過日、「甘える」ことに関してコワーキングで議論があり…。 超濃い内容でした!
コワーキングで、スタッフの方がおしるこを作ってくれました。でキッチンエリアでそこにいた4人でいただきまして、皆食べ終わった後、1人が流しで自分の使ったお椀を洗っていました。なので私は次洗お〜と思って、自分のお椀を持って、流しのそばで順番待ちしてたのです。そしたら、その人が、「◯◯(私のあだ名)、『洗ってください〜😄』って言えばいいのに。甘えてくれたら、こっちも気持ちよく洗うのに。甘えベタやなぁ(笑)」と、言ってくれまして…。他の人も、「そうよ、こういう時は、甘えるのよ!甘えられた方も嬉しいんだよ」って言ってくれて。自分でできることを人にしてもらう、という選択肢がそもそもなかったので、ちょっと驚いたのですが、恥ずかしいやら嬉しいやら、、でもとても温かな気持ちになりました。
で、その甘え下手やなぁって言ってた人も、もともとは甘える選択肢は持っていなくて、仕事とかで身につけたそう。気難しい人に、会議に出てほしい、って新人の立場でお願いする時に、「お願いっ🙏」と言って、出てもらったり。いわば戦略的甘え…笑 そういうの、世の中でも役に立つよ、と伝授してくれたり。
3つの幸せも教えてもらった。
1. してあげる幸せ。
2. してもらう幸せ。
3. させてあげる幸せ。
3については、「誰かに、自分に何かをして、とお願いして、それをその人がすることによってその人の頼られたい欲を満たして、それで自分も嬉しい」というものらしい…。なんか傲慢?な気もするけど、そういう幸せの形もあるらしい。
お皿洗いの例でいうと、その人に私が、「洗ってください〜」とお願いして、「私のためにお皿洗いをさせてあげる」。その人は頼られることで嬉しい。だから私もその人を喜ばせることができて幸せ。ということらしい。
神戸メンタルサービスの平さんも言っていたけど、「誰かを喜ばせたいという欲求は人間誰でも持っていて、簡単にそれを叶えさせてくれる人は好かれる」、つまり、「喜ばせやすい人は好かれる」。
お皿洗いしてくれたら、私は喜びます、あなたに感謝します、って、言える人が甘え上手で、好かれる人なのだ。メンタルサービスのカウンセラーさんの動画 幸せな恋愛・結婚を掴んだ人が身につけた視点についてお話します(浅野寿和) でも同じようなことを言っていた。
既婚者の方々は、パートナーに甘えるのは、今さら照れるし恥ずかしいし面倒くさい(!)からしない、と言っていた…。あれれ? たぶん、そういう関係性を前提に付き合ってなかったのだろうか。子どもができたらまた違ったものになるだろうし。
私の叔父叔母は、お互いにいろんなことを、わざと(わざわざ?)やってあげていて、それが愛情表現となっていて、密な関係性を維持している気がする。
甘えたい人と頼られたい人が共存すれば上手くいく気がする。需要と供給の関係。
「甘え」と「ワガママ」の違いは何か?って問いを立てて、あれこれ考えたりもしてました。
甘えが可愛いと思われるかウザいと思われるかは、その人の受け取り方次第で、受け取り方の違いは、関係性の違いではないか、という論になった。ハラスメントと同じ、って(笑)。確かに。
なので、相手の頼られたい需要と一致してる範囲の甘えはOKなのだろうけど、その範囲を見極めるのって難しい。という意見も。だから、たまにはその線を越えてしまうこともあって。それにもへこたれず、またトライしていき、適度な甘えの範囲を見定めていくという継続的な営みな気がした。とすると、甘えるにもけっこう鋼のメンタルが必要な気が…。「あ、甘えすぎちゃった、ワガママと思われちゃった、二度としない😣」では、その人に対する心理的抵抗がぐーんと上がっちゃうわけで…。甘え上手な人は、それを何度でも繰り返せるんだろうな。
甘えるとは、何でも言える、何でもお願いできる仲どうしで行われる行動で、そのお願いが、相手を利用してやろう、じゃなくて、その人と自分のコミュニケーション、愛情確認、ある種の愛のあるやり取りである、と思えるかどうか。と仮定義しておこう。
私が甘えやすいかなと思う人は
- 損得勘定なしに、人に何かをしてあげる心の準備ができている人(つまり、自分を自分で満たせている人)
- お願いを叶えられなくても、突っぱねるのではなく、愛のある断り方をしてくれる人
かなー。
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