5.29.2025

弾丸帰省した話。

バス少なくてやばかった… 乗り遅れて、1時間半待たねばならなかったので諦めて徒歩で帰宅。
皆これで日常生活送れているのかしら??
駅から歩いて20分というのはありがたいな。マンションは立地を買う、というのを身をもって体感。良いチョイスだと思う。


桜の木を選定したーー 切りたての桜の木の枝からは、桜餅の香りがしてびっくりした。


スナップえんどうがすくすくと育っている…

梅の実もすくすくと育っている…。季節は巡っていくし、植物たちは毎年元気だなぁ。高齢で畑仕事をできる祖父母も本当にすごい。

あと、道すがらにすごーく美しいピンク色の綿?みたいな花を見つけた。

きれい、かわゆい、美しい。

手触りもふわふわ。これはよい…


落書き 夏の鴨川デルタ

夏、暑すぎて鴨川で水につかって濡れたまま帰る、っていってた人がいたので…

夏がまたくるねえ。。。


↑久しぶりに落書き。

鴨川ピクニックで書き物会!

だいぶ前の話に感じるけど、5月11日は書き物会恒例、春と秋のピクニックでしたーー
鴨川のほとりでピクニックシートを敷いて、書き物に没頭する。
春の気候と、川音と、曇天が最高。眩しくない…
楽譜にラテン語の英訳を書く作業がはかどりました…
はじめましての方も、イツメンさんも楽し。
1年前に京都に来て、まだ知り合いとか友達とか少ないって言ってる人がいたので、これから増やしていけるといいねーと思いながら。
しかも、いつも室内会場を借りている私設図書館の方が自転車通勤で通りがかって気づいてくれたらしい。京都せまいねーー
大阪から来たという、主催者の方のお友達は、母娘で来ていた!すごい。大阪のおば…いや、お母さん炸裂で笑った。
あと、友達が二人もヨーロッパに行くらしい!パリ、オーストリア、フィンランド! なので、私もすごく行きたいなぁと思ってしまった〜〜 合唱のコンサート本場を聴きたいな!
なんか大充実な日曜日でした。


鷺ちゃんが麗しくポーズを取ってくれました。

 

5.28.2025

ジャスト食品という名の韓国料理店。

鳥半羽の唐揚げ!! 鶏肉にこだわりがあるという県からやってきた友達が手早く解体してくれた!コチュジャンソースと塩をつけて食べるのが最高に美味しいんですーー

久しぶり!のお友達が来たので、仲良し3人組でおかえり会した! 話が盛り上がり盛り上がり、解釈あり、物語あり、解説あり、推理あり、ツッコミあり。これほど短いと感じた3時間半は無い…。

めーーーっちゃ楽しかった…まだ話し足りないんだけどなーー

話す分量がちょうどいい気がする。だいたい、1対1対1くらいの割合で話せるし、途切れない。一つの発言がさらなる考え・発言を呼ぶ。しかも考え方がすごいんだよなーただの感情の吐露ではない(少なくとも他の二人は笑)ので、深いんだよな…

ありがたやです!! 

定期的な近況報告会。


ビーガンの友人と。

いやはや、まあ人生いろいろありますな。って感じの会話だった。
同年代なので、やっぱり1年1年早いよね、というのと、40代ってさ…みたいな話も。

いろんな話ができる相手がいるっていいね。

5.21.2025

素敵な誕生日でした✨🎂

遅ればせながらーーー
いろんな人達に祝ってもらえて幸せでした☆
いやーー30代もあと少しなのかーー え、そうなの??って新鮮な驚きですわ。
フラペチーノみたいな、ドライフルーツセット。嬉しいーー


コワーキングの方々が買ってくれた✨️ サプライズだった…嬉しすぎるーー

こういう手書き、めっちゃいいなあと思う♥
「この1年 悦びと愛と健康と素敵な人々に囲まれる素晴らしい年になりますように」と手書きのメッセージもいただいて…感動しました! ほんとそれらがあれば最高の人生じゃないですか、と思います💚😍

フライングでクッキーを焼いときましたのでちょっとは恩返しになったかな。今度こそ抹茶味とかに挑戦したいのだがちょっと勇気が出ずにいますわ🍵 ココアもありだな…。

カードも送ってもらった〜


5.15.2025

NODE.js を使って、複数のNoteの記事をまとめてPDF化して読み物風に保存する。JavaScriptでできた。

note.comの記事を、リーダーモードみたいにしてPDF化する作業をとりあえず自動化できたのでメモ。

まず、「特定のブログサイトの記事をスクレイピングして、Chromeのリーダーモードみたいな見た目でPDF化するプログラムってGASで書ける?」とChatGPTに聞く。

すると、Puppeteer(Node.js)というのを使って、リーダーモードっぽい見た目を再現することを勧められたのでそれをすることに。

5.10.2025

自分を愛する=自分が笑顔になれることをする

『いつも自分のせいにする罪悪感がすーっと消えてなくなる本』/根本裕幸 より。



自分を愛すると言ってもピンとこない人が多いので、自分を笑顔にする、とするとわかりやすい。

何が好きかな。なにがあったら笑顔になれるかな。どうしたら笑えるかな。

「こんなことをしていいのか?」と最初は罪悪感にかられるかもしれないが、自分が笑顔になれることを続けていくと、やがて気がつけば罪悪感は消えてなくなっている。罪悪感は、愛には勝てないから。

  • チョコレートを食べる
  • 読みたい漫画を好きなだけよむ
  • 好きなだけスマホゲームで遊ぶ
  • 時間を作ってゆっくりカフェでお茶する
  • ゆっくりお風呂に浸かる
  • 好きなドラマ、気になっている動画を観まくる
  • 服を買いに行く
  • 美味しいレストランで食事をする
  • 友達と時間を気にせずにおしゃべりする
  • 旅行の計画を立てる
  • マッサージやエステに行く
  • 髪を切りに行く
  • 好きな人に会いに行く
  • 知的好奇心を満たされることをする
  • 気になっているトピックについて気の済むまで調べまくる
  • 気になっていた名所に行ってみる
  • 美術鑑賞に行く
  • 鑑賞の感想を書く
  • 思いのままに絵を描く

など。後半はだいぶ私の好みが出てる…笑



5.09.2025

『いつも自分のせいにする罪悪感がすーっと消えてなくなる本』/根本裕幸



誰もが抱えている、罪悪感についての根深い話。
正直、重苦しい気持ちになることもあったけど、やっと読了。
根本さんは、行動と、その奥にある感情を結びつけるのが上手だなーー。

罪悪感の種類
傷つけてしまった、助けられなかった、というのはわかりやすい罪悪感の例だけど、ほかにもある。

恵まれていることについて、何もしなかったことについて「あの時こうしておけばよかった」、自分は毒であるという思い込みも。

親の罪悪感を鏡写しして、一緒に感じてしまい、引き継ぐこともある。

罪悪感は上手につきあい、人生のスパイスにする
罪悪感は、悪いものではなくて、上手く扱い、付き合っていくもの。
罪悪感を持っている人は、愛もたくさん持っている。罪悪感は愛の裏返し。

罪悪感を持っていると自分を罰してしまう。手のかかる人ばかりを選んだり、わざと傷つく結末になるようなことをしたり。自分は幸せになる資格がないと思いこんでいるから。

罪悪感を手放すために、親友に接するように自分に接しよう
親友が「自分のせいだ」と言ったとき、本当にそうか?と思うよね。そうだったとしても、「そんなこともあるよ」「大丈夫だよ」って言ってあげられるよね? 自分にもそう言ってあげて。

「罪を憎んで人を憎まず」の精神も大事。

自分のゆるし方
罪悪感を癒やすこと=自分をゆるすこと。

自分自身に「無罪を宣告する」。

「そうせざるを得なかった事情があった」と考えてみよう。自分に対しても、相手に対しても。

自分を理解し、受容し、自分らしい人生を生きることを自分にゆるす。

自分が愛されている証拠を探そう。人はさがしているもの、注意をむけているものを見つけ出す。つまり、自分が愛に値しないと思っている人は、その証拠に気がつく。自分が愛されていると思っている人は、愛されている証拠に気がつく。

投函しない、感謝の手紙を書こう。

「自分は幸せになってはいけない」という思い込みを手放す
自分の存在を丸ごと受け入れてもらえない、否定されるような環境で育つと、自分の存在に罪悪感を覚えてしまう。その罪悪感は、自分を傷つけ、幸せにしない感情。

そうすると、問題児ばかりと付き合い、自分のことを愛してくれる人に悪い態度を取ってしまう。「自分は幸せになれるはずがない、なってはいけない」という思い込み、観念があるから。

加藤諦三さんの本にもあったが、観念とは、「それをすれば傷つかない」と、自分に課したルール、思い込みである。でも、子供の時の見方は偏っているし、大人になった今それを使う必要はない。それを手放そう、ということ。

「私が愛されるわけがない」と思っている人は、優しくされると、それをテストしたくなって、ひどい対応をしたりする。「本当に私のこと愛してるの?じゃあ、このハードルを飛んで見せてよ!」

愛を持ってパートナーの罪悪感を癒やす
パートナーが、罪悪感から過労に陥っているとき。感情は共鳴するので、自分も、「助けてあげられなくてごめん」と思ってしまう。

で、癒着になる。「相方を助けてあげられない私はダメだ」と思ってしまう。愛ゆえに。
相手を助けようと、自分のことを後回しにする=自己喪失
これは、遭難した人を助けるために、自分も遭難場所に飛び込み、共倒れしてしまうこと。
でそれはいっそうパートナーの罪悪感を重くしてしまう。

まず自分の安全を確保するのが先決。

まず自分が切り離すこと。
「私は私。夫は夫。
私は私でしあわせになれるし、彼は彼でしあわせになれる。
私は彼の選択を支持し、彼の選択を応援します。
私は私でしあわせを選びます」
というアファメーションを唱える。癒着を切り離し、自分軸を取り戻す。

そして、相手を助けることに関しては、自分がやりたいと思うことだけやる。
自分を笑顔にすることにもっと時間を使う。
相手に「ありがとう」を伝える。
感謝は罪悪感を溶かす効果があるから。
愛を伝える。
たくさん褒める。


罪悪感を癒やして幸せになっていったたくさんの人達のエピソードもあり、希望が持てました…。


5.05.2025

最近なんだかんだ忙殺される話と、合唱団と、出会いの新陳代謝の話。

平日
けっこう馬車馬のように働く。

週末
・合唱団の練習
・犬猫ちゃんたちのお世話
・書き物MeetUp
・ちょい仕事
・読書、読書記録

などで風のように過ぎ去っていくーー その上、本も去年以上のペースで読もうとしてるからなーー

もう5月ですって!やばいーーー

ゆったりマイペースで過ごせるときと、時間のプレッシャーに追われてあたふた駆け抜けねばならないときの落差! これを「メリハリ」と人は呼ぶのだろう。

合唱団の練習が佳境に入ってきたので、曲を通しでやることも多く、歌っていてすごく気持ちいい…ハモりの迫力がすごい。皆さん声きれいだし。やっぱレベル高いなーー
 
100人超えの集団なのでとにかく声量がでかく、pp など弱く表現するところが「強すぎ!」と言われる。のがすごい。指揮者「mf 以上しかない(笑)」。地方の合唱団なんて人不足だからいかにパワーを出すかが問題なのに、ここでは逆に、いかに弱めるかが問題。「すごいなあ」しか出ない…。
そんな中に入れてもらえて、幸運ですわ。あわよくばテノールが増えてほしいけど…笑

コワーキングで、また一人、人生の節目を迎えて、去っていくかもという人がいて。その節目は、その人にとってきっと喜ばしい(不安半分、と当人は言っていたが)ものなので、ほんと、喜ばしいことなんだろうけど…。

今の時代、人々は、地縁というよりは、"タイミング"や"機能"でつながっているだけになりやすい。たまたま今つながっているから、という理由。長期的な関係を築きにくくなっているかもしれない。だって、転職、引っ越し、家族構成の変化、などなど、いくらでも遠くに行く理由、時間が取れなくなる理由は生じうるのだから。

それってもうしょうがないんだなーー。時代の趨勢。

その中でも合唱団はわりと、繋がりが長く続きそうな気はしているけど。
コワーキングにいれば、また新しい人が来て、新たな出会いもあるし。
だから、その都度その都度、築き直す、繋がりを新しく作っていくほかはない。
それは、私にとってどうしようもないことだから私がそんなに落ち込まなくてもいいんだ、と思おう。

繋がったことは事実だから、過去のことだったとしても、現在はそうでなかったとしても、なかったことにはならないし。そういうのを味わうしか無いなー。昔の友達のこととか思い出した。「昔の」なんて、つけたくはないのに。また、新たな出会いから始まるんだね。

繋がりの終わりを、「喪失」ではなく、「風味」として受け取る。まあ、言うは易しだけれども。

一つの土地に縛られて、藩から引っ越しも自由にできなかった昔とは違う。その利点を見つめて生きていこうじゃないか。自由は寂しさと表裏一体なのかもしれない。

なんてつらつらと思っている。