京都検定を受けに行った、同志社大学新町キャンパス。
「諸君ヨ、人一人ハ大切ナリ」と、正面玄関入ってすぐのところに記されてあり、新島襄の思いをしかと受け取りました…!
自分もそうだけど、何かしないと、何か尽くさないと、ここにいてはいけないんじゃないか、ここにいる資格はないんじゃないか、そんな深層心理が働きがちな気がします。
だからこそ、人権思想って本当に偉大だなと思う。
ひとりひとりが、
大切なのです。
なにもできなくてもいい。
特別なことをしなくてもいい。
人権思想が出るまでは、個人の存在は生物の生存(種の保存)とか、家柄、血統の保存とか、国の繁栄のためとか、そういう全体の存続のためでしかなかった。つまり、個人個人の存在は「目的」ではなく、「手段」だった。
これに対し、その人の存在、その人の幸福じたいが目的である、という考え方が人権思想なのだと思う。
人類の発展のためとか人口減を食い止めるためとか血筋を途絶えさせないためとか、そんな、個人自体をないがしろにした目的達は、ただ個人を利用しようとしているだけ、本末転倒なのです。
私たち個人が、義務感も劣等感もなく純粋な気持ちから、その目的のために身を捧げる、と。それが自分自身の幸せだ、と決心したのではない限り、そんな全体主義的な目的には賛同しなくていいし、スルーしとけばいいのです。
やりたいことを
やりたい時に
すきなように
すきなだけ
やる人生を送りたい。
自分に正直に。
無理せず。
何かに自分の時間と労力を捧げるとき、何かに尽くしたい衝動に駆られたとき、立ち止まって考えたいです。
なんで私はそれをやりたいと思うのか?
純粋にそれが好きだから?
それとも
それをしないと、集団に受け入れてもらえないから、というあせり、不安、恐れから?
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