた100%の愛を、受け取るのがなぜか怖いから、なのだろう。

なぜ怖いのだろう、もう二度と傷つきたくないからかな。
確かに、100%の愛をくれると予想していたもの(例えば犬)に、もし愛をもらえなかったら辛い。
100%の愛をくれると予想していた誰かに、もらえなかったとき、とても傷ついたことに似ている。

そうか…。

だから、端から、「気分屋で、ツンケンしていて、自分の気が乗ったときだけかまってくれる猫が好き」、と言うようになったんだ。
期待しなければ、傷つくこともない。だから、
100%愛をくれるものをも、好きと言う勇気が出なかったんだ。
傷つくのを、避けるために。
もう二度と、予想を裏切られなくて済むように。

アドベンチャーワールドで見たイルカのショーを思い出した。
イルカとトレーナーさんは息ぴったりで、トレーナーさんも深いプールにもぐって、お互いを信頼していないとできないような大技を次々と繰り出す。そして、終わった後にトレーナーさんは、水面から上がってきたイルカに、ぱっと大きく両腕を広げて、「やったね!」と。イルカも何のためらいもなく体を寄せてハグをする。この光景に、私は一人涙を必死に堪えていた。愛を100%与えられると、お互いが思っている、お互いが信頼している、何の疑いもなく。その太い太い絆の、なんと素敵なことか。そして、何と羨ましいことか、とも。

100%愛をくれる生き物・人が、どれだけ勇気を出して、どれだけこちらを信頼してくれているか、考えるだけでくらくらしてくる。
私は冗談でも、そんな真摯な想いを軽んじたりしない。
あなたの優しさを、私は絶対に利用したりしない。
だから、私を信じてくれて、ありがとう、と思う。

素直に言います。100%の愛をくれる犬が、好きです。
そして、
100%の愛をくれる人には、100%の愛をお返ししたいです。します。

保護犬活動の方のブログとか、
本田健さんの本とか、
平準司先生の動画とか、いろんな文献に触発されての、すごい気づきだった!!!





……いや、猫も、愛情深い子は愛情深いのですよ……。
それはそうなのです!よ!!



5.04.2024

「心配」と「信頼」 Worry and Trust

コワーキングの仲良し組での旅行、超ーーー深い、濃い時間を過ごせました。行く前から、道中も、楽しすぎて、はしゃぎすぎて、飲みすぎましたー!笑 それぞれ職業は全然違うのに、共通の関心事というのはたくさんあって、その一つがパートナーシップとか、心理学。

その流れで、「心配」と「信頼」の違いの話になった。

合わない仕事、合わない上司、合わない義両親など、日々頑張っている人はたくさんいる。「なぜ、そんなにつらいことを続けるの…?」と、疑問に思っていたことがあったのだけれど、メンバーの一人が、「自分も、打たれ強いというか、長い間我慢する方だから分かる。耐えて耐えて、それで、あ、もう無理。ってなるタイミングがあるから、それから考える。」 「あなたは、そういう人たちのことを心配しているのだけど、信頼はしていないのかもしれない。」と。

ぐっさーーーーっと、後から後から反芻して効いてくるお言葉でした…。

「なんで自分をそんなに痛めつけるの? 逃げればいいじゃん!」と私は簡単に言うし、実際に私は大変に堪え性が無いので即逃げるのですが(汗)、そう言ったら、我慢強い人は、「ああ、自分のことを尊重してくれてないし、信頼してくれてないんだな。」とガッカリするのかも。と思い至りました。

「心配」って、相手のことを気にかけているようで、責めていたり、自分の考えを押し付けているだけのかも。いやもちろん、相手に嫌な思いをしてほしくない、という思いからなんだけど。でも結局、判断能力のある大人で、「しょうがないからやっている」のだとしても、「自分の意志でやっている」のには変わりはないのだ…。

何だろう…… これは、その人が「自分には自分の人生を決める権利がある」と信じている場合の話、なような気もする。でも、信じていないとしても、それは「信じない」と自分の意志で決めたことなのかもしれない。

ともかくも、だから、相手がどう考えているか、どう感じているか、は、よくよく聞いてみないとわからない。聞こうとする姿勢、理解しようとする姿勢、そして、「安易に理解なんてできるものではない、それでも、尋ねて、聞いていくしかない」という覚悟。が、ほんとーーーーーーに大事だ。

対人関係に限らず私はついつい、思い込みで、理由づけして、早々に結論づけて、はい、終わり!ってなってしまいがちだけれど、そうではない。

誰かの感じていること、考えていることを理解するというのは、大変なことなのだ。

だから、『愛は努力』なのだなぁ。


赤薔薇ピンク薔薇


別の動画で見た、『コミュニケーションは、相手を理解する努力をしようとする二人の間に生じる結果である。』というのが、響く。

確かに、自分の主張だけを一方的に声を荒げて伝えるならば、それは自分の言いたいことは言っているかもしれないがコミュニケーションではない。

相手を理解しようとする、という目的が先にあって、それをする手段が、コミュニケーションということ。

はーーーー深い。

いくつになっても、新しい発見があって、新しい物の見方を学んで、より良い人生と人間関係のために、出来ることはあるんだなーー。と、気づきでした。


I had a super deep and intense time traveling with a group of coworking friends.  We had so much fun and so many drinks before and during the trip! One of our common interests was partnership and psychology.

There are many people who work hard every day with jobs that don't fit, bosses that pressure them, in-laws that are not nice, and so on.  I was wondering why they keep doing things that are so difficult.  One of the members said, "I understand them, because I am also a person who endures for a long time.  I know what it's like to put up with things for a long time.  I just endure and endure, and then time comes that I can't do it anymore. Then I think about what I'll do from then.  You worry about these people, but maybe you don't trust them."

These words were so powerful that I ruminating over them again and again...

Why are you hurting yourself so much?  Why don't you just run away?  So I would say simply, but I realized that I am not a patient person at all.  I realized that I should not be so worried about them.

"Worrying" seems to mean that you care about the other person, but it may just be blaming them or forcing your own ideas on them.  Of course, I don't want them to feel bad.  But in the end, it's their decision because they are independent adults. Even if they are doing something "because they have to", it is still their choice.  It doesn't change the fact that they are doing it of their own volition.

It seems to me, however, this "right to suffer" only applies when the person believes that they have the right to make their own life.  But even if they don't believe that, it may be that they have decided of their own volition that they don't believe that.

Anyway, so you can't know what the other person thinks or feels unless you listen carefully.  The important things are: the attitude of trying to listen, the attitude of trying to understand, and the determination to ask and listen knowing that there is no easy way to understand.

Not only in interpersonal relationships but also in work and stuff, I tend to make assumptions, make up my own explanations, quickly draw conclusions, and say, "Yes, that's it!  But things are not that simple.

Understanding what someone is feeling and thinking is a big deal.

That's why "love is an effort to make".


赤薔薇ピンク薔薇


I saw another video that said, "Communication is the result between two people who make an effort to understand each the other." This resonates with me.

If you only shout out your point one-sidedly, you may be saying what you want to say, but that is not communication.

The primary goal is to understand the other person, and communication is the means to achieve that goal.

It's deep.

No matter how old I get, there are things I can do to discover new things, learn new ways of looking at things, and make my life and relationships better.  It was an insightful realization to me.