7.06.2009

アメリカと日本をエジプトからみると

今日長崎旅行に行った友人から、アメリカ人は原爆を落とすことを三年前に決めてずっと黙っていた、それからいきなり通告も警告もせずに原爆を落とした。それによって自分たちの強さを示そうとしたんだ、と言われた。

歴史認識の仕方がまったく違うことを、とても実感した。

彼は、だから、日本人がいまどうしてアメリカ人と仲良くできるか分からない、という。アメリカは、当初の予定では17か所近くに原爆を投下し、日本を壊滅させるつもりだったらしい。日本は確かに侵略戦争をしていた。軍事力で他国を支配していた。しかし、それを終わらせるための手段がまた軍事力であってはいけなかった。何の通告もなしに、何百万人もの一般市民を犠牲にしたことは公平でない。

しかし、だからといってアメリカ人と仲良くできないというのは別問題ではないだろうか。こう思うのは、私が戦争を経験していないからかもしれない。(だから軽はずみな発言は慎まなければならない。)しかし、原爆を投下することも、侵略戦争をすることも、敗戦国を占領することも、みんな当時の国のリーダーが決めたことである。責任があるのは彼らであって、62年たって出会ったアメリカ人に、嫌悪感を抱く理由はない。彼らも、自分で選んでアメリカ人になったわけではないし、私たちも同様である。国民である以上、その国の歴史をいやがおうでも背負うことになる。しかし、その重みを誰かのせいにしてもしょうがない。それがなぜ重いのか、は忘れてはいけないけれど。

平和ボケした考え方かもしれない。

だからこそ、自分がいま平和な時代に生きていること、昔、戦争という想像を絶する出来事があったこと、それを生き抜いてきた祖父母や親がいて、自分がいること、ときどき、思い出す。

アメリカ人とエジプト人は、友達になることができないだろうか。
個人レベルで考えたら、そんなことはないだろう。
逆に、彼は私が日本人だから、友達になったのだろうか。
そんなことはないだろう。


井上ひさしさんの小説「握手」の一節を思い出した。
「日本人とかアメリカ人とかカナダ人とか、そんなものが存在すると思ってはいけませんよ。一人ひとりの人間がいる、それだけのことですから」



こういったデリケートな話ができるようになったので、信頼されていると感じ、嬉しい。

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