灰色の男たちに唆された大人たちは、仕事は効率と生産性を最優先にし、人に奉仕し、社会に貢献するというよりは、いかに効率的にお金を稼ぎ、成功を手にし、いい暮らしをするか、ということに重点を置くようになる。そのため、子供も、道端で遊ぶことはよしとされず、『子どもの家』なるところに収容されて、最大限の生産性や役に立つ学問を身につけるよう訓練される。もちろん、それは楽しさ、子供らしい遊びとはほど遠い。
*引用*
こうしてこどもたちは、ほかのあること(原文傍点)をわすれてゆきました。ほかのあること、つまりそれは、たのしいと思うこと、むちゅうになること、夢見ることです。
しだいしだいに子どもたちは、小さな時間貯蓄家といった顔つきになってきました。やれと命じられたことを、いやいやながら、おもしろくもなさそうに、ふくれっつらでやります。そしてじぶんたちのすきなようにしていいと言われると、こんどはなにをしたらいいか、ぜんぜんわからないのです。
たったひとつだけ子どもたちがまだやれたことといえば、さわぐことでしたーーでもそれはもちろん、ほがらかにはしゃぐのではなく、腹だちまぎれの、とげとげしいさわぎでした。
*引用終*
それがよくないことだと、大人たちは分かっているのに、「でもどうしようもないじゃないか。」「もう、前みたいには戻れないのさ」と、諦めているところがまた、いかにも現実らしい。
人々に時間を節約、貯蓄させて、それを蓄えて生きている、「時間貯蓄銀行」灰色の男たち。人々が効率に囚われ、焦って余裕のない生活をして「節約」した時間を糧にして生きている。しかし、モモには彼らの力は及ばないようだ。逆に、モモには、どんな人も心を開いて秘密を話してしまう不思議な雰囲気があり、灰色の男たちもその陰謀を口走ってしまう。モモは、甲羅に文字を浮かび上がらせて会話ができる不思議なカメ カシオペイアとともに、大人たちを、この世界を元に戻す方法を教えてもらう。そして、灰色の男たちの計画を阻止すべく、モモは大きな冒険に出るのだった…!
モモは、カシオペイアに導かれ、マイスター・ホラという時間を司どる不思議なおじいさん(若返ったりもする、自由自在。)に会いにゆき、時間の花を見せてもらう。振り子が振れるのに合わせて、花が開いたり、枯れたり。この美しい時間の花を、マイスター・ホラは人間一人ひとりに平等に与える。でも、それをどう使うかは、人間次第。こう使いなさいと、命令することはマイスター・ホラにはできない。のだそう。そうだ…時間というのは人生そのもの。美しく貴重。でも、多くの人が、そのことをしょっちゅう忘れてしまう。
モモがカシオペイアに再会した場面がとても好き…。
*引用*
「あら、ごめんなさい! 食事のじゃまをする気はなかったのよ。ただね、どうしてきゅうにあたしがここにまたいるのか、知りたかったの。」
「アナタガ ネガッタカラ!」
「へええ、おかしいな。」モモはつぶやきました。「そのことは、ちっともおぼえてない。で、カシオペイア、おまえは? どうしてマイスター・ホラのところにいないで、あたしといっしょにきたの?」
「ワタシガ ネガッタカラ!」甲らの文字がこたえました。
「ありがとう、しんせつにしてくれて。」
「ドウイタシマシテ!」
*引用終*
なんともカシオペイア、かわいらしい。そして面白い。
灰色の男たちに追いかけられていて、もう少し速く歩けない?とモモに聞かれると、「オソイホド ハヤイ」と謎掛けのような答えをするし、「包囲されている今、できる最上の策は何だと思う?」とマイスター・ホラに聞かれると、「アサゴハンヲ タベルコト」!
カシオペイアは、自分の中に、独自の時間を持っているから、たとえ全てが静止しても、世界を自由に動き回れるらしい。そして、「太古を思わせるひとみ」を持っている。らしい。それがまた、想像力を刺激されて楽しい。
児童文学は久しぶりに読んだけれど、本当に、縦横無尽というか、変幻自在な世界が広がっていて本当に面白い。これはハマりそう。この本の挿絵も、著者のエンデが描いたらしく、モモの世界ができあがっている。すばらしーー。定期的に読み返したい。
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