ベストセラー、『幸せになる勇気』の前に出ていた第一冊目。知らずに『幸せになる勇気』から読んだけど、この度ついに『嫌われる勇気』も読んでみた!
ベストセラー、『幸せになる勇気』の前に出ていた第一冊目。知らずに『幸せになる勇気』から読んだけど、この度ついに『嫌われる勇気』も読んでみた!
『嫌われる勇気』は、他者の期待に応えることなど考えずに自由に生きて、やりたいことをやる、というような内容。人間関係の悩みがあり人生がしんどい人に、どうやってそれを脱却するか、つまりどうやってマイナスをゼロにするか、を説く本。
それに対して、『幸せになる勇気』は、どうやってそれから愛と交友の関係を築き、幸せな人生にしていくか。つまり、どうやってゼロをプラスにしていくか、が書かれている、と書評か何かで読んだ気がする。
哲人と青年の対話形式で話は進んでいくが、今回は、この青年にあまり感情移入できなかったな。別にそれは問題ではないのだが。そういう人もいるだろうな、また、そういう考えとか思いを持っていたらそりゃあ人生つらいだろうな、と冷静に見れたりした。
青年は、アドラー心理学を研究する哲人にいわば挑戦状を叩きつけ、「承認欲求は人間本来のものだ!」とか、「誰しもすごいことを成し遂げたいものだ」「ではこの凡庸な人生を肯定しろと?」とか、血気盛んで、かつ自分のやりたいことが見えてない、焦りばかりが募る若者っぽさが出ている。ので今回は、こんな尊大な態度で反論してくる若者に、根気よく冷静に反論するってよくできるよな、哲人…、と思ったり。
閑話休題。
哲人も言ってたけど、「この人といい関係を築きたい」と思うのは自分の自由意志である。学校でも会社でも、いい関係を築きたくない、そこまで努力する価値は無いと判断できれば、身を引けばいい。それは自分の課題。
「怒り」と権力争い
社会的な問題に憤りを覚えることは「公憤」、論理的で長く続く。一方、私的な怒り(「私憤」)はすぐに冷める。
怒ってはいけない、ではなく、「怒りという道具に頼る必要が無い」。怒りはコミュニケーションの一形態である。かつ、怒りを使わずにコミュニケーションを取ることは可能。
本気で腹が立つようなことを相手がしてきたら、相手の目的は「権力争い、闘うことそのもの。勝って、自分の力を証明したい。」もし相手が権力争いをしてきたと感じたら、絶対に乗ってはいけない。なぜかというと、もし相手を言い負かしたら、相手は報復行動に出る(復讐)。アドラー的な目的論は、言動の裏にある相手の目的を考える。
・親から虐げられた子供が不登校、非行、自傷に走る。→親を心配させ、悲しませるという復讐が目的。
人は、「自分は正しい、相手が間違っている」と思った瞬間、権力争いに足を踏み入れている。自分の意見が正しいと思うのならそこで完結すべき話。ただ、多くの人は他者を屈服させようとする。だからこそ、「自分の誤りを認めること」を「負けを認めること」と考えてしまう。相手が権力争いを挑んできたら、いち早く争いから降りる。リアクションを返さない。
共同体で他者と、横の関係を築く。
アドラーが説く理想は、「共同体感覚」。社会や国だけでなく、動物や植物まで含めた、宇宙全体が調和して一体となって存在している、という究極の理想の世界。
個人が所属感を感じ、「わたしには能力がある」、「他者はわたしの味方である」と思えて、自立し、かつ社会と調和して生きられる、そんな世界。
そのためには尊重が大事。尊重は横の関係。評価や上下関係は縦の関係。「同じではないけれど対等」という態度で全ての人と接する。社長から赤ん坊まで。それは所属感にも繋がる。
褒めてはいけない、叱ってもいけない。ただ、貢献に関してありがとう、感謝、尊敬を述べる。それが勇気づけ。
アメリカで、若い上司や女性の上司が当たり前なのとか、スーパーのレジ打ちの人や大学の清掃員の方々まで、職責は違えど、対等な個人同士、という意味では同じだと感じたことを思い出した。
「いま、ここ、を真剣に生きず、過去と未来にぼんやりと光を当てて何となく分かった気になっているのは、人生最大の嘘です。」
青年「それでも、人生で何をやったらいいか分からないのです!」→哲人「それは、自分の人生の舵を取り戻したからこそ出る悩み。大いに悩み考えよ。親が決めたレールに乗っていれば、不満は出るが、楽ではある。不安もない。不満か不安かを天秤にかけ、今まであなたは不満を選んでいたのです。」
アドラーの言う人生の導きの星は、「他者貢献」。自由に生き、嫌われる人には嫌われる。でも他者貢献という星を道しるべにしていれば幸福になる、仲間とともに。
幸福への3要素:他者貢献、他者信頼、自己受容。
他者貢献=他者に貢献している、という主観的な感覚さえあればいい。ただ存在すること、無事であること、それだけでも貢献になる。行為だけではなく。(承認してもらうために何かの行為をするのは自己犠牲。)
他者信頼=相手を信頼して、心を寄せる。
自己受容=特別でないことを認める勇気ともつながる。そのままの自分を受け入れる。
はそれぞれ繋がっている。これができたから次はこれ、というステップではなく、それぞれが円環のように繋がっていて、一つがその他に繋がる。
他者信頼は、他者を仲間だとみなすこと。信頼の反対は懐疑。懐疑しだすと、その証左になるのではと思われるようなものばかりが目につくようになる。「あなたは、裏切られた時のことばかり心配している。相手が、『あなたに疑われている』と察知した時、あなたと親密な関係を築こうと思うでしょうか? こちらから信じるしか無い。結果がどうなるかなんて、今考えることはできないのです。もし裏切られたり傷ついたりして悲しい時は、思い切り悲しめばいいのです」
「共同体感覚」を得るために必要な、人生のタスク
仕事のタスク
仕事にまつわる対人関係を避けたいがために働こうとしない人々… 何社も履歴書を送って不採用となる、自尊心を傷つけられる。大きな失敗をして、会社に巨額の損失を出してしまう。眼の前が真っ暗になって、明日から会社に行くのも嫌になる。これらは、仕事そのものが嫌になったのではなく、仕事を通じて他者から批判され、叱責されること、お前には能力がないのだと無能の烙印を押されること、かけがえのない「わたし」の尊厳を傷つけられるのが怖いから。
他者を敵だと思っている。
交友のタスク
友人の数は人数ではない。距離と、関係の深さ。
愛のタスク
愛とは、相手の幸せを素直に祝福できること。「この人といると、とても自由に振る舞える」と感じた時、人は愛を実感する。劣等感を抱くでもなく、優越性を誇示する必要にも駆られず、平穏な、極めて自然な状態でいられる。
そのためにはまず、お互いを対等な人格として扱わなければならない。
口実をつけてタスクを回避するのは、「勇気」をくじかれているから。
Aさんのことを嫌っているあなたは、Aさんとの対人関係を回避したい(目的)から、Aさんの欠点を探している。
→でも、相手がひどいことをする人だったら、関係を切るのも自分の課題だし、選択肢である。
さまざまな口実を設けて重要な人生のタスクを回避しようとする状態=「人生の嘘」。
「世界は敵で満ちていると決め、対人関係を回避する、向き合わない」と決めたのはあなた自身。
でも、アドラーはそういう人たちのことを善悪や道徳で糾弾しているわけではない。人生の嘘をついている人たちは、「悪人」ではない。ただ、勇気が足りないのだと言う。
自由とは、嫌われることを恐れないこと。
嫌われるリスクを取ってしか、自由になれない。
「これだけしてあげているのだから、自分のことを好きになるべきだ」も、見返り的な発想。
嫌われろ、悪行を働けと言っているのではない。あなたのことを嫌うか嫌わないかは相手の課題なのだから、あなたは、自分が最善であると思う選択をする。それだけ。
「ゴルディオスの結び目」を断て。
ペルシア領のリュディアにアレクサンドロス大王が遠征した時、神殿に戦車が祀られ、結びつけられていた。かつての王ゴルディオスがその戦車を結びつけたもので、「この結び目を解いた者がアジアの王になる」という伝説があった。腕に覚えのある多くの者どもが挑戦したが誰にも解けなかった。さて、アレクサンドロス大王はどうしたか。なんと、結び目が固いと見るや、短刀で一刀両断に断ち切ってしまった。「運命とは、伝説によってもたらされるものではなく、自らの剣で切り開くものである」と語った。それから、アレクサンドロスは中東から西アジアの全域までも支配する王になった。
「ゴルディオスの結び目」の逸話のように、アドラー心理学は、常識への強烈なアンチテーゼ。
けっこう、私も人間関係が面倒くさいと思っている節があるのだろう。なぜ面倒くさいのかというと、傷つくのが怖いからだろう。「そんな真剣なこと言って、何言ってんの?」って、言われるのが嫌なんだろう。それで不快な思いをしてまで、分かり合えない人と分かり合おうと思ってはいない。そこは、肯定的なあきらめというべきか。自分のコントロールできないことを明らかにして、手放す、のような。
目標としては、
・怒りや悲しみといった自分の感情や考えを理路整然と説明できるようになる。
・相手が聞いてくれると信じること、受け止められないかも知れないと分かったうえで感情的リスクを取る。
・そうしたいと思える相手を見極める。
・相手が聞いてどうするかは、相手の課題。(課題の分離)
かなーと思った。
前回の『幸せになる勇気』の記事はこちら。