今回のSUW は曼荼羅茶というカフェでした!
それぞれが書き物を持ち寄って、特に見せ合うこともなく、いっしょに集まって作業頑張ろう、という会。御朱印帳の絵を進められてよかったー そういえば昨日会った人たちは御朱印帳を神社用と寺院用に分けていて、いっしょくたにするのは神様仏様に失礼、と言っていた。ほあーーちゃんとしてる人はちゃんとしてるんだなーと思った反面、御朱印帳をスケッチブックがわりにしているなんて言えない...!となった。
ともかくも、今回は服飾デザイナーさん、歴史研究者、哲学研究者、思考整理ライターさん、3Dデザイナーさん、そして私、データアナリスト?が集まった国籍も生業も面白い面々でした。歴史研究者の方、東南アジアに長く滞在していたらしく、英語のアクセントから、どの国の出身の人かわかるらしい。ワトソンと初対面で、「お医者さんで、アフガニスタンに駐留していましたね」と見抜いたホームズのようだった。彼は私のネックレスがミシガンの形をしていることにも気がつく。初めて言われた! 恐ろしく観察力のある人はいるもんだな。
哲学研究者さんは、ドイツ哲学、主にフッサールを勉強していて、人と対面することは、そこら辺にある椅子を見るのと認知的にどうちがうのかを研究しているとのこと。西洋では、個人対相手、だけど、東洋では、共同体思考が大きいので、我々対相手、のようになるという違いがある。だから、ドイツ哲学に東洋の共同体対相手の見方を取り入れれば、対人認知の理解がより出きるのではないかということ。なんかもう…異次元の話でした。
こういうのって何をもって認知が「できる」とか、理解が「できる」と言うのだろうか。植物の実験とかだと、よく育った方が結果が良い、というふうにはっきりしているけど。そこを聞き始めるとエンドレスになりそうだった。。。
哲学は、「数値データを集めた、有意差あり、よし、終わり!」というふうにならないから、ほんと、悶々と考え続けるんだろうなーー
その方は、高校生の時点で大学の授業を聴講していたり、それがもとで高校の先生と折り合いが悪くてそのまま退学して、高校卒業認定試験を受けてからドイツ留学していたり。小中高にあまり良い思い出ないよねーーと満場一致。そして学校は、労働者の権利とか、自分のキャリアプランとか、お金のマネジメントとか、大事なことは教えない。特に労働法や労働者の権利を何も知らないまま労働市場に出ていくことは、麻雀のルールも知らず参加してカモられるようなものだ、と経済学者の太田比路氏は言っていた。その通りだよな…。
あと、昔は物品全てが生分解性で土に還るものだったから、みんなぽい捨てをしていた。それはアメリカでも日本でもどこでも。しかし今はプラスチック製品が溢れ、国によっては、ポイ捨てをしていた頃の習慣が抜けずプラスチックが路上を埋めるようなことになっている、とも。そうかぁ。人々の意識を変えるのは時間がかかる。しかし不可能ではないと思う。
国によっては「伝統的」と「モダン」が必ずしも対立するものではないというのも面白かった。というか、東南アジアの幾つかの国では、その2つの概念が希薄なのかも。あまり理解できなかったが、ずっとやっていることでも、「モダン」と言ったり、最近できた慣習なのに「伝統的」と言ったり。概念がなければ、それを表す言葉がない、ということか。
お茶にめっちゃ詳しいフランス人オーナーの話に続く。
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