Thoughts and notes of a researcher in plant genetics and nutritional epidemiology in Japan and the U.S. with a wide range of interests - choral activities, photography, nature, travel, and drawing. L'épanouissement personnel means personal development and fulfillment. Still in the middle of it, enjoying the process. 農学部、酒類企業研究員を経て、米国ミシガン州立大学で博士過程を卒業後、植物遺伝学と食物疫学の研究に片足ずつつっこんでいます。趣味の合唱、自然観察、旅行、写真、絵描き、国際交流など、いろんな記録です。L'épanouissement personnelは自己研鑽、実現というような意味です。生涯に渡って一緒に旅する人生のテーマ。
9.14.2025
月が満ちては欠けてゆく。はやい……
9.09.2025
『まんがでわかる妻のこと』/根本裕幸 監修 ポンプラボ シナリオ・文 松岡リキ 作画
- 夫の妻に対する甘え(他人事気分、話を右から左へスルー、問題に気づかないフリ、など)は、「甘え」と言えば聞こえのいい言葉だけど、その実は「妻のことを自分と同等と見ていない・軽く見ている・なめている・重要視していない」ということ。
- 大問題だと思う。
- 漫画でもグラグラ来るくらいに腹立たしい。
- そんなふうになめられた状態に甘んじている人ってなんでなんだろう。
- きっと、両親の姿とかを見て、「これが普通」と思い込んでしまっている人も多いのではないか…。
- コミュニケーションの大切さ。言い難いことほど。
- 「いつかわかってくれるだろう」「時が来たら変わってくれるだろう」では、伝わるはずもない。
- 不満を我慢すると、それは相手にとっては無かったことになる。
- 意思疎通、コミュニケーションの大切さが書かれていた。
- 考えや感情を言語化して伝える力と
- 口を挟まずに聞く力の
- 両方が必要!!
- これだけでけっこうな割合の問題が解決するのではないか、というくらい…。
- 相手の話をよく聞くこと。
- 聞くのは、相手の思い、考えを理解するため。
- 相手が話したいと思っていることを聞く。
- 怒っているのだったら、怒りたくて怒っているのだから、怒りたい気持ちを受け止める。
- 「まあまあ落ち着いて」は、相手の感情を否定・拒否していることになる。それでは相手の気持ちを受け止めたことにならない。
- 「自分に何ができる?」と問う。
- そして、言われたことを実行するよう努力する。
- 我慢しすぎていつかバクハツ→熟年離婚、が最近多い。でも、突然言われた方も寝耳に水で。「何も問題ないと思っていたのに…」。
- まずは言ってみよう。伝えてみよう。
- 相手に気を遣いすぎて言えないというのは、耳の痛い話だった…。
- 伝えたいことを相手が受け入れるかは、相手の課題。自分の課題ではない。
- 相手が聞く耳を持たないなら、その時は自分の身の振り方を考えよう。という話。
- パートナーシップとは、自分の成育歴(母親が全部やってくれていた、など)はベースにあるとしても、想像力を駆使して、二人の居心地いいところを探そう、作り上げようと努力すること。おんぶにだっこでは、パートナーを親の代わりにしているだけ。
- お互いに考えを言い合って、できるだけ二人とも納得できるような形にしようと頭をひねる中で、一人では思いつかなかったような抜け道のような解決策が生まれる。それは人間関係の醍醐味でもある。
- 「こうするべき」「こうあるべき」の「べきおばけ」
- SNSに見られるキラキラした世界、「一億総中流」、世間、対面、隣の芝生…などから、「こうするべき」「こうあるべき」という考えに縛られて苦しくなる。
- 本来、自分軸があれば気にせずにいられるもの。
- 自立は、自分の力で生きていくことだが、全て自分一人でやることではない。頼るべき時に頼れる人がいてこそ成り立つ。頼れる相手が誰もいない状態は孤立。「おかげさま」、「おたがいさま」の心で人と繋がろう。
9.08.2025
🔑カギかけたっけ?? 心配性すぎて困る。。。
「階段を登ってまた家のドアを確認しに行くか…めんどい。しかし気になる。いや、そんなこと言って、閉め忘れてたこと今までなかったやん。」
9.04.2025
アメリカでは(でも?)専攻や職種を変えるのって普通なんだなと思った件
アメリカ人の友人の話。
大学出たけど、それとは関係なく、マッサージの専門学校行ってマッサージ師になって、それから専門学校で教えて、で今度は金融関係の仕事をした。健康食品店とバーでバイトしながら。(健康になりたいのかなりたくないのか(笑)) で、次は何しようかな?という感じらしい。
そんなにいろいろと仕事を変えるって、わりと普通のことみたいで。社会の流動性も激しいし家賃や生活費が高いから、そうそうえり好みしている場合ではなくて、とりあえず何でもして生活費を稼がねば、というのもあるんだろう。
なんというか、何でもできるんだなーーと思う反面、ずっと同じことをしていたら人材としての競争力も低くなっていくんだろうか、相対的に。なんて思ったりする。
この道何十年、の玄人にも、その人にしかない、その年月を重ねないと得られない長年のカンと実力は、存在するとは思うけどな。
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夏のそら。 |
9.02.2025
9.01.2025
岩手の思い出。田んぼとだし醤油コーンパン
8.29.2025
🍺飲み会企画→緊張・不安→からの丸く収まって心の安心ログに記録された件
今日けっこう緊張してドキドキすることがあった。
8月中旬に、AさんとBさんと9月2週目に一緒に飲みに行こうって話をしてた。一応日付は仮決めしておいたんだけど、Bさんに今日会ったから聞いたら、11日は都合が悪いから12日でどうですかと言われた。なので、Aさんに改めて12日でいいか日程確認、3人でのLINEグループを作って聞いた。
その返信を待っている間、不安といたたまれなさがどんどん出てきて。「え…3人で行って何話すの?大丈夫かな?」と、軽くサーっと血の気が引いた。Aさんは仕事が忙しい時期だということが分かっていたので、追い込み中だろうなと予想はしていて、Aさんは気分の乱高下が結構激しい人(それを人にぶつけるタイプではないが)なので、「もー今忙しいのにー!」ってなってるのかも…と思った。そして、「誘っちゃったけど、皆行きたいと思ってくれてるのかな?迷惑とか、誰も行きたいと思っていなかったらどうしよう、でも断りにくいよね3人なんて。やば、とんでもなことしちゃったのでは…?!」とか思って、ヤバイヤバイヤバイヤバイ…(滝汗)ってなってた。その間も、仕事は粛々と続けていたのだけど。本当に私は感情を隠すのが得意。
で、結局、返信通知も来ないので、私は2人とも既読スルーもしくは忙しくて見れてないと思って、怖くてスマホを放置していた。3時間後、意を決して開くと、なんと私が送った1分後にAさんから「12日OKです!楽しみにしてます!」って。そこから、いつものBさんの軽口も加わってた。沈黙していた(ように見えてた)のは私だったという。。。
よかった、安心した。というか、私の自信のなさと不安症がもろに出たエピソードだったな。幹事とかあまりやったことないし、緊張した。気分の浮き沈みが激しい人に、忙しいって分かってるタイミングで声かけるって、小さい頃の母の機嫌の乱高下を思い出して怖かったんだろうな、と自己分析。これは、そういう人に忙しいタイミングで声をかけても大丈夫、という経験が一つできたということで、自分の頭の中でのルールを書き換える事例の一つにきっとなる。
この件の教訓をまとめると…
・私の不安トリガーを認識できた:「感情の上下がある人×忙しいタイミング→怖い」
・「怖かったけど、結果は全然大丈夫だった」体験の記録ができた。
ふむ。こういう出来事って、感情が揺さぶられるから記憶の彼方に追いやりたくなるけど、内省すると学びがあるなあ。
🍺🍺🍺
8.28.2025
宮沢賢治記念館の周りののどかな景色と東北新幹線初乗車
宮沢賢治記念館の後の目的地は本日のお宿がある北上駅。在来線の花巻駅経由で北上駅に行けるけど、2時間に一本くらいしかない(!)。
ので帰りは記念館から1.7キロ歩いて新花巻駅まで行ってみた。ひょっとして、新幹線に乗って北上駅まで一駅ひゅっと行けるのではないかと。無理だったらタクシーで花巻駅に行こうとプランBを立てつつ。
道中は、大変のどかな感じでした…
もう稲穂が実りつつあり、やはり北国は稲作が早いな。
新花巻駅で久しぶりに紙の時刻表を繰り、各停(と呼ぶのか?)の新幹線やまびこ号は北上駅に停まってくれるらしい!ということで、東北新幹線で一駅乗った。新花巻から北上まで7分乗車だった!
これはとても良い選択だった。タクシーで花巻駅まで行ったらそれだけで2500円くらいかかるし、それからまた30分に一本くらいの在来線で花巻から北上への電車に乗る必要がある。新幹線で時間もお金も節約できました。
東北新幹線は初乗り。旅行者というよりは、普段使いみたいな人が多かった印象。その一駅区間は1120円(自由席)でお安いので、新幹線通勤とかできるかもな、と思った。
ともかくも蒸し暑い中冒険しましたーー
新幹線の駅からの眺めが田園風景って、なんか非現実的(surreal)な感じがした…
宮沢賢治記念館 In 岩手・花巻。文芸も科学も縦横無尽に才能を発揮した農学者。
岩手、花巻空港からタクシーで15分くらい、宮沢賢治記念館に行ってきましたーー
小説、童話、詩歌、絵、宇宙、植物、宗教、農学まで勉強の幅が広い広い。
「心象世界」という言葉が何度も出てきた。心に浮かびあがる想像の世界が本当に豊かだったんだろう。
豊かな感受性と鋭い頭脳を併せ持っていたんだな~。学校では特待生、級長をよくしたと書かれてあった。
特に印象に残ったのは、賢治が元教え子柳原昌悦に書き送った最後の手紙。
「僅かばかりの才能とか、器量とか、身分とか財産とかいふものが何かじぶんのからだについたものででもあるかと思ひ、じぶんの仕事を卑しみ、同輩を嘲り、いまにどこからかじぶんを所謂社会の高みへ引き上げに来るものがあるやうに思ひ、空想をのみ生活して却って完全な現在の生活をば味ふこともせず、幾年かゞ空しく過ぎて漸く自分の築いてゐた蜃気楼の消えるのを見ては、たゞもう人を怒り世間を憤り従って師友を失ひ憂悶病を得るといったやうな順序です。」
賢治にこういった考えがあったとは知らなかった。
もちろん才能はあっただろう。文芸から科学、宗教まで、博学多才とは彼のことだ。農学校での教諭という恵まれた地位を捨て、農業の生産性を上げて農民(賢治は「地人」と呼んだ)の生活を豊かにするためにいろいろな団体を立ち上げたり奔走した人生だった。ので、これを賢治自身が「慢」という「今日の時代の巨きな病」ゆえであるとしたのは意外だった。
自分の仕事を卑しみ、というのは農学校の教師のことだろうか…。
慢心というか、自分の能力に自信がないと団体立ち上げなどはできない。農業を興隆させることで、賢治自身、何か「社会の高みに登りたい、出世したい、ほめたたえられたい」というような欲求があったのだろうか。
「風のなかを自由にあるけるとか、はっきりした声で何時間でも話ができるとか、自分の兄弟のために何円かを手伝へるとかいふやうなことはできないものから見れば神の業にも均しいものです。」
そうだよなあ、病床の人が言うので本当に説得力がある。
「どうか今のご生活を大切にお護り下さい。上のそらでなしに、しっかり落ちついて、一時の感激や興奮を避け、楽しめるものは楽しみ、苦しまなければならないものは苦しんで生きて行きませう。」
というのが深い。これは柳原昌悦だけではなく、現在の私達にも通じる「生へのまなざし」だろう。
日々の慌ただしさや慣習に乗っかって、適当に済ませたり、軽率な行動をしたり、油断したり。そういう、私たちが普段ついやりがちなことへの警鐘にも思えた。
8.27.2025
たまたま見つけた諏訪神社と桑の葉蕎麦。
鴨川デルタで水上ピクニック。橋の下で涼しく、水遊びを満喫した京の夏。
8.26.2025
失敗を回避するための選択ではなくて、「どちらを選んでも幸せになれる」という自由な心を持って選択すること。
ちょうど、自分軸でこれからの行動を選択する、とか、自分がすっきりするために自分が伝えられることは全部伝える、本気を示す、そしたら後悔せず先に進める(「レッツ玉砕♪」)みたいな話で盛り上がった。
お友達が紹介してくれた、ある心理カウンセラーさんのメルマガが、ピッタリのネタを書いてたそうで、紹介してくれた!
自分軸でなかなか行動できなかった過去の私。15年くらい前に読みたかったなあ――(笑)
<以下引用>
◇━━━━━━━━━━━━━━━━
「選ぶ」とは「どっちでもいい」こと
◇━━━━━━━━━━━━━━━━
たとえばレストランで、
ハンバーグにするかカレーにするか、
延々と迷っている人がいるとします。
こういうときって、
「どっちかが正解で、どっちかが失敗」
みたいに思い込んでるんですよね。
でも実際は、
どっちを選んだってお腹は満たされるし、
人生に大きな影響はほとんどありません。
なのに、頭の中では大騒ぎ。
「ハンバーグにして後悔したらどうしよう」
「カレーのほうが美味しかったら?」
……で、余計に決められない。
*
ここで大事なのは、
「選ぶ」ことと
「失敗を避けること」は違う、
ということ。
「失敗を避ける」は、
失敗が怖くて動けない状態。
表向きは選んでいるように見えて、
実は “恐れに選ばされている” だけなんです。
一方で「選ぶ」とは、
自分の意思で決めること。
恐れからではなく、
「どっちでもいい」と思える
安心感の中でこそできる行為です。
*
「どっちでもいい」とは、
投げやりな言葉じゃなくて、
自由を取り戻すための合言葉。
そう思えた瞬間に心はスッと軽くなり、
初めて自分の好みや本音に気づけるんです。
AでもBでも幸せになれる。
むしろ、どっちを選んでも
“自分なら”幸せに生きられる。
未来を幸せにするのは、
選んだ道じゃなくて、
その先を歩く自分自身なんです。
今、何か選べずに困っている人
人生の岐路の選択で迷っている人
「どっちでもいい」
「どちらでも自分は幸せになれる」
と、恐れを手放してみてください。
幸せになった未来を
身体の感覚とともに想像してみてください。
ちゃんとその未来が、
あなたのもとに創造されますよ(^ω^)
8.25.2025
余談:聴く技術
- 「早合点しない」
- 「理解したと思いこまない」
- 「相手が話し終わるまで待つ」
- 「質問して理解を深めようとする」
- 「『私はね』と話題泥棒をしない」
- 「『〇〇と思ったんだね』と感情を理解してくれる」
- 「『それはつらいよね』と共感を示してくれる」
- 「求められていないアドバイスはしない」
8.24.2025
【体験談】アメリカで車の事故して、カウンセリングがなかったらマジで心が壊れていた話。
前回の「カウンセリングのすすめ」続きです。
私の体験談をお話しします〜
私がカウンセラーさんに最初にお世話になったのはアメリカで交通事故を起こした時でした。何年も経ったのでこうして語れますが、長らく本当にトラウマのような出来事でした。
⚠️⚠️⚠️ 同じような経験がある方、トラウマがある方は自衛をお願いします! そんなに怖い結末ではない、つもりですが。
背景情報
私はアメリカの大学院に通ったので5年間アメリカに住んでいました。車がないととても不便な小さな街だったので、アメリカの運転免許を取得し、中古車を買い、大学院も買い物も全て運転して行っていました。
私の住んでいた州の高速道路は制限速度が時速75マイル(時速120キロ近く)でした。道がものすごく真っ直ぐなので、全然速く感じないのが、また恐ろしいところです。アメリカで車に乗る人、本当に気をつけてほしい…。
その時…
ある日、学会の帰りで夜中に走行することがありました。
はしょって言いますと高速道路を歩行していた歩行者にぶつかったということになるのですが。右から来ていたので全く見えなかったのですが、正面ではなかったのが幸いして、相手方はケガはしたけど命に別状はなく、だったそう。それは後から知ったので、その時は、高速道路で人をはねて無事なはずがないと思ってもうパニックでした。
その後は、警察を呼んだり(初めて9−1−1を押したのを今もはっきり覚えています)、病院に連れて行ってもらって私が怪我がないか確認してもらったりしながら、「一体何が起こっているのか…?」夢か現か分からない状態でした。
車は警察が検分のために移動し、事故だったということで深夜2時くらいに家に返してもらい(しかもパトカーで1時間くらいかけて送ってくれた)、どっと疲れて寝たのですが、あまり眠れず、当然ながら翌朝から不安と後悔とショックが一気にやってきました。
学期の真っ最中で、授業も普通にありましたし、博士課程の中間試験(予備審)も控えていたのでとりあえず行ってこなしていましたが、心ここにあらずといった感じでした。
数日泣けませんでした。ショックが大きすぎると、泣けないんですね。
なんかとにかくもう、受け入れられないのです。
本当なの?と。
それから、土日が来ることになり。授業もない、人にも会えない。「あ、ヤバいな。」と瞬間的に思いました。一人だと気がおかしくなりそう、と。
大学の人に伝えるのも怖かった。何て言われるか分からないし、そもそも一言その話に触れたら涙が溢れそうだった。幸い、大学には学生・職員のためのカウンセリングサービスがあり、学内で無料で受けられるということを知っていた。
わらにもすがる思いで「Crisis」という特別枠で申し込んだ。「Crisis」枠は優先度が高くなるということを直感的に察知したのだと思う。ここでの私の自分を守る決意を褒めたい。
カウンセラーさんには得意分野がそれぞれあり、「交通事故」と書かれたカウンセラーさんがいました。
40分くらい待って、カウンセリング室に通してもらいました。
カウンセリング室にて…
カウンセラー部門全体の雰囲気が、すでに、リラックスさせる、優しい、穏やかな雰囲気を持っていました。カウンセラー室もそんな感じで、柔らかな日光が注ぎ、カウンセラーさんと45°の角度(正面から向かい合うより落ち着いて話せる角度です)で話せるようになっています。
カウンセリング室に入って、その安心できる雰囲気を感じた瞬間、涙が滝のように溢れてきました。それまで泣けなかったので自分でもびっくりしました。まさに堤防が決壊したような感じでした。
カウンセラーさんは、慣れた様子で、「大丈夫ですよ。」と言いながら席に案内してくれ、私が落ち着くまでしばらく待ってくれました。
最初に、「あなたの相談内容は他言しません。カウンセラーと会っているということも知られないよう、外であなたに会っても、あなたが先に挨拶して来なければ、私からは挨拶しません。」など守秘義務の徹底を話してくれました。しっかりしたシステムですね。さすがアメリカ。
事故のことを詰まり詰まり、全部話して、カウンセラーさんは、ただ静かに、うんうんと聞いてくれました。
「ショックでしたよね。自分も、家族がそういうことに遭ったことがあるから、よくわかります。」って、うるっとしながら言ってくれました。この人ほんとに、相手の感情を感じちゃう人なんだろうけど、それが彼を凄腕のカウンセラーにしているし、同時に、すり減る仕事でもあるだろうなあ、なんて感じ入ったものです。
もちろん、「信じられない!」とか大げさな反応や、「深夜に運転するなんて」などの批判とかは一切無かったです。もし、私に過失のある事故だったとしても、これは絶対に言ってはいけませんし、カウンセラーは言わないはずです。自分が悪い、って後悔の念に押しつぶされているのは当人なのだから。
私は裁判を起こされるのがとても怖かったし不安だったのでそれも伝えました。アメリカの裁判文化は極端ですしその費用も膨大です。カウンセラーさんは、「裁判については、相手方次第というところはあるけれど…。」と、期待は持たせない冷静な視点も持っていました。「でも、普通に考えて裁判しても負けるだろうから、してこないとは思うけれどね。」
「学業は今どんな感じ?」「指導教官は理解がありそう?」「休みたい?それとも…」と、いろいろと聞いてくれて、私がこの精神的にとてもつらい事故直後の状態を何とか乗り切れるようにいろいろと確認してくれました。
最後に、「土日になるけど、もし何かあったらメールアドレスにいつでも連絡して。僕は土曜日の夜に一度だけメールを確認するようにしているから。」と、ちゃんと自分の境界線(この時間だけ)を保っていてそれを伝えられるのも、さすがプロのカウンセラーだなと思いました。
とりあえず、話せてとても楽になりました。不安はまだありましたし、状況としては何も変わっていなかったのですが、とても気分が落ち着きました。そして、「何かあったらまた相談できる、一人じゃない」と思えるのはとても心強かったです。話せば楽になるって本当なんだな、と身を持って実感しました。
カウンセラーさんとは、状況報告も兼ねて、その後何度か話しました。そのたびに、「ああ、落ち着く…。」と思えて、カウンセリングを利用して本当に良かったと思っています。
本当に、一人では乗り越えられない出来事でした。
後日談
それから数週間は、予備審を受けたり、弁護士にも相談したり、車の処理対応をしたりしながら過ごしました。事故の全貌も明らかになりました。相手方(20代の学生ということでした)は、徹夜明け?の眠い状態で高速を運転していて木にぶつかり、意識が朦朧としたままフラフラと車から出て歩いていたところ私の車にぶつかったということでした。もう信じられない話ですが、アメリカではこういう極端なことが本当に起こります…。彼のお父さんと話したという警察の巡査が電話をしてくれて、「とりあえず生きてる、訴訟などは起こすつもりはない、息子が悪かったから」と言っていたと伝えてくれました。高速道路での事故ということを考えれば、考えうる最高に幸運な結末だったと思います。
たまたま木にぶつかってフラフラ歩いていた人がたまたまそこを走って来た私の車にぶつかるってどんな確率??と思いますが。その事故までは、私は日米の運転歴が通算10年くらいあって、無事故無違反だったので、衝撃でした。
運転に対する見方は変わりました。運転は今もちょっと怖いし、できればしたくないです。ちょっとした判断ミスが大怪我につながると思うと、リスクとリターンが見合わないなと思うようになりました。昔は毎日運転する田舎に住んでいたのですが、今は運転しなくていい都会に住んでいて、本当に助かるなあと思っています。
そんな私のカウンセリングとの出会いでした。
8.23.2025
自己主張していきます!それは私の課題。相手がどう反応するかは、相手の課題。
8.22.2025
米イーストランシング市でラーメン1杯は$18.8≒2,700円だった。ひえーー🍜
アメリカの物価高がヤバい。
先日京都でラーメンを食べた。駅前でけっこうおしゃれなお店だったのでそんなに安くはなかったけど、ドル換算で$8.21だった。
「え、8ドル?? 安…。」と思わずにはいられなかった。アメリカで暮らしていたら、8ドルで買えるものは限られている。まして外食はできない。カフェでコーヒーを飲めるくらいかな。18-20%のチップも渡さなければならないから。
そこで調査研究課題。
「私が住んでいたイーストランシング市で、今ラーメン一杯食べたらいくらだろう?」
イーストランシング市のラーメン屋さんを検索してみて、検索上位3店について、ざっとメニューを見て平均価格を概算した。(特別な食材が載っているなど、高いメニュー品は除く。)
その三店舗での価格がこちら。+20%のチップを入れると、
$20 x 20% = $24
$13 x 20% = $15.6
$14 x 20% = $16.8
これらのお店の平均を計算すると、$18.8。日本で食べた価格、$8.21の倍以上かーーと驚愕。そして1ドル147円で計算すると2,763円だった。さらに驚愕。
1店目の$20がちょっと平均を引っ張っている感はあるが、アメリカで外食すると$20越えは普通なので、突飛な数字ではない。
ラーメンは安い方なので、イタリアンとか行くともっと高いと思う😱
都市によってももちろん違うだろう。ボストン市とか、物価がべらぼうに高かった。
いやはや…。よっぽど収入が高くないと外食できないですね。
せやねんなーー。だから結局アメリカに住んでも自炊が主になるし、文化的施設も大都市に行かないとなくて、大自然はあるけど、外食もしにくいし、なんか物足りないんだよねーって感じになるんだよな。アメリカで仕事したいって思わんでもないんだけど、仕事以外の生活のことを考えるとやっぱり躊躇するよなーー。結局4年前に出した結論と一緒である。と、帰ってきたちょうど4年前の8月のことを懐かしく思い出したりしている。成田近くのホテルで2週間缶詰だったなーーあれから4年なのかーーなつかしいーー
8.21.2025
自分のカイゼン例3つ:几帳面さ、やりたいこと実現、心理学でメタ認知力。人はまだまだ進化できるね!
Empowermentとして、自分を変えられた事例も思い出しておこう。
1.雑→几帳面へ
若い時はけっこう雑なところもあった。ファイルとか、びっちり揃えるのではなくて、わざと乱雑にしておくのが格好いいとも思っていたフシがある。でも、社会人になって、それじゃあ仕事の効率が悪いな…整理整頓したほうがパフォーマンス上がるな、と気がついたのでそうするようにした。今では几帳面に何でも整理、分類、メモしておく習慣ができ、揃ったものを見るととても快感。クライアントにも喜ばれる。
2.引っ込み思案→やりたいこと実現
したいことをする、大学院留学を選択できたこと。昔から留学したかったけど、費用が高額だし、とか、交換留学でしても一年留年するだけだし、とか、とりあえず新卒カード使っていい会社に入ったほうが有利だし、とか何かと理由をつけて挑戦しなかった。でも、やっぱりやりたいなとずっと思っていた。その気持ちにずっと蓋をしてても人生送れたと思うけど、思い切って行動して本当によかった。一旦決断すると、割とするっと研究室に受け入れてもらえたり、英語の試験通ったりするわけです。親が一瞬反対してきたりもしたけど、ほんとに行ってよかった、頑張ってよかった。それは、自分の意志で人生の決断をしていく、そしてそれが上手く行った、という成功体験になりました。
3.感情・観念に振り回される→心理学でメタ認知
人の感じ方、行動、考え方まで、どうしてそうなるのか、いろいろな背景やパターン、理屈や説明を学ぶことができ、自分の心と頭に何が起こっているのか、どうして同じような問題にいつもぶち当たるのか、なども見当がつくようになった。学びはまだまだ現在進行中だけど。なんにも知らなかった頃に比べれば遥かに知識もメタ認知力も上がり、客観的に自分の心を観察して、「こういう理由で、こう感じていて、それは小さい頃に作ったこの観念が原因かもしれない。でも、それは書き換えられるよね、今。私は自由だもん。」みたいな思想ができる。これは武器。マジで義務教育で教えるべき内容である…!
うんうん、これは希望に溢れたストーリーである。人ってまだまだ進化できるね!だって、知識も経験も人生年数が増えるに従って増えてくんだから、調理道具も調味料も多様になっていくわけです。そりゃあ対応できる献立や食材も増えていきますわ。
8.20.2025
ケンカしない、じゃなく、心の波風を伝えて解決できる人になりたい。
私はケンカしないほうです。
しかし聖人君子の心は持ち合わせていないので、必ずしもいつも心が凪なわけではない。心の波風を、出せないだけだったりする。
ケンカしない(感情的な言い合いをしない)にも2種類あると思う。
1️⃣抑圧してる、言えないだけ。
2️⃣上手に伝えて、問題解決している。
私は1を選んでるだけだな、ととみに気付かされることがあったので、ケンカしない人じゃなくて、感情的な言い合いをせず、自分の心の波風を丁寧にはっきり伝えて、問題解決する人になりたい。
根本カウンセラーの釜飯事件の記事にあったけど、
相手の機嫌が悪い時、「自分の力及ばず…」とか、
自分がガマンしないと関係が成立しない、
ってついつい自動思考で思っちゃうけど、本当はそうじゃないんだよね。背負いすぎ。
それをずっと続けるんでしょうか、って自分に問いたい。いつも、その場しのぎというか、j我慢してでも問題を起こさないようにして、長期的な影響はあまり考えずにとりあえずその場を乗り切る、やり過ごす、というのもクセになっている気がする。
あと、「自分の気持ちに素直になったら何がダメなの?」
断られるのが怖い→断られたらどうなるの? 傷つく、嫌な気持ちになる、嫌われたと思ってしまう。
→ほんとに傷ついちゃうの?傷ついたらダメなの?立ち直れないの?
→いやな気分になったらだめなの?立ち直れないの?
→ほんとに嫌われるの?そうでもないよね?
というふうに、自分に問い合わせをしていくことも有効ですね。幼い頃から握りしめてきた思い込みを手放すために。
8.19.2025
すんなりNoを言えた成功体験。
ある知り合いから、「◯◯に関する講義をしてくれませんか。あと、あなたの知り合いのXXXさんを紹介してくれませんか」とお願いされた。
その内容は、まだあまり親しくなっていない段階での依頼内容としては、ちょっと負荷が大きい感じだと思った。何だろう…ダメでもともと、OKなら儲けものという感覚なんだろうか。
以前の私なら、いい顔をしたい、とか、できる人でありたい、とか高い理想と気遣いで引き受けた…かもしれない。けど、今回は「え??😳 それはちょっと厚かましくない? したくないわ」と思ったので、素直に、「講義は苦手なのでパスさせてください。知り合いのXXXさんは、今そういう状況ではないようなので難しいと思います」って言えた!
素直に即お断り、で、何の問題もなかった! ので、これは成功体験として記しておきたい。
自己犠牲なんかしなくてもOK!!
8.18.2025
おぼん。Bonfires on Bon holiday
8.17.2025
「話を聴く専門家に、他言される心配もしがらみもなく、思いや感情の整理を手伝ってもらえる。」カウンセリングのすすめ
- 他言される
- しがらみ(気を遣う)
- 求めていないアドバイスをされる
なんで感情の解放が必要なの?
全員が必要ではないかも
カウンセリングが役立つ時は訪れる。それが人生で、それが普通。
プロカウンセラーに話すメリット
①話を聴くプロ
②守秘義務がある
③しがらみなく話せる
④自分では気づけないことに気づいてくれる
じゃあ、聞き上手な友人や家族とは何が違うのか?
カウンセラー探しは元気なうちに!
余談:合わないカウンセラーさんは、いる。
次回予告! 私がどん底の時のカウンセリング初体験
8.16.2025
NewsWeekに載っていた、「長女症候群」がけっこう当たっていてドキリとした話
「長女の苦しみ」は大人になってからも...心理学者が教える「長女症候群」からの抜け出し方
https://www.newsweekjapan.jp/stories/lifestyle/2025/08/564066_1.php
これやばいなーー
当たりすぎてドキッとする。目を背けていたものを眼の前に出された感じ。
長女症候群の特徴:
- 幼少期から世話役・支え役・感情の拠り所を担う、家族の「感情の温度計」として空気を読む。
- 親・養育者の役割を背負わされる(親化(parentification))。
- 「休むと怠け者」と刷り込まれ、忙しさが自分の価値となっている。
- 思考が止まらず、リラックスできない、眠れない。
- がまんすることにより、家庭内の危機管理役を大人になっても続けてしまう。
「親化」はそんなに強くなかったかもしれないけど、自分を出すことは早々に諦めて、相手に合わせて生きていく、自分が我慢してその場を丸く収めるというのが習慣になっていたと思う。
「忙しくいてこそ価値を感じる」のは長女症候群の一つ。自分が頑張って家庭を機能不全から守っていたから、自分が休んでしまったら世界が崩壊してしまうのだ。
そのような自覚は、なくはない。(だから、妹が自由奔放で自己を確立していて早々と結婚相手を見つけたのは、その環境を作っていた私の功績もあるんじゃないかとか思っている笑)
文系に行きたかったけど理系に進んだのは、「手に職をつけたい」という理想もありつつ、自分の欲しいものを主張する自信がなく、楽(自分が興味があることをしているから楽だ、という意味での「楽」)で楽しそうな文系に、罪悪感があったんじゃないかと今になって思う。
自分が自分であることは、あなたを大切にしてくれる人に対しての唯一の責務である、って言う言葉が響く。
単純に学業で成果を出したりするのは楽しかったし充実感はあったし。実行力とか仕事の能力は多分高い方なんだろう。それと、人間関係調整能力、対人能力とは全然別の力なんだなっていうのは最近気がついた、という…。
「本当の休息とは、単に体を休めることじゃない。『自分が動いていないと、世界が崩れてしまう』という思い込みを手放すこと。その信頼を、自分の中に育てていくことなんだ」
- 自分が自己主張しても相手は不機嫌にならない
- ケンカしても関係は終わらない
- 自分が楽をしても世界は崩壊しない
っていう成功体験を、少しずつ積み上げて行こうと思う。
8.04.2025
少林寺拳法のいいところを教えてもらったら人生の大事なことにも光の当たる示唆深い内容だった話。
少林寺拳法のいいところ:
コミュニティ(居場所、所属)ができる。子供から大人まで。
ボランティアでやっているので変な人がいない。
礼儀、忍耐力が身につく。
背後に仏教を基にした哲学がある。
筋肉つく、太らなくなる。
護身術が身につく。
ストレスが溜まっている状態の反対は「没頭」。
8.03.2025
自分のしたい仕事、それで飯を食えるか問題、AI問題、なんかいろいろと語った。
キャリアの考え方について5−6人でお話する機会があったのでメモ。。。勉強になるーー!
「自分のやりたいことだけで仕事を選ぶとつらいかも。」
Tさん「環境保護、資源保護に貢献したかった → そういう事業をしている会社に入ったけど、下水処理の部署に配属された。できて当然、できなかったらすごいクレーム来て怒られるキツい仕事だった。」なぜそれを続けられたかというと、職場の人間関係がよかった(「この人たちのためなら頑張ろう」と思えた)ことと、下水処理の機械の仕組みなどを学ぶのは面白かったから。利他的な大きな目標に忠実に生きるというのは大変かもしれない。そのストレスに耐えられるかは考えたほうがいい。例えば国境なき医師団は幸せなのか?とか考える。
耳障りのいい言葉、社会貢献で自分の進路をガチガチに固めるのも怖いなと。自分の興味、無理なくできる、という基準も大事。」
「好きなこと・できること・強み」の3要素
Sさんの友人が最近出した本では「好きなこと・できること・強み」の3つの要素を考えるそうだ。「できること」と「強み」が別で扱われているのが興味深い。
「できること」でも、それをすることでただ消耗する、しんどい、ということであれば続かない。私は接客をやろうと思えばできるけど、ただ消耗するだけなので、できることではあっても強みではないということか、なるほど。
強みとは、「自分では当たり前のようにできちゃうこと。だから、自然とそれをやろうと活力が湧いてくること。」「難なくすることができて、それで人に感謝される」という仕事が一番無理なく続けられる。接客だって、「大好き、何時間でもできる、生きがい。」という人もいれば、「一人で作業するの大好き。そのクオリティを上げるのに快感を覚える。」という人もいる。まさに適材適所。
だから、ただ「手芸が好き・得意」ってだけでそれを仕事にするのではなくて、それが自分の強みも活かせるものなのか=すなわちお客さんのためにそれをやろうという活力が自分から湧いてくるのかどうか、を判断せよ、だそうだ。
●手芸が好きで、それを職業にできる人=自分の作るもので、どうお客さんにどう喜んでもらおうか、もしクレームが来たりしても、じゃああれをしてみようか、これをしてみようかと活力が湧いてくる。
●手芸が好きだけど、それを職業にするのは向いていない人=お客さんに喜んでもらうためのアイデアが浮かばない、自分の作品を売ってお金にするプロセスのどこかの部分がしんどい、苦しい。
なるほど…。
八木仁平さんの 好きなこと×得意なこと×貢献したい分野 という方程式もあったけど、まあだいたい同じことを言っているかな。
では私の強みとは…
私は
- 論理的に物事を考え、それを文章で説明する
- 実験結果を効果的に伝える図表を作成する
- 分析的な視点で物事を見て評価して考える
- 整理整頓する
といったところが好きで得意で強み、活力が湧いてくる、趣味でもしたい、っていう感じ。なので、研究はやはり向いているんだろうな。さぁーーどうするかなーー
カウンセリングで、内にしまいこんでいた感情を大掃除する。
- いままで努力していろんなことを成し遂げてきたから、「できる自分」「努力する自分」がデフォルト
- 生育環境とか性格から、「相手の機嫌の波・変化を受け止め、自分は自己主張しない=価値がある=愛してもらえる」という方程式ができている
7.31.2025
『音楽力が高まる17の「なに?」』/大嶋義実
5カ月スピード婚の詳細を根掘り葉掘りする会。ビストロでの午後のひと時
巨大な関係者ちまきと、シャンパン味ガミーベア🐻 書き物会にて。
写真日記みたいな一コマ。
書き物会で使わせてもらっている会場は祇園祭のすぐ近くなので、関係者限定のちまきをもらったりするのだそうだ。市販のサイズの数倍する巨大なちまきを発見してびっくり。ご利益ありそうだなーー
こちらの会場とのお付き合いもずっと続いていてありがたいなー。