古典を読んで、対話するという合宿形式のセミナーに参加してきました。非常に有意義な3日間でした…。振り返りをば。
【社会・デモクラシー】セッションでは、以下の6冊の抜粋について対話しました。
ヒポクラテス『古い医術について』
ソロー『ウォールデン(森で生きる)』
ミル『女性の解放』
清沢洌『暗黒日記』
今道友信『エコエティカ』
リンカーン『ゲティスバーグ演説』
ヒューマニティに似たところがありましたが、セッションを通して、その時の世論とは異なる意見や考えを持って、それを迫害を恐れずに声に出して来た人物たちに深い尊敬を持つとともに、こういった人々がいて今の世界があると思いました。そして、未来に目を向けたとき、
・時流や『ふつう』であるものに流されて巻かれるのではなく、存在する問題に知らないふりをするのではなく、批判的な視点を持って見ることの重要さ。
・自分で考え、自分が倫理的、道徳的だと考える主義(コーズ)について、長期的な展望を持って主張していくことの大事さ。
・そんなのやってもどうにもならないよ、という諦観論や、目先の利益といったものに目をくらませられるのではなく。
など思い、自分が未来の世界市民のためにできることを一歩ずつやっていこうと思いました。
ミル『女性の解放』
原題は、Subjection of Women で、女性の隷従。訳者が希望を込めて、女性の解放としたのかもしれない…。ミルの、男性でありながら男女平等を論理的にフラットな目で擁護・正当化していて感銘を受けました。さらに、堂目先生の補足で、ミルが国会答弁で女性の権利論を展開して揶揄されて全く相手にされなかった、当時の学者としての名声を落とすことになっても、ミルは腹を括って活動し続けた、というエピソードにも感動しました。ジェンダーの問題には関心が高いつもりでいましたが、ミルについては経済学のイメージしかなく、この時代に、これほど論理的に、男性の立場から、確固たる信念を持って女性の解放を唱えていた人がいたとは。もっと早くこのテキストに出会うべきだったと反省しました。きっと、もっと昔に読むべきだった古典は山程あるのだろうなと思います。
ソロー『ウォールデン(森で生きる)』
Thoreauは森で簡素な暮らしをして、生活から余計なものを削ぎ落としてそこから得られるものを確かめたかった。優しい自然だけでなく災害を起こすような自然、食い合っている自然を目の当たりにして、元気を取り戻さなければならないと言っていた。電信で話し、時速30マイルで移動する必要がどこにあるだろうと言っていたが、今やアメリカの高速道路は時速75マイル、インターネットで瞬時に連絡が取れ、それゆえに、常にメールチェックに追われ、日本では東京から大阪まで日帰り出張なんていう慌ただしさである。「とにかく生活に落ち着きが無さすぎる」とのThoreauの指摘は現代でも通じる。大量消費社会へと変貌しつつある当時のアメリカに、疑義を唱えた一人だった。
Walden Woods というカフェが京都にあるのですが!まさかThoreauから来ていたとは!!今度行ったとき、由来を聞いてみよう。Thoreau が住んで思索を深めたWaldenの森のような存在にしたいという意図があったなら…なんと哲学的で粋なんだ!! Thoreau は、戦争に反対して人頭税を払わず、逮捕・投獄された。それは、不服従という形の抗議方法となり、人々に勇気を与えた。森の近所の人が人頭税を代わりに払ってくれて、獄中で過ごしたのは1日だけだったそう。
今道友信『エコエティカ』
今道友信氏は最近までご存命だった倫理学者・哲学者。技術の発展に伴った新しい倫理学を唱えました。具体的には、
「今までは、『目的』があって、それにかなう手段を選んでいた。例えば
生活するためのお金がほしい、であれば、友達に借りる、アルバイトする、行政に相談に行く、など。そこから、自分が実現できそうな手段を選ぶ。
一方、技術が発達した今、強大な『手段』が先に出てきてしまって、それを何に使うかの目的が後に考えられている。原子力が開発され、原爆が開発・使用されたり。原発が、危険性を顧みずに使用されたり。
そして、強大な手段を持つ主体が企業や団体になってしまったために、それを使う目的が、平和や安全、人道的なものではなく、組織の存続や利益となってしまっている。そしてその責任の所在が明確でない。倫理的主体の複数化が生じている。東日本大震災および原発事故はまさにそれで、企業の存続、自己保身が最優先になった。」と。
手段が先にあり、例えばインターネットやSNSという手段が先にあり、そこでバズって荒稼ぎし、そこから自分の主義主張を発信していくというやり方もできるようになった(選挙、広告などマネーゲームである)。そこには手段から始まった目的の危うさがあります。AIも今や、強力な手段といえます。
また、手段が先に来ることによって、手段によって目的が限定されることになった。それは可能性を狭めることになる。もはや、「神に近づく」とか、「平和を達成する」といったような、俗を離れた目的は考えつかなくなる。それも自由な思想を妨げる。」と。
セミナー会場の庭。自然豊かで静かなところ。俗世間から隔絶された感がある…。そんな場所で、対話は進んでいきます。眼の前の道路は紅葉した大きな木々の並ぶ並木道で、朝散歩したら、初冬の朝の澄んだ空気と、土と葉の折り混ざったなんとも言えない森の香りがして、「あー、Thoreauは森でこんな気分を味わっていたのだな」と思いました…!
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