三井寺。 広大な境内だった…!
天智天皇亡きあと、壬申の乱が起こり、敗れた大友皇子の皇子の大友与多王が、「父の霊を弔うために寺を創建し、 天武天皇から「園城」という勅額を賜わったことが園城寺の始まり」であるそうな。三井寺という別称は、ご利益のある霊泉が出ていて、御井と呼ばれていたことに関連するらしい。いろいろ由来がある。
天智天皇の念持仏(つねに身辺に置いて祈るための仏像)だったと伝わる仏像が絶対秘仏として安置されているそうだ。そんな800年代からある仏像が今も伝えられているなんてすごい。
それにしても、桜と琵琶湖の景色を独り占めできる舞台のようなたてものがあり、何十分かを2千円で貸し切れるというサービスもやっていた。何だか…いい商売をしているようである。父の霊を弔うためという由来を考えると何かなあ…という気もする。資金繰りが大変なのはわかるけども。
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