転職活動している友人、「もう働きたくなくて…」と言っていたのがすごく印象だった。自分の趣味もあるしパートナーとの時間も欲しいし、日々の生活だって丁寧にしたい。仕事に追われてしまうのは自分らしくない、といった感じなのだろう。
自分のほしいもの、やりたいことがはっきりしていて、それを迷いなく選び取っていけるだけの胆力と自分軸には尊敬の念すら覚える。
「日本はフルタイムで働く国じゃない」という言も、ずっと心に残っている。
大多数の人は、正社員、フルタイムで働いているかもしれない。それが「ふつう」である。その同調圧力というか、少数派になって不便を被ることを嫌う風潮・考え方は本当に蔓延している。
「ふつう」の呪縛からいかに自由になるか、永遠のテーマな気がする。
普通だから、皆やっているから、という理由で行うあらゆる活動、消費や結婚も含め……、それは、本当に自分がやりたいことなのか? よくよく自分に問いたい。そうしないと、何のために生きているかわからなくなる。
「普通に」正社員をして、時間に追われて働いて、そのお金で「普通」と思われていることをする。例えば、子育てするとか、マイホームを買うとか、年に一回贅沢な旅行をするとか。
それが、本当に本人が望むことならいいけれど、その「普通のことリスト」にチェックを入れるためだけにやっているのだとすれば、気持ちは晴れないだろう。自分らしくないからだ。
自分が望むことを、素直な心で、感じて、受け止めて、実行できる人になりたい。その方が絶対に心地良い。自分自身の心地よさを優先できる人になりたい。見栄、多数派でなくなる恐怖、寂しさ、満ち足りなさなど、なにか別の感情から突き動かされる形ではなくて。
「〜〜したい、でも……」 の、「でも」は単なる言い訳で、先に出てくる「〜〜したい」に、その人の本当にしたいことが出てくる、と樺沢先生は言っていた。それも心に残っている。
自分らしくいられる度合いだけ、それに自信を持つことができる度合いだけ、その人は幸せになるだろう、と思う。心が喜ぶことは皆それぞれ違う。だから教育から仕事から、画一的な枠にはめる近代のやり方は由々しきもので、自衛しなければならない。
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