シンガポールにはMRTという公共電車がある。毎回物凄く混んでいる。
人間観察をしてみると、ほぼ、全員が、スマートフォンにかじりつき。
ちょっと、異様な光景と思った。
暇つぶししている(待ち時間を有効活用している)のはわかるけど。
好きで長時間電車に乗っているわけじゃないんだよ、と言われそうだけど。
普段電車に乗らないから、そう思うのだろうか。
東京や大阪ではこんな感じなんだろうか。
動画を見ているか、フェイスブックを見ているか、の人が圧倒的。
フェイスブックをそこまで見てるなんて、友達が欲しいなら、私と話さない?なんて、
言ってみたくなる。オンラインが発達すればするほど、反比例の法則のような感じで
生身の友人関係が難しくなっているような気がしている。
って、私もこうやってパソコンにかじりついているんだけど。。。
でも、こんな大人数の人がいる中で、誰も誰とも目を合わせず、手元の小さな
画面にくぎ付けになっているのには、すごく違和感を感じる。「孤独な群衆」…
かといって、毎日毎日乗っている電車だったら、風景も飽きるだろうし、座れないのが
ストレスだし、待っていても時間は過ぎないしね…。
皆じゃないけど、人と会っているのに、スマートフォンでずっとメッセージをやり取りしている
人もいる。その人の方が大事なら、その人と会ったら? と言いたくなる。
大事な商談なのかもしれないし、家族に用事があるのかもしれないけど。
ネットワークは張り巡らされたけど、人としての何かが、消えて行っているような気がする。
それは対人力だけじゃなくて、記憶力とか、方向感覚とか、文章力とかも含めて。
明るい話もある。
今日、福岡の地下鉄で、インド系?の人が乗ってきて、「この電車は筑前前原まで行きますか?」と、たまたま入口の近くにいた人に聞いていた(日本語で)。それは手前の姪浜駅で終点の電車だったので、そこで筑前前原方面にいく電車に乗り換える必要がある。会社員風の男性は、路線図を指さしながら、そのことを身振り手振りで説明していた。
日本語が通じる相手でも、日本人と違う外見だったら、非言語の手段で何とかしようとする人が多い、というのは本当らしい。
それはさておき、そのインド系の人は、何か言葉を思い出そうとしていて、「あーー、んーー、『のりかえ』?」 「そう! ここで乗り換え!」と伝わったようだ。
入口の近くに座っていた女性も、「あ、この路線図を見てね…」と、助けを出してあげていた。優しい。。。じーん。私も、その二人がいなかったら、同じことをしていた。その人、無事に筑前前原までたどり着いたかな。そういうちょっとしたことが、涙がこみ上げるくらいに貴重で温かくて、それだけでいい日になる。
どこに行くにもGPSを頼ってしまいがちだけど、地元の人に聞いてみるのがやっぱり面白い。
(と、なんかシンガポールが冷たい国のような印象を与えるかも?!
全然そんなことはなくて、彼らはユーモアあふれる優しい人々。
「この電車は○○に行きますか?」と聞いたら、マシンガンのような
速さで答えてくれることだろう。)
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