京都大学の学祭といい、京都大学元教授がやっているカフェに行って、大学院生やりながらカフェのバイトしている人と、常連の数理学分野の教授と、濃~~~い話をした先日といい、何やら学術分野の動きが激しい今日この頃。
軌を一にして、全然知らない人からメールがあり、「大学院生やってます。あなたの研究論文の一つのやり方と同じ方法で実験したいと思っています。詳しい話を聞かせてくれませんか」のような内容が。
「Dear Dr. xxxx」で始まるメールに、ちょっと驚きつつ、くすぐったい気もしつつ、襟を正すような思い。
うちの雑誌に投稿しませんかーみたいな宣伝メールでは、「Dear Dr. xxxx」っていう呼び方は常套句。でも、それは単に論文を書いたことのある人全員をそう呼んでいるわけで、博士号を持っているかどうかは関係ないのであった。
だから、本当にその人は、Dr. xxxxとしての私に相談してくれているのだなと思ったのです。
企業で働きながら博士号を目指そうとしているようで、同い年くらいじゃないかと思った。いろいろ人生経験ありそう。企業にいるから、設備や人材などいろいろ制限があって、その中で大学の博士課程。すごいなあ。長い期間がかかっているけれど、ぜひやり遂げてほしい。きちんとしているし、どっしり構えているし、自分の限界を見極めて、助けを求めることもできるので、大丈夫そうだなと思った。
人の印象って、けっこうこの短いやりとりで分かるもんだな。メールの文面とか、返信速度とか、話し方とか、人の話をちゃんと聞けるとかで。多分彼女はいろいろな人の力を借りながら良い研究をして学位を取れそう。
カフェをやっている京都大学元教授も、教え子がたくさんいて慕われてて、そのカフェによく学生が相談にやってくるなんていう話を聞くとほっこりする。同時に、「自分はそういう後進を育てるっていう事に関われていないなー」なんて思ったりする。でも後進を育てるってのは多分私の理想なだけ。やりたいか、好きかどうかではなくて。
この二つの欲求(好きだからやりたい vs. できたら利益になるからやりたい)は似て非なるものだと思う。同じ行動をするにしても、理由が違う。
好きだからやりたい = 後輩を指導するのが好きだから、楽しいからやりたい。魂が喜んでる。ていうかもうそういう機会をちょこちょこ見つけてはやってる。
と、純粋に好きだからやっていて、おせっかいも焼いちゃう、のようなのと、
できたら利益になるからやりたい = 後輩を指導するのは、キャリアの面でもプラスになるし、年齢からみても当然だし、みんなが通る道だし、ある意味義務のような気もする。できたらかっこいいし、後輩が立派に育ったらやり甲斐を感じて、そんな自分を褒めてあげたくなるかもしれない。自信になるかもしれない。
っていう、打算が先に来るやつ。
実際問題、私は教えることは好きじゃないし、指導には向いてないと自分で思っているし、敢えてやりたいと思っていないから、たぶん打算なだけなんだろう。もちろん、真摯に具体的に、研究で困っていることを相談してくれれば、教えられることは教えるし全力で助けるけどさ。なので、私は私が心地よいやり方で、1人でも2人でも、質問してくれた人の課題解決を手伝うくらいが負担にならずいいんだろうなーと思った今日この頃。
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