1.29.2024

名言で楽しむ「世界の名画」/こだわり知識愛好会

画家ごとに小節に分かれているので読みやすかった。2日で読んでしまいました!



スペインの宮廷画家、フランシスコ・デ・ゴヤの、「裸のマハ」と「着衣のマハ」は1セットだが、ゴヤの愛人のアルバがモデルらしい。で、彼女の夫がいつ訪ねてきても怪しまれないように、着衣の方も描いたのではないかと考えられている。あ、そうですか…。という感じ。マハ、とは、マドリードの小粋な下町娘を指す。ゴッホ兄弟の小説を書いた原田マハさんのペンネーム(?)は、おそらくここから来ているのではないか。だとしたら、それこそなんて小粋な筆名だろうか!

「我々はどこから来たのか、我々は何者か、我々はどこへ行くのか」は、ゴーギャンの有名な絵の題だった。フランス語では、D'où venons-nous ? Que sommes-nous ? Où allons-nous ?  かつてはゴッホとともにフランスのアルルで画家の楽園を作ろうとするも、ゴッホとうまくいかずパリへ戻る。文明化していくパリを嫌い、タヒチへわたった。パリ万博で、ジャワの踊り子たちに感銘を受けたからだったそうだ。しかし、病気によって心身ともに良くはなかった。そんな中描かれたのがこの我々はどこから〜の絵画だった。楽園とも見えるが、なんだか落ち着かない感じもするし、色的にも、明るく楽しい感じではない。まさに、題のような問いを問いかける。

ジェームズ・マクニール・ホイッスラー「ある芸術が社会で人気があろうとなかろうと、本質とは無関係である。芸術は孤高な存在である」アメリカ生まれ、イギリスの美術界に大きな影響を及ぼした。テムズ川の夜景を描いた、ノクターンシリーズで有名。ノクターンは抽象画のようにも見えるが、「いみわからない」的な批判を受けたときに、この名言を放ったそうな。確かに、社会に認められるというのは芸術そのものの価値には無関係。大体、社会って何を指している?世間って何を指している?そして、芸術の価値とは?どうやって決めるか?と、無数に問いが出てきそうでもある。

クロード・モネ「わたしは鳥が歌うように描きたい」
理論を嫌ったモネ。光の画家と呼ばれ、彼の作品には光が重要な役割を果たし、それが絵に生き生きとした生命力を与える。「ルーアン大聖堂、扉口とアルバーヌの鐘塔、充満する陽光」には、まさに、充満する陽光、そしてそれを受けて輝く大聖堂の様子が描かれている。天気の良い日にフランスで見た大聖堂がありありと思い出される。

エドゥアール・マネ「わたしはこの生活を愛する。社交界を、ざわめきを、光を、パーティーを、そして色を。」 生粋のパリジャンで、おしゃれな格好をしてパリの街を歩き、カフェ巡りをしていたマネ。パリには思い入れがあった。最後の大作は、パリの劇場に併設されるバーで、人々が喧騒の中雑談している様子。主題となっている給仕の女性の落ち着いた表情や、画面の暗さもあって、シックで、物悲しいというか、さすがはマネの晩年の作品。30年くらいあとに出てくるロートレックも、ムーラン・ルージュの内部の様子を描いているが、これは華やかで明るい感じ。


美術鑑賞ブームが来ている!!!

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