去年知り合った人たちがまた来てくれてて、嬉しかったな!しかも皆両日参加だったし! 私も来年は両日参加したい!と思う一方、仕事もあるし、体力的に無理しないようにはしないと…とは思う。
「私たちだっていいふうふになりたい展」の宣伝を見て思った。「私たちだって」の、「だって」ににじみ出ている、「異性愛者とは一段下の自分たち、であっても」という卑下。
自分たちにも、同じ権利があるんだって、何の疑念なく信じていれば、「私たちだって」ではなく、「私たちも」となるのではないか。
考えすぎかもしれないけど、結婚が認められていない同性カップルが、肩身の狭い思いをしているのは事実。「平等な権利が長く認められていない自分たち」という、虐げられた状態に慣れてしまっていて、「私たちだって」という、這い上がっているような感覚が無意識的にあるのではないか。と邪推してしまう。
これは本当に人権問題。
一緒にボランティアした友人はスペイン出身で、自身はアライとして、デモとかにもよく参加しているらしい。東京のレインボープライドにも行ったことがあるらしい。東京のイベントは、酔っぱらいが多くて、エロ要素も目立って、皆に開かれたイベントではないという印象だったそうだが…、関西は、そういう要素はなく、誰でも参加しやすいイベントだなと思ったそうな。東京のイベントはそうなのかーやっぱり新宿二丁目とか、オネエとか、そういう文化が牽引しているのだろうか。
問題だと思ったのは、「ハッピープライド」という文言。ハッピー…とかそんなノリじゃないんだよ…。「ハッピーハロウィン」のような、祝っても祝わなくてもどちらでもいい、個人の自由なただのイベント、みたいな印象を与えられると困る。
黒人の差別撤廃運動に、「ハッピー◯◯」の文言が使われただろうか。女性の地位向上運動に、「ハッピー◯◯」が使われただろうか。フェスタ=お祭りという体で、身近に感じてもらおうという趣旨だけど、ハロウィンのようなお祭りではない。季節の行事でもない。
本来誰しもが持っている基本的人権が、性自認・性的指向によって、制限されている人たちがいる。問題ですよね?基本的人権を取り戻すよう、政府に働きかけましょう、という運動なのです。性自認・性的指向に関わらず、人間全員が、本来持っている権利を行使できている世界であれば、こんな活動は不要なのです。
まあ、同性婚が実現しても、この長い戦いを忘れないためにも、性の多様性があることを思い出してもらう機会としても、プライド関連イベントは続けていった方がいいと思うけれど。常に主張して、戦わなければ、自由はすぐに奪われてしまうので。悲しいことに。
和歌山にある動物園、アドベンチャーワールドも出展していて、虹色の動物のグッズを売っていた。そこのブースにいてた方とちょっと話すことができた。同社では、同性パートナーがいる人にも、パートナーの怪我や病気で休職できる制度があるらしい。
同社の多様性受容への姿勢は、性的少数者にとどまらず。知的障害がある子とその親だけに限定して園を解放する日を設けている。車椅子に乗っていたり、突然騒ぎ出したりする子は普段ジロジロ見られるため、その家族はなかなか外出もしにくい。しかしこの日は、人の目を気にせず自由に園を楽しむことができる。そんな日を設け初めて、七年になるのだそう。その人も自分の身の上話をしてくれて、嬉しかった。ありがたかったな。勇気のいることだったかもしれない。きっと、アドベンチャーワールドで働いていることを、誇りに思っているだろうな。
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