8.23.2012

デトロイトで考えたこと…大過剰量とバター

食事の話は続く。

ファストフード意外にも、食事はたくさんあるのです!
タイ料理とイタリアンが最高に美味しかった!!!! もう、イタリアンのパンなんて、人生の中で一番というくらい美味しい!!!

でも、いくら美味しくても完食したことはありません…
出てくる量がほんっとうに多いから、普通は箱に入れて家に持って帰るんだそう。そうすると、次の日のご飯になる。無駄ではないんだろうけど、でもな…と思ってしまう。とくに旅行中は、もって帰れないので、毎回半分近く残してしまうのにすごく罪悪感を感じた。

何でそんなに量が多いのか?と聞くと、たぶん、Cost efficiencyが高い方が好まれているからではないかとか。何かを家にもって帰ることを、ほとんどいつも期待しているらしい。確かに、お得感はあるのかもしれないが…。半分の量にして、半額にしてくれたほうがよほどありがたい。でも、スケールアップするほど効率は上がるから、お店にとっては都合がいいんだろうけど。日本でもしこんな量を提供したら、きっともったいないと文句が出るだろう。いくら持って帰れるといっても。

レストランネタでもうひとつ。

とあるレストランに、遅い時間に入ってまったりしていたら、まだお客さんがたくさんいたのに、閉店準備を始めた! それも、こっそり隅から掃除するとかではなく、机やいすを動かして、ほうきを持った人が何人も、お客さんがいることなんてまるでかまわずにガンガン掃除していた! 非常に居心地が悪かったのは言うまでもない。しかし、店員さんに話しかけることはせず、ひたすら話しかけられるのを待つというのがアメリカのマナーらしく、ひたすら待ち。待ち。(この文化は、自己主張の強いアメリカなのに珍しいなと思う。日本だと普通に「すいませーん」とか言うのに。)私はすごくすごく「すいませーん」と言いたかった。掃除に夢中になっているスタッフが来てくれなかったので、あわわーとなりました。なんか、不思議。

自己主張といえば、アメリカに限ったことではないのかもしれないけど、とにかくみんな思ったことをそのまま言う。
機内食が配られたあと、隣の人が乗務員さんに
「バターがないよ。一個ください」
「あら、今すぐ持ってきます。バターが落ちること、ときどきあるの。」
「私は使わないから良いよ、あげる」と別の人。
「本当?ありがとう。僕はこれがないとパンが食べられないんだ。さっき、バターがないことが分かったとき、ええ!?まったく、なんてこった!("Oh, man!")って思ったんだ。助かるよ」とまで言っていた。
「ああ、そんな状況になったらショックだよな。……」と相手も多弁。
………
みたいなやり取りが、連綿と続いた。
ば、バター一個でそこまで会話をつづけられるのがすごいと思いますが、それ以上に、なんてあけすけなんだ。そして、相手が返してくれようがくれまいが、とにかく口に出さないと気がすまないらしいことがよく見て取れる。特にこの隣の人、独り言なのか、こちらに話しかけているのか、わからないことがよくあった。

とてもあけすけで分かりやすいから、「空気を読む」なんて言葉、無縁なんだろうな。
逆に言うと、いちいちなんでも言わないと理解してもらえないのだと思うと、ちょっと疲れるなと思ったり。自己主張にはエネルギーが必要なんです…。

続く。

No comments:

Post a Comment