1.25.2015

ちょっと暗澹たる文章…

あるネット記事で、日本の若者が子供を産まないのは彼らが幼いからだと書いてあった。
つまり自分のことで精いっぱいなのだと。この記事の要旨は、幼くない日本の若者たちが子供を3人くらい産めるように社会制度を整え、優遇する政策を取るべしということなのだと思う。

確かに成人式の報道などを見ていると、そう思われるような気もするが…
あんなごく一部の若者を、日本全体の若者像として捉えることは適切でない。

小学校から高校まで、ひたすら、いい大学に入っていい会社に就職するのが王道コースで、自分が何物で、何を求めていて、どうなりたいかを自身で考える機会というのはあまりない。(今はキャリア教育などもあるのかも?) いずれかの時期でいいから、学生のうちに、自分が何をしたいか、理想の姿を見いだせた人は幸運である。自己確立にかかる時間は人によって異なる。なりたい自己を実現できた、あるいは、実現できそうな見通しがついたとき、人は初めて、子供のことを考えるのではないか。子育ては精神的に成熟して、子供のために一定時間を全て捧げる覚悟がないとできない。自身が満ち足りていなければ、それは不可能だ。そういう段階にまで達する時間がより多くかかるようになったというのは、その通りかもしれない。それが自由の意味であり、重みであり、結果だ。

この記事の背景には、子供を産まないなんてけしからん、という思いが透けて見える、と私には思われる。自分の価値観にそぐわない考えを持つ者を批判しているように見える。結局、どんなに経済状況が苦しくても子供が好きでほしい人は産むんだ、だからそうしない若者は自分のことで手一杯なのだとの主張だが、じゃあ自分のことで手一杯の人たちが無理矢理子供をもって、その家庭は幸せになれるのか?虐待や育児放棄、学校活動への不参加など、親になる覚悟がないように見える人たちもたくさんいる。そうなってしまうのでは。

共働きでないと家計が苦しい、子育てを手伝ってくれる親戚や地域の援助もない、保育園は待機児童が多く入れるかどうかわからない…そんな状況で子供を「産みたくても産めない」人たちは、幼いのではなくむしろ、責任感があると思う。そして論理的だと思う。つまり、「産みたいが産むことを選択しない」。子供が健全に成長できるような環境が整っていないのだから、子供を産んでも安心して子育てできない、だから、子供がほしいという願望はしばらく我慢しよう、という思いがあるはずだ。そんな人たちまで一緒くたに幼いと批判するのはどうなのか? 子供の貧困や貧困家庭の連鎖が報道されている。こどもの6人に1人が貧困ライン以下で暮らしている。(彼らには社会的援助が必要で、そのためにこそ税金を使ってほしい。それはまた別の話題だけど)子供を産み育てるというのは非常に責任が重いことで、経済的にも精神的にも本当に安心してそれができる環境が必要だと思う。子供は親を選べないのだから、人の命が関わるのだから、軽々しくできる決断ではない。そんな重い決断に慎重になっている人たちを幼いとは、決して言えないし、言ったところで何の解決策にもならない。



1.13.2015

器の大きなひと

前向きで心の広い寛容な人と話すと、目から鱗が落ちる。
そんな理不尽な境遇でも、そんなポジティブな発言ができるなんて! そうか、そう捉えればいいのか! 腹を立てるより、そういうふうに思って片付ければいいんだ。といったような。結局考え方一つなんだ。

前向きに考えることができるのは、現在の環境に満足していて、カチンとくることもどうでもいいようなことに感じるからだろうか。求め過ぎないこともポイントな気がする。

器の大きい人とは、よく言い表せたものである。その器は、困難や苦労事を受け止めるためにある。人の分まで受け止めるためにある。そんな人の、幸せや嬉しい気持ちを受け止める入れ物は、逆にとても小さいのだと思う、多分。だから、幸せな気持ちはすぐに溢れ出し、ちょっとしたことにも感謝し、他の人にもそれをおすそ分けすることができるのだろう。

私はやっぱり心が狭いなあ。そして心を開かない。あー、大海のやうな人になりたし。

1.12.2015

がんばろう!!!(涙と笑顔)

何をどうすればいいかもよくわからないけど、
頑張ろうって思えた。
甘えてたなあと反省。

人が自分に何をしてくれるかじゃなくて、
自分が人に何をしてあげられるか。

いつもいつも、
全ての時間と全てのお金を自分のために使う生活だから、
麻痺していたのかも。
いかんいかん……。

誰かに何かをしてあげたい。
そんなことから幸せを感じたい。
昔、アンケートで「仕事で一番うれしかったことは」と聞かれ、
「ありがとうと言われた時」と答えたことを思い出した。

誰かに何かをする、あげる、教える、助けるなどのアウトプットの幸せと、
食べる、見る、学ぶ、買うなどのインプットの幸せがあると思う。
どちらも大事。片方に偏ってしまったら、もう片方がおろそかになって、
空虚な気持ちになったり、焦ってしまったりするかもしれない。

料理とか、掃除とか、そんなことから、きちんとしようと思えた。
雑用も進んでしよう。
とりあえずは。


1.04.2015

志高く

安定を肯定する人はたくさんいても、リスクを取れと背中を押してくれる人は少ない。
でもそういう人の方が、あなたの真価をわかってくれているのかもしれない。
現状がどんなに恵まれているか、笑顔で伝えてくれる人も必要。
でも、本当にそれでいいの?と、真摯な顔で問うてくれる人も貴重。

居心地の良い部屋の中で目も耳も塞いで、狭い世界にしか注意を払わないひとにはなりたくない。
大変だということは百も承知。
目の覚めるような年初めでした。
ありがたい。

初春の食べ物

今年のお正月は雪景色でした。。
日中4度くらいしかなかったり。でも美味しいおせち料理やご馳走をいただけて幸せでした☆ 良い年になりますように!!

お正月プレゼント

妹は新社会人だった昨年。
ボーナスが出たからということで、お年玉?御礼?御志?をもらいました!! 祖父母、両親にもあげていた。しかもちゃんと新札で。すっかり大人になって感動...!
おかげでいいバッグを買えました☆ ありがとうーー!!