フランスに留学し、そのまま留まって、浮世絵など日本の美術品を輸入して売っていたという、林忠正。彼自体は実在人物で、その史実をもとにしたフィクション。
ゴッホ、ゴッホの弟テオ、彼らの周りのフランス人、そして忠正の後に留学してきた、加納重吉(この人物は創作らしい?)らが登場人物で、とても面白かった。
たゆたえども沈まず、というのはパリのことで、幾多のセーヌ川の氾濫にも負けず、たゆたって氾濫が収まるまで待ち、再興してくる街。たゆたう川のテーマは、本作を通じて幾度となく繰り返されていて味わい深い。
ゴッホ(名はフィンセント)とその弟テオの複雑な関係性、テオの仕事への葛藤、フィンセント自身の苦悩、忠正の野望と優しさ、重吉の純粋な人柄など、感情の機微の描写が細やかで素晴らしい…
そして、自然の移り変わりの描写も。ありありと情景が浮かび上がってくるのだから、文章というのは本当に無限の力を持っている。
以下、引用。
「考えこんでも、どうにもならないことだってあるさ。どんな嵐がやって来ても、やがて通り過ぎる。それが自然の摂理というものだ」
嵐が吹き荒れているときに、どうしたらいのか。ーー小舟になればいい、と重吉は言った。
「強い風に身を任せて揺れていればいいのさ。そうすれば、決して沈まない…だろう?」
* * *
忠正の横顔は、凛として風を受けていた。その瞳は、未来を見据えて輝いていた。
* * *
あんなに強く吹いていた風は、いつのまにか止んでいた。オワーズ川は、西日を弾いてきらめきながら流れていた。
* * *
「日本は私の理想の結婚相手だ。絶世の美女だ。この上もない貴婦人だ!」
「仮に、そうだとして」忠正がさえぎった。
「その貴婦人が、あなたにふさわしいと?」
* * *
* * *
橋の中ほどに佇むふたりの影が、宵闇に沈んでいく。セーヌは滔々と、とどまることを知らず、橋の下を流れ続けている。
No comments:
Post a Comment