7.23.2026

琵琶湖ワーケーション2日目

琵琶湖ワーケーション2日目は晴れてくれた! 朝日が素晴らしく、4時半に起きた甲斐があった。やっぱり琵琶湖が見える部屋は最高。仕事が気づいても、窓に目が覚めると画面いっぱいの湖。素敵✨ 淡水だから足がベタベタにならないのもいい。長閑でええとこでした。

朝はちょっと曇っていた。

この辺の道路は一面赤い。なぜだろうと思って調べてみると、ここは豪雪地帯で、地下水をくみ上げて散水し道路上の雪を溶かす。その地下水に含まれる鉄分が錆びて赤くなるのだそうだ。面白い。

朝とは釣りをしている人が多かった。ブラックバスは外来種のためリリースは禁止と看板があり、放置されていた…。


トマトも波打ち際に転がっていた。


山側の景色はこんな感じ。



民家の間に湖!という風景を面白がりつつ。

焼き鯖そうめんという名物も食べつつ。


7.22.2026

琵琶湖ワーケーション1日目



















出発前の準備が面倒で諦めそうになったけど、なんとか湖が見える部屋に無事到着しました🌊 地元の小さなお店でうなぎの煮物を買って、夕食にスーパーでご飯とサラダを買いました🐟🍚 とても美味しかった…!夏はどこも夏って感じですね。











7.13.2026

両足院の半夏生。

久しぶりに会った友達と例によっておしゃべりしながら京都観光。

半夏生って初めて見た!とても綺麗だった。お庭を眺めてぼおーっとするの最高!













7.12.2026

『御所ことば』/井之口有一・堀井令以知

御所言葉を解説した本も府立図書館にあったので読んでみた…

御所に仕えたかつての女官さんたちにインタビューの書き起こしは「アラシャいまして」などとなぜかカタカナ混じりで謎が深まった…

上品な言葉遣いだった。

明治天皇のドキュメンタリー映画が後世になって作られたが、それについて、元女官さんたちは、「天皇が一人でお庭に出る、まして御所の外にいる一般人に話しかけるなんて絶対にない。でもそれがドラマなのでしょうね」みたいなことを言っていた。やっぱりそうなんだろうなーー映画に演出はつきものである…。

御所ことばのうち、しゃもじとか、白湯(さゆ)とか、現代の日本語になっているものもあり面白い。

京都、やはり奥が深い…。




7.10.2026

『フェミニズムとわたしと油絵』/金谷千慧子

ルノワール展に行って、なぜに裸婦がモチーフとして成立するのか?という疑問から読んでみた本。

著者は女性の地位向上のためのNPOとか立ち上げていて、全国を飛び回り、その活動に生涯をささげた。で、定年退職後に趣味の油絵を再開したが、モデルさんが裸婦であることに違和感を覚える。教室でデッサンの時間があり、裸婦のモデルが出るが、講評が終わるやいなや、服を着た絵に描き変えていた。

「裸婦が油絵のモチーフになくてはならないのはなぜか。なぜ男性の裸はめったになく、女性しかないのか。」という疑問から、いろいろと調べ学習をなさり、その成果をまとめている。

油絵の歴史は古いので、必然的に歴史をさかのぼって検討していくことになるのだが、中世時代のハーレムがどういう場所だったかなどは嫌悪感を催す内容だった。その他にも目を覆いたくなるというか、憤懣やるかたない気持ちになる歴史的事実もあった。人間の欲望とは。人間も結局動物なんだなと情けなくなった。

著者の結論がなんとも小気味よかった。「つい最近まで男性社会だった絵画の世界で、男性は描く側、絵を購入する側で、女性は描かれる側、見られる側だった。どんなに『美を追求するため』とか取り繕って言っても、結局男性の『女性の裸を見たい、描きたい』という欲求を満たすためだったのだ」。反発も覚悟で、ここまではっきりと言える著者に拍手を送りたい。

実際その通りだったんだろうと思う。女性よりも男性のほうが権力を持っていて、不平等な社会で、その中で発展していった西洋絵画。そう思うと西洋絵画も複雑な気持ちで眺めてしまう。女性の裸を見て、特に美しいとか感じない。なんで裸なんだろうと思う。これが写真だったら大問題なのに。

西洋絵画は子供のころから美術の授業などで扱っていて、普通に接していたので、裸婦だけがモデルとなっていることに今まで特段気を留めなかった。慣れって怖いな。今回その慣れをいったん遠ざけ、客観的に、ジェンダー論的観点から西洋絵画を眺めることができて良かったなと思う。





 

『フランスの高校生が学んでいる哲学の教科書』/シャルル・ぺパン

とても面白かった。フランスの高校生向けの解説本のような位置づけだと思う。それの翻訳版。高校生でもわかるように書かれているし、素朴な疑問のQ&Aがあって面白い。

もっと面白かったのは、この本を読んでるんだ、と書き物会の友達に見せたらみんな興味津々だったし、「私も最近ショーペンハウアーの幸福論の本を買って読んでる」とか、「こないだ哲学について語るイベントに行ったけど、マシンガントークする人がいて参った。『欧米では自分の意見をいかに押し通すかに重点が置かれている』とその人は言っていたけど、本当かな?と思った」など、語ることがあったので非常に盛り上がった。

哲学はこの世界をどう認識するか、「なぜ我々は存在するか、何を目指すのか、死後の世界は? 幸福とは、道徳とは。どうすれば秩序ある社会になるのか」など、答えを出すのが難しい問いを扱う。「答えを見つけるにはこうすればいい!」という単純なものではない。だから、「答え」を提供する宗教とはその意味では対極にあるのかもしれない。

しかし、論理的な弁証法を用いると、何と「神は存在する」と論証することができる、と書いてあった。それについては、どうなのか?と思わなくもない。論証方法も、説明を途中端折っているのか、ちょっとこの本の文章だけでは納得できなかった。ちゃんとした論証があるなら読んでみたい。神の在不在にそんなに興味もないのだが…。 



あと、気になったところのまとめ・抜粋。

ヒューム、ニーチェ、サルトルはアイデンティティという概念を否定する三大哲学者。個人のアイデンティティなんてまやかし。それは、東洋の禅思想とかの、『自分なんて、ないから。』の発想と似ている気がする。

トクヴィルの警告 平等主義は他人と同じになりたがる。人は、(自分よりお金持ちかもしれない)隣人と同じ規模の家、同じ給与を求める。そのくせ、隣人と同じように投票権を持っているのに行使しなかったりする。政治における平等、法の下における平等は、格差があっても成立するということを人々は認めようとしない。

なぜ選択はここまで難しいのか? 選択が難しいのは、すべての選択肢を同時に経験することは不可能で、自分が選んだ選択肢に懸けることだから。それで人生が変わる。でも自分もいつも同じではない。その時の自分が良いと思ってした選択でも、あとで後悔するかもしれない。その時の自分は、以前の自分と同じなのだろうか。どちらにしても、後悔するかもしれなくても、それは分からないから今の時点で決める、懸けるしかない。自分の意思など分からない、のに選択しなければならない、そして選択の連続が「私」を作る。

フロイト「文明は我々に罪悪感を持たせて不幸にした」…… 怒りや攻撃衝動は文明社会ではタブーとされる。しかし人間の本能的衝動として生じるそれらは、表出されることを望む。こうして行き場の無い攻撃衝動は自分へ向けられ、人は罪悪感を覚える、とフロイトは考えた。「人間が、自分の犯した罪だけでなく、『悪事をしたい』と思ってしまったことについても罪悪感を覚える」ことについて指摘したことは大きい、のだそう。


カント 自由意思があるからこそ道徳がある。なぜなら、自由があるからこそ、人間の本性である利己性を押し留め、理性が善だと判断した行為を行うことができるから。であれば、「道徳」とは本質的に「自由」である。

カント 「幸せになろうとするのではなくて、幸せに値する人間になろうとするべきである」 ふ、深い…。



7.03.2026

石垣島のハーブティーいただいた。

すごくおいしかった! レモングラスが効いていて。パッケージも美しい。真似して描きたくなる。