7.24.2016

「蒼穹の昴」


いろいろノートを整理していたら、昔読んだ「蒼穹の昴」の抜粋が出てきた。
これは中国の清朝末期に主人公の春児(チュンル)が貧しい家庭から中国の宮廷の役人に仕えていく話。

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「おいたわしゅうございます、陛下」
力の萎えきった老人の声が頭上で答えた。
「ちっともかわいそうなものかね。私は私の思う通りにやっただけさ」
「いえ、陛下のことを、また悪く言う者がおりましょう。如才は、それらを見聞きするに堪えませぬ」
「そうね。悪女だの鬼だのと――でもね、春児。最後の一人はそうならないと、新しい時代は始まらない。それで、いいじゃないの」

*     *     *

 僕ら士太夫は、もちろん皇帝たる君も含めて、みな民衆に施しをしようとしていた。その施しが大きければ大きいほど善政なのだと信じていた。
 民衆は無力である。日照りの夏は涙すらも涸らし、凍える冬には飢寒こもごも迫って溝壑(こうがく)に輾転とするしか、なすすべを知らない。抵抗する力も、怨嗟の声を上げる力すらも、彼らにはない。
 僕に打ち据えられて、あわや命を落とそうとした彼女の瞳は、僕にそのことを教えてくれた。
 載湉(ツァイヅオ)。九重の城壁のうちに生まれ育った君に、こんなことを理解せよというのは酷かも知れない。だが僕は、人間としての君の稀有の聡明さを信じよう。
 君には天命があり、僕には天与の境遇があった。僕らは飢えることのない、ほんのひとつまみの人間であった。ではなぜ、公平無私であるはずの天が、僕らにだけ優位を与えたのだろう。
 答えは簡単だ。天は僕らに、政治家としての使命を与えたのである。僕らは僕らとどこも違わぬ人間として民衆の中から選ばれ、彼らの幸福のために尽くすよう、天から命ぜられていたのである。
 僕らのなすべきことは、決して施しであってはならなかった。日照りの夏はともに涙を涸らし、凍えた大地の土をともに転げ回ることこそ、彼らの中から選ばれた政治家の使命なのだということに、僕はついぞ気づかなかった。

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前半は西太后の言。悪名高いこのひとだが、作中では違った視点で描かれている。
現在の仕組みを変えるためには悪役が必要ということで、皆のためにそれを買って出る。できそうで、なかなかできないこと。

後半は現代でも十分に通ずる政治家の意識。為政者は民衆を幸せにする使命を持って選ばれているんだ、私腹を肥やすために選ばれた特権階級なんかじゃないよ、という当たり前のことを、訴えたい!! 

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