神宮の鳥居眼の前。非常に良い雰囲気だった!
パスタ、ラザニア、キッシュなど。キッシュは大人気らしく売り切れていたーー! サーモンキッシュ美味しそうだったな。また次回!
陶芸品ギャラリーや、坪庭まであり、素敵だった。
Thoughts and notes of a researcher in plant genetics and nutritional epidemiology in Japan and the U.S. with a wide range of interests - choral activities, photography, nature, travel, and drawing. L'épanouissement personnel means personal development and fulfillment. Still in the middle of it, enjoying the process. 農学部、酒類企業研究員を経て、米国ミシガン州立大学で博士過程を卒業後、植物遺伝学と食物疫学の研究に片足ずつつっこんでいます。趣味の合唱、自然観察、旅行、写真、絵描き、国際交流など、いろんな記録です。L'épanouissement personnelは自己研鑽、実現というような意味です。生涯に渡って一緒に旅する人生のテーマ。
神宮の鳥居眼の前。非常に良い雰囲気だった!
パスタ、ラザニア、キッシュなど。キッシュは大人気らしく売り切れていたーー! サーモンキッシュ美味しそうだったな。また次回!
陶芸品ギャラリーや、坪庭まであり、素敵だった。
この二泊三日の哲学合宿で得た一番大きなものはおそらく…
このセミナーがなければ出会わなかったような、業界や職種の全く違うリーダークラスの人々との出会い。一流企業の一流人材の所作、考え方、これまでの経歴、すべてが勉強になりました。
特に、人相手の仕事を長年やっている人は、語彙力、話し方、雄弁さ、瞬発力、人の話を聴いて理解する力など、口頭言語に関する能力が高い! 当然のことながら、すごい分化しているというか、モノ相手の仕事を長年やっている私とは全然違う能力が育っているんだなーと。私が瞬発力に課題がある…のは、鍛えていないのだからしょうがない。発言のたびに心臓がドキドキする、臨戦態勢になる、あらゆる悪いことを想定してしまう、というのは、場数を踏んでいないからだし、よく知らない人、多数の人とのコミュニケーションが心理的負担になっているからである。と、冷静に自分を見ていた。ここは、「自分に無いものを持っていて羨ましい」、ではなくて、「モノ相手の仕事、自分に合った仕事ができていてよかった…」と思えたので、だいぶ自己受容が進んでいる。
なぜならば、別に一流企業で一流のことしていなくても、人は存在しているだけでいいのだから。
カントも言っていたけど、人間の存在そのものは目的であって、手段ではないのだから。(と、カントを読んだ今ならそれを引用しつつ言える!)
やはり鍛えられている幹部候補生は違うなぁ…と思いました。ただ、彼らの話を聞くと、「失敗して怒られる」とか、「投資分回収できないよ、どうするの?」と言われる、「仕事が終わらず土日も持ち帰ってやっている」、「何人もの部下のマネジメントに追われる」など、企業人としてやはり大変なこともたくさん。ストレスも多いし、通勤も大変だ。自分は…心の余裕とコントロール感を持って、自分が心地良いような形で社会に貢献して、生活するためのお金を稼ぎたい、とも思った。
例えて言うと、趣味でテニスをしている身で、オリンピックレベルの一流テニス選手を見た気分。彼らの能力も素晴らしいし活躍は華々しいのだが、彼らの努力量、忍耐、苦難、などを考えると、やはりそこまでやろうと思える人は一握りだし、やれる人もわずかだと思う。趣味レベルで充分なのに、オリンピックに出なければ!と意気込んで心身をすり減らしてしまっては元も子もない…。
こういう出来る人たちを間近で見てもう一つ思ったのは、自分を癒すとか、トラウマがとか、というのはフェーズ1である。それももちろん大事。で、それを遥かに(おそらく)乗り越えているだろう職業人の皆さんに会って、奮い立たせられました、ある意味。「過去は過去。コントロールできなかった。たくさん傷ついた。それはそれ。その上で、自由な一個人として、自分が成し遂げられることは何か。今の時代の問題について、自分ができることは何か。」と問う。それがまさに人生のフェーズ2で、そのフェーズ2に行きたいと思いました!!
The most significant thing I gained from this three-day philosophy retreat was probably...
Meeting leaders from different industries and professions—people I never would have encountered without this seminar. Observing the demeanor, thought processes, and career paths of top talent from leading companies was an incredible learning experience.
Particularly striking was how people who have worked with others for many years possess exceptional verbal skills—vocabulary, eloquence, quick thinking, and the ability to listen and understand others’ perspectives. Their verbal abilities are highly refined, reflecting the nature of their work. In contrast, as someone who has worked with "things" for many years, I realized that I’ve developed entirely different skills. For example, my quick-thinking abilities are lacking, but that’s not surprising since I haven’t trained them. My heart races every time I speak up, putting me into a fight-or-flight mode where I imagine all the worst-case scenarios. This anxiety stems from a lack of experience in these settings and the psychological burden of communicating with unfamiliar or numerous people. I observed myself calmly during the retreat, acknowledging these weaknesses.
However, instead of feeling envy for what I lack, I thought, "I’m glad I’ve been able to work with things, a type of work that suits me." This realization marked significant progress in self-acceptance.
After all, as Kant pointed out, humans have intrinsic value simply by existing. We are ends in ourselves, not means to an end. (Having read Kant now, I can confidently reference him!)
That said, it’s undeniable that these trained future executives stand out. Listening to their stories, though, I realized their lives aren’t without challenges: being scolded for mistakes, facing pressure to recover investments, bringing work home on weekends, or managing multiple subordinates. Corporate life clearly involves considerable stress, long commutes, and other hardships. Reflecting on this, I felt reaffirmed in my desire to live with a sense of mental freedom and control—contributing to society in ways that feel comfortable to me while earning enough to support my lifestyle.
It’s like being a casual tennis player watching Olympic-level athletes. Their skills and accomplishments are dazzling, but the sheer amount of effort, endurance, and hardship they endure is unimaginable. Only a select few have the drive and capability to go that far. For me, playing at a hobby level is sufficient. Pushing myself to the point of emotional and physical exhaustion by aiming for the Olympics would defeat the purpose.
Another realization I had while observing these highly capable individuals up close is that healing oneself or addressing personal trauma is truly "Phase 1" of life. That’s important, of course. But meeting these professionals—who have likely moved far beyond that phase—was deeply inspiring in a way.
They seemed to embody the mindset of: "The past is the past. I couldn’t control it, and I was hurt deeply. But that’s that. As a free individual, what can I achieve now? What can I contribute to addressing the problems of our time?" That’s the essence of what I see as "Phase 2" of life, and I now feel motivated to step into that phase myself!
英単語のHumanityとは、人間であること、人間性、博愛、慈悲、人情。そして人文学、人文科学(the Humanities)。
【ヒューマニティ】のセッションでは、文学作品を味わう経験ができました。
紫式部『源氏物語』
作者不明『平家物語』
シェイクスピア『ジュリアス・シーザー』
鈴木大拙『東洋的見方』
ベルクソン『道徳と宗教の二源泉』
平家物語の冒頭をCDで聴くことができたのは非常に興味深かったです。今日の感覚からするとゆっくりすぎると感じますが、当時のテンポ感に触れられました。ソローの、「落ち着いて簡素に生活を味わう」という思いとも関連があるかと思います。
源氏物語、平家物語は、物語ですが史実をもとにしていて、その時の貴族の教養レベルの高さ、運命に翻弄される昔の人々の悲哀を語っています。その時代と比較すると、今の日本はまだ自由がある。まだ問題は山積しているけれど、少しずつ進歩してはいる。とも思えました。
シェイクスピア『ジュリアス・シーザー』では、扇動されやすい群衆心理が描かれていました。オルテガの『大衆の反逆』でも論じられていましたが、「本来政治は、自らに高い目標と倫理性を課す少数者にしかできない。しかし、凡庸な大衆が、自らの凡庸であることを認め、自分に高い目標を課すこともなく、権利を主張し始めた。その結果、大衆が大衆のまま政治にも参画し国家の辿るべき道を危うくしている。」それが、まさに演劇の中で表現されているようでした。レトリック、雄弁術の有力さが描かれています。内村のシーリー総長への心酔とも繋がるかと思いますが、1.言っている内容と、2.言い方は、全く別物である。にも関わらず、いかに混同されやすいか、言い方が内容に影響を与えやすいかを示しています。政治においては大衆となりやすい自分、また、リーダーとしては、少数者であることを期待される自分、と、様々な場面に置き換えて考えることができました。
時代や場所によって異なる価値観(何を重要視するか)、また、何が実質的に可能だったのか、どんな物事が人々を動かしていたのか、等について考え、考察することができました。歴史を踏まえて、今、地球全体の未来のために何が出来るかを考えたとき、
1.違う世界に飛び込み、新しい物事を知って刺激を得る、
2.別の文化の中でも、似た考えの人と繋がる。そして共同で問題解決に取り組む、
ということを、大阪大学の堂目先生は有言実行されていて、著作を読んでみたいし、なにか一緒にやりたいなと思うようになりました。
鈴木大拙の『東洋的見方』では、西洋の二分式の考え方、数的考え方とは全く異なる、禅の精神について触れることができました。「私はいる、でも、いないかもしれない。」「甲は甲ではない、ゆえに甲である。」という、わけのわからない物言いをするところにこそ、禅の真髄があるのだという。それは、言葉の危うさを禅の教えが語っているとも言えるそう。二分割、数字で数えていき、細分化して身動きが取れなくなっていくこと、そして人間が機械のように扱われることへの危惧がある。
禅の世界は、有も無も、あらゆるものが渾然一体として、溶け合って、かつ互いに障りのない(円融無礙 えんゆうむげ)、分離されない状態で存在する世界。しかもそれは静寂不動ではなくて、石臼がぴょんぴょん飛び跳ねるような、全てが常に変化する世界であるらしい。そんな世界でこそ、人間の全貌は考えられるべきものであって、そうすることで人間らしい生涯が営まれるのだと、鈴木大拙は言っている、と私は捉えました。面白い…。「無は即ち有である」なんて、理屈では捉えられない所が面白いし、クセになる…。西洋的な二元論で語れないものもあるし、全てをそう簡単に「判った」と思ってしまいがちなことへの警鐘だとも思います。
ベルクソン『道徳と宗教の二源泉』は、第一次世界大戦から第二次世界大戦まで、愛国心、ナショナリズムが高揚し、国益のための戦争が頻発する中で、道徳をどう考えればいいのか論じていました。閉じた社会というのは、原始的で、防衛のために作った集団で、集団の中で上手くやっていくためのいわば生存のための義務的道徳が生ずる。集団内の相手には実は無関心で、利他主義の限界を表している。それに対し、開いた社会は人類全体を含むもので、集団内の相手の福祉に関心があり、道徳は自発的である。それはおそらく理想郷であるのだが、閉じた社会は閉じたり開いたりしながら、少しずつ拡大を続けていくしかない。このあとの後半部分では宗教や神秘性も論じられて私にはよく理解できなかったけれども…、「人類は自分の未来が自分自身次第だということを充分に知ってはいない」というところにはどきりとしました。
いやはやーー、濃いセミナーです。
もっと早く出会いたかったと思う古典がたくさん!!