Thoughts and notes of a researcher in plant genetics and nutritional epidemiology in Japan and the U.S. with a wide range of interests - choral activities, photography, nature, travel, and drawing. L'épanouissement personnel means personal development and fulfillment. Still in the middle of it, enjoying the process. 農学部、酒類企業研究員を経て、米国ミシガン州立大学で博士過程を卒業後、植物遺伝学と食物疫学の研究に片足ずつつっこんでいます。趣味の合唱、自然観察、旅行、写真、絵描き、国際交流など、いろんな記録です。L'épanouissement personnelは自己研鑽、実現というような意味です。生涯に渡って一緒に旅する人生のテーマ。
12.24.2024
当たらない牡蠣を食べる会と、商業化されたクリスマス
12.21.2024
「世界は、夢組と叶え組でできている」/桜林直子
やりたいことがはっきりしていてそれに突き進む「夢組」と、夢組がそれを叶えるのをサポートして現実化する「叶え組」がいる。というお話。自分の人生の段階によっても、場所(職場、家庭)によっても、自分が夢組か叶え組なのかは違うかもしれない。
◆ガマンや、やりたいことを抑えるフタがある場合は外していく
しかし、やりたいことがない、とか、自分が欲しいものがわからない、というのは、自分の欲がわかっていない、これが食べたい、これが欲しい、これをしたい、など、自分がどう感じるかをずっと閉じ込めて来た人は、自分の欲を分かっていないのだとも筆者は言う。
小さい頃、生きていくために、大人・環境に従って、ガマンをしてきた人。であれば、そのガマンはもう手放していい。もっと自由に、自分が今どこにいて、何をして、どんな人と付き合って、どんなものが欲しいのか、素直に少しずつ、自分の心の声を聞いてみるといいんじゃないかと思う。
私は自分の欲しいものがはっきりしているときと、そうでもないときがある。留学はしたかった。大学院も行きたかった。ので行った。それ以外の選択肢はない、と思っていたほど。
一方で、専攻とか、人間関係とか、食べるものとか、買い物とかは、迷いまくり。そんなにこだわりがないところ、なのかもしれない。
◆自分のサイズと持ち物から、やれることを見つける
自分のサイズ=自分の凸凹を把握する。譲れない条件や、ほっとくとこうなる、という性格や、変えられない環境。嘘をつかずに、自分のわがままを全て出し切る。例えば彼女はシングルマザーなので、仕事をする時間を固定したくない、18時以降は働かない、夏は子供と一緒に夏休みを取りたいから働かない。見えない部分があるとフリーズして機能しない。
自分の持ち物=出来ること。こうなりたいという願望は一切入れず、自分が今もっているもの。解決力、機嫌よく働く、おせっかい、人使いが荒い、それまで経験してきたお菓子業界の仕事も一つ一つ。誰にでも出来る仕事だとしても、すべて「持ち物」の中に入れ、この中から出来ることしかやらない、と決めたそう。「できたらいいな」「やってみたいな」は選ばない。
で、このサイズと持ち物から、家の間取りと家具の配置を図面の上で何度も試すように、組み合わせて、こうしたらいいか、ああしたらいいか、とプランを練った。これは、八木仁平さんの、好きと得意を組み合わせていろいろな職業を考えてみる、に似ている。「自分の持ち物を知っていると、他人の持ち物と組み合わせて役に立つ方法も見える。持ち物にないものを求められて、「役に立たない」と落ち込まなくて済む」もキモ。ここに協働の意義がある。
◇生存者バイアス
これについてお友達と話したら、「シングルマザーになった。じゃあ起業しようと言ったって、そう簡単ではない。全ての片親が、彼女のように成功できるかといえばそうではないかも。起業した会社の殆どは潰れる、生き残るのは一部だけ。まして、自分の持てる全ての時間、全ての労力を投入できない子育て期にあっては。彼女は会社員時代に学んだことプラス、きっともともと起業家の素質があった。この本には『生存者バイアス』もある。」と考えが広がり、私にはない視点だったので目からウロコ! 確かにー。とても勉強になった。
◆時間は人生
「やりたいこと」の他に、「自分の時間をどう使うか」を考えないといけない。30代になると仕事・家事・育児・趣味、と時間が足りなくなってくるので、何に時間を割り振るか、自分のキャパの中で、時間割を決めて、それを「やりたいこと」としたらよい。人によっても、人生の段階によっても、時間割は違ってくる。仕事の割合が高かったり、子育ての割合が高かったり。
人生は死ぬまでの時間なのだから、何をするか、誰といるか、が全て。
◆やりたいことリスト100を書く
やりたいことを100個書くことで、自分の欲を抑圧しているフタを観察し、外すことが出来る。最も大きなフタは、「幸せになりたい」という欲を抑える、「幸せになってはいけない」というフタ。交流分析の禁止令にも出てくる。まさに。
『「やりたいことを見つける」とは、運命のたったひとつのなにかに突然バッタリ出会うのではなくて、小さなよろこびや自分がアガることを見つけて、それをガマンしないで、自分をよろこばせ続けていたら、気がつくとすでに手の中にあるようなものなのかもしれない。』
◆人生には波がある
- 自分のやりたいことをやるときと、人のためにやるとき
- やる気があるときと、ないとき
- 過去を振り返るときと、未来を見るとき
- 人に会いたいときと、一人でいたいとき
- コンテンツを浴びたいとき(インプット)と、創作したい(アウトプット)とき
- 力を入れるときと、力を抜くとき
- 都会がちょうどいいときと、自然を求めるとき
- 全部が楽しいときと、全部が怖いとき
- 自信があるときと、自信がもてないとき
- 自分の内側にもぐりこむときと、外側から俯瞰で見るとき
◆自分のためだけになっていないか、人のためだけになっていないか
人のためだけになると、自分のことが疎かになるし、逆も然り。バランス感が重要。人のため、と思いながら、承認や感謝がほしい、とか思ってしまうと、「こんなにしてあげてるのに!」となったりするし。
12.20.2024
「諸君ヨ、人一人ハ大切ナリ」
京都検定を受けに行った、同志社大学新町キャンパス。
「諸君ヨ、人一人ハ大切ナリ」と、正面玄関入ってすぐのところに記されてあり、新島襄の思いをしかと受け取りました…!
自分もそうだけど、何かしないと、何か尽くさないと、ここにいてはいけないんじゃないか、ここにいる資格はないんじゃないか、そんな深層心理が働きがちな気がします。
だからこそ、人権思想って本当に偉大だなと思う。
ひとりひとりが、
大切なのです。
なにもできなくてもいい。
特別なことをしなくてもいい。
人権思想が出るまでは、個人の存在は生物の生存(種の保存)とか、家柄、血統の保存とか、国の繁栄のためとか、そういう全体の存続のためでしかなかった。つまり、個人個人の存在は「目的」ではなく、「手段」だった。
これに対し、その人の存在、その人の幸福じたいが目的である、という考え方が人権思想なのだと思う。
人類の発展のためとか人口減を食い止めるためとか血筋を途絶えさせないためとか、そんな、個人自体をないがしろにした目的達は、ただ個人を利用しようとしているだけ、本末転倒なのです。
私たち個人が、義務感も劣等感もなく純粋な気持ちから、その目的のために身を捧げる、と。それが自分自身の幸せだ、と決心したのではない限り、そんな全体主義的な目的には賛同しなくていいし、スルーしとけばいいのです。
やりたいことを
やりたい時に
すきなように
すきなだけ
やる人生を送りたい。
自分に正直に。
無理せず。
何かに自分の時間と労力を捧げるとき、何かに尽くしたい衝動に駆られたとき、立ち止まって考えたいです。
なんで私はそれをやりたいと思うのか?
純粋にそれが好きだから?
それとも
それをしないと、集団に受け入れてもらえないから、というあせり、不安、恐れから?
12.19.2024
12.18.2024
書き物グループでの忘年会
12.17.2024
忘年会&歓送迎会
12.04.2024
東寺ライトアップ!
11.30.2024
神宮カフェ
神宮の鳥居眼の前。非常に良い雰囲気だった!
パスタ、ラザニア、キッシュなど。キッシュは大人気らしく売り切れていたーー! サーモンキッシュ美味しそうだったな。また次回!
陶芸品ギャラリーや、坪庭まであり、素敵だった。
11.29.2024
リーダーシップセミナーとしての感想
- 多様性の包括、
- 性急に結論を出さない、
- 自分自身の倫理観に裏打ちされた長期的なビジョンを持つ、
- 折々に古典に触れ、多種多様な角度から物事を観る、
- 人の話を先入観無しによく聴く、
- 評価をせずに、ただありのままに受け止める、
- 常に学び続ける、謙虚な姿勢を持つ
11.28.2024
哲学合宿で得た一番大きなもの Lessons learned
この二泊三日の哲学合宿で得た一番大きなものはおそらく…
このセミナーがなければ出会わなかったような、業界や職種の全く違うリーダークラスの人々との出会い。一流企業の一流人材の所作、考え方、これまでの経歴、すべてが勉強になりました。
特に、人相手の仕事を長年やっている人は、語彙力、話し方、雄弁さ、瞬発力、人の話を聴いて理解する力など、口頭言語に関する能力が高い! 当然のことながら、すごい分化しているというか、モノ相手の仕事を長年やっている私とは全然違う能力が育っているんだなーと。私が瞬発力に課題がある…のは、鍛えていないのだからしょうがない。発言のたびに心臓がドキドキする、臨戦態勢になる、あらゆる悪いことを想定してしまう、というのは、場数を踏んでいないからだし、よく知らない人、多数の人とのコミュニケーションが心理的負担になっているからである。と、冷静に自分を見ていた。ここは、「自分に無いものを持っていて羨ましい」、ではなくて、「モノ相手の仕事、自分に合った仕事ができていてよかった…」と思えたので、だいぶ自己受容が進んでいる。
なぜならば、別に一流企業で一流のことしていなくても、人は存在しているだけでいいのだから。
カントも言っていたけど、人間の存在そのものは目的であって、手段ではないのだから。(と、カントを読んだ今ならそれを引用しつつ言える!)
やはり鍛えられている幹部候補生は違うなぁ…と思いました。ただ、彼らの話を聞くと、「失敗して怒られる」とか、「投資分回収できないよ、どうするの?」と言われる、「仕事が終わらず土日も持ち帰ってやっている」、「何人もの部下のマネジメントに追われる」など、企業人としてやはり大変なこともたくさん。ストレスも多いし、通勤も大変だ。自分は…心の余裕とコントロール感を持って、自分が心地良いような形で社会に貢献して、生活するためのお金を稼ぎたい、とも思った。
例えて言うと、趣味でテニスをしている身で、オリンピックレベルの一流テニス選手を見た気分。彼らの能力も素晴らしいし活躍は華々しいのだが、彼らの努力量、忍耐、苦難、などを考えると、やはりそこまでやろうと思える人は一握りだし、やれる人もわずかだと思う。趣味レベルで充分なのに、オリンピックに出なければ!と意気込んで心身をすり減らしてしまっては元も子もない…。
こういう出来る人たちを間近で見てもう一つ思ったのは、自分を癒すとか、トラウマがとか、というのはフェーズ1である。それももちろん大事。で、それを遥かに(おそらく)乗り越えているだろう職業人の皆さんに会って、奮い立たせられました、ある意味。「過去は過去。コントロールできなかった。たくさん傷ついた。それはそれ。その上で、自由な一個人として、自分が成し遂げられることは何か。今の時代の問題について、自分ができることは何か。」と問う。それがまさに人生のフェーズ2で、そのフェーズ2に行きたいと思いました!!
The most significant thing I gained from this three-day philosophy retreat was probably...
Meeting leaders from different industries and professions—people I never would have encountered without this seminar. Observing the demeanor, thought processes, and career paths of top talent from leading companies was an incredible learning experience.
Particularly striking was how people who have worked with others for many years possess exceptional verbal skills—vocabulary, eloquence, quick thinking, and the ability to listen and understand others’ perspectives. Their verbal abilities are highly refined, reflecting the nature of their work. In contrast, as someone who has worked with "things" for many years, I realized that I’ve developed entirely different skills. For example, my quick-thinking abilities are lacking, but that’s not surprising since I haven’t trained them. My heart races every time I speak up, putting me into a fight-or-flight mode where I imagine all the worst-case scenarios. This anxiety stems from a lack of experience in these settings and the psychological burden of communicating with unfamiliar or numerous people. I observed myself calmly during the retreat, acknowledging these weaknesses.
However, instead of feeling envy for what I lack, I thought, "I’m glad I’ve been able to work with things, a type of work that suits me." This realization marked significant progress in self-acceptance.
After all, as Kant pointed out, humans have intrinsic value simply by existing. We are ends in ourselves, not means to an end. (Having read Kant now, I can confidently reference him!)
That said, it’s undeniable that these trained future executives stand out. Listening to their stories, though, I realized their lives aren’t without challenges: being scolded for mistakes, facing pressure to recover investments, bringing work home on weekends, or managing multiple subordinates. Corporate life clearly involves considerable stress, long commutes, and other hardships. Reflecting on this, I felt reaffirmed in my desire to live with a sense of mental freedom and control—contributing to society in ways that feel comfortable to me while earning enough to support my lifestyle.
It’s like being a casual tennis player watching Olympic-level athletes. Their skills and accomplishments are dazzling, but the sheer amount of effort, endurance, and hardship they endure is unimaginable. Only a select few have the drive and capability to go that far. For me, playing at a hobby level is sufficient. Pushing myself to the point of emotional and physical exhaustion by aiming for the Olympics would defeat the purpose.
Another realization I had while observing these highly capable individuals up close is that healing oneself or addressing personal trauma is truly "Phase 1" of life. That’s important, of course. But meeting these professionals—who have likely moved far beyond that phase—was deeply inspiring in a way.
They seemed to embody the mindset of: "The past is the past. I couldn’t control it, and I was hurt deeply. But that’s that. As a free individual, what can I achieve now? What can I contribute to addressing the problems of our time?" That’s the essence of what I see as "Phase 2" of life, and I now feel motivated to step into that phase myself!
11.27.2024
【認識】
11.26.2024
【世界・日本】
11.25.2024
【ヒューマニティ】
英単語のHumanityとは、人間であること、人間性、博愛、慈悲、人情。そして人文学、人文科学(the Humanities)。
【ヒューマニティ】のセッションでは、文学作品を味わう経験ができました。
紫式部『源氏物語』
作者不明『平家物語』
シェイクスピア『ジュリアス・シーザー』
鈴木大拙『東洋的見方』
ベルクソン『道徳と宗教の二源泉』
平家物語の冒頭をCDで聴くことができたのは非常に興味深かったです。今日の感覚からするとゆっくりすぎると感じますが、当時のテンポ感に触れられました。ソローの、「落ち着いて簡素に生活を味わう」という思いとも関連があるかと思います。
源氏物語、平家物語は、物語ですが史実をもとにしていて、その時の貴族の教養レベルの高さ、運命に翻弄される昔の人々の悲哀を語っています。その時代と比較すると、今の日本はまだ自由がある。まだ問題は山積しているけれど、少しずつ進歩してはいる。とも思えました。
シェイクスピア『ジュリアス・シーザー』では、扇動されやすい群衆心理が描かれていました。オルテガの『大衆の反逆』でも論じられていましたが、「本来政治は、自らに高い目標と倫理性を課す少数者にしかできない。しかし、凡庸な大衆が、自らの凡庸であることを認め、自分に高い目標を課すこともなく、権利を主張し始めた。その結果、大衆が大衆のまま政治にも参画し国家の辿るべき道を危うくしている。」それが、まさに演劇の中で表現されているようでした。レトリック、雄弁術の有力さが描かれています。内村のシーリー総長への心酔とも繋がるかと思いますが、1.言っている内容と、2.言い方は、全く別物である。にも関わらず、いかに混同されやすいか、言い方が内容に影響を与えやすいかを示しています。政治においては大衆となりやすい自分、また、リーダーとしては、少数者であることを期待される自分、と、様々な場面に置き換えて考えることができました。
時代や場所によって異なる価値観(何を重要視するか)、また、何が実質的に可能だったのか、どんな物事が人々を動かしていたのか、等について考え、考察することができました。歴史を踏まえて、今、地球全体の未来のために何が出来るかを考えたとき、
1.違う世界に飛び込み、新しい物事を知って刺激を得る、
2.別の文化の中でも、似た考えの人と繋がる。そして共同で問題解決に取り組む、
ということを、大阪大学の堂目先生は有言実行されていて、著作を読んでみたいし、なにか一緒にやりたいなと思うようになりました。
鈴木大拙の『東洋的見方』では、西洋の二分式の考え方、数的考え方とは全く異なる、禅の精神について触れることができました。「私はいる、でも、いないかもしれない。」「甲は甲ではない、ゆえに甲である。」という、わけのわからない物言いをするところにこそ、禅の真髄があるのだという。それは、言葉の危うさを禅の教えが語っているとも言えるそう。二分割、数字で数えていき、細分化して身動きが取れなくなっていくこと、そして人間が機械のように扱われることへの危惧がある。
禅の世界は、有も無も、あらゆるものが渾然一体として、溶け合って、かつ互いに障りのない(円融無礙 えんゆうむげ)、分離されない状態で存在する世界。しかもそれは静寂不動ではなくて、石臼がぴょんぴょん飛び跳ねるような、全てが常に変化する世界であるらしい。そんな世界でこそ、人間の全貌は考えられるべきものであって、そうすることで人間らしい生涯が営まれるのだと、鈴木大拙は言っている、と私は捉えました。面白い…。「無は即ち有である」なんて、理屈では捉えられない所が面白いし、クセになる…。西洋的な二元論で語れないものもあるし、全てをそう簡単に「判った」と思ってしまいがちなことへの警鐘だとも思います。
ベルクソン『道徳と宗教の二源泉』は、第一次世界大戦から第二次世界大戦まで、愛国心、ナショナリズムが高揚し、国益のための戦争が頻発する中で、道徳をどう考えればいいのか論じていました。閉じた社会というのは、原始的で、防衛のために作った集団で、集団の中で上手くやっていくためのいわば生存のための義務的道徳が生ずる。集団内の相手には実は無関心で、利他主義の限界を表している。それに対し、開いた社会は人類全体を含むもので、集団内の相手の福祉に関心があり、道徳は自発的である。それはおそらく理想郷であるのだが、閉じた社会は閉じたり開いたりしながら、少しずつ拡大を続けていくしかない。このあとの後半部分では宗教や神秘性も論じられて私にはよく理解できなかったけれども…、「人類は自分の未来が自分自身次第だということを充分に知ってはいない」というところにはどきりとしました。
いやはやーー、濃いセミナーです。
もっと早く出会いたかったと思う古典がたくさん!!
11.24.2024
【社会・デモクラシー】
11.17.2024
気にしない力。カプセルホテルとビジホの高低差!!
島根ではカプセルホテルに泊まったのですが(神在月の観光シーズン、本当に宿がなくて)…。女性専用の部屋でしたが、20人!が同じ部屋に寝ていて、やはり静かなわけがない…。
深夜に帰って来てごそごそしている人が1時くらいまでいて、そこからやっと寝られるかと思ったら、高らかないびきをかいている人複数名、呼吸器疾患のような咳を繰り返す人が… で、きわめて浅い眠りで何度も目が覚め、早朝出発組の人々が4時半には動き出して寝室とロッカールームを往復する音も始まり、超絶睡眠不足でしたわーー
誰も会話していなかったのはよかったのですが、足音とドアの開閉音がひっきりなし…。朝は徹夜明けの状態でした。
これ、眠れた人いるのかしら??
騒音は慣れでもある。らしいし、寮生活とかだったら慣れるのかな? 耳栓して、どこでも寝れる人だったらいいのかもしれない。気にしない力、ほしい…! 二泊予定でしたがこれはマズイ…と思い、眠れないカプセルの中で二日目のホテルを検索。
松江市はやはりホテル空いていなかったけど、奇跡的に出雲市にビジホが!! 地方都市にしてはかなり高いお値段だったけど、ここはもうお金で解決しようと思い、深夜1時半にポチリ。
翌日の、個室のビジネスホテルに、広々と荷物を広げて、しーーーんとした一人時間を味わい、「あーーー幸せ…!!!」ってなりました。前夜のカプセルは、これを味わいありがたがるための伏線?だったのか?とすら思えて。熟睡して、翌朝目覚めた瞬間、ここはどこだっけ?ってなるくらい…。よかった!! 予定外に出雲市に泊まれて、なんか御利益があった気もするし。
ともかくも。ホステルとかシェアハウスとか、よく泊まれる/住めるなぁ…と思いました…。私は特に神経質な方だと思うけども…。(というか、聴覚過敏の気が…) 何でも気にしない人って、いいな。
何が起きても、大抵のことは、真正面から受け止めずにさらりとかわす。のような。
ちょっと話がズレますが、何でも動揺せず、気にしない人、揺らがない人、って一緒にいて本当に安心するなぁーと思いました。
騒音については無理だけど、その他のことについては、枝葉は揺らいでも根っこは揺らがず、どーんと構えていられる人になりとうございます。
11.16.2024
足立美術館
足立全康という、明治初期から大正にかけて一財産築いた地元の実業家が建てた美術館。生家があった場所は、現在の足立美術館の所在地。
10代の頃から、商売の妙味を知る。うまくいった事業もそうでない事業もあったけど、結果的に長く続けていてこんな美術館をまるごと建てるまでに。田舎ののどかな土地のど真ん中に突如として現れる足立美術館。庭園は立派だった。さすが、この土地の広いところでないとこの規模は難しいだろう…。横山大観の『那智の滝』を模して人工の滝まで作った。滝って人工的に造れるものなのか…。実業家の意気を感じる…。
全康氏、最初の結婚は無理やり別れさせられて、仲が良かっただけにショックを受ける。。再婚し、息子が生まれるも、息子が十歳の時に妻他界。そしてまた再婚する。で、その妻にも老後に先立たれる。まあ80-90歳の時だから、どちらが先でもおかしくはないんだけども。何か…人との別れをたくさん経験してるんだなと思った。そして、そういう時、自分が持っているお金はどんな風に見えたのだろう。とか。一代でこれだけの財を築くって、田舎のムラ社会からどんな感じで受け止められていたのだろうか、とか。
ともかくも、美術館2軒行ったくらいの見応えがあった〜!
近代日本画(明治以降)と、現代画。
本館にある近代日本画は、横山大観を目玉に。大観は岡倉天心の遺志を継いで、日本美術院の復興に努めた。2 m ✕ 4 m の屏風 ✕ 2枚の紅葉図は迫力も色味も素晴らしく見事。群青色の背景に、明るい紅葉や焼けた朱色を使った枯れた紅葉など多様な葉っぱが巨木の上に広がる。プラチナが散りばめられていて、きらきらと光る水しぶきとなっている。
横山大観は太平洋戦争前、自分の画歴50周年を記念して、海山十題、合計20作品を描いた。話題になり、当時としては破格で売れた。それらを売ったお金は全額陸軍と海軍に寄付し、それでもって、軍部は戦艦「大観」を建造したらしい。すごい時代…。この頃に海のテーマが多くなってきたのは、海洋国日本の意識が高まってきたからだろうとの見方もある。芸術家が政治活動というか、国家のイデオロギーに加担するとは…。「絵は心で描く」と、言っていたそうだが、軍部の情報操作のままに愛国心を多分にかきたてられた心だったのか、戦時中となれば一番に不要なものとされる芸術というものを、彼なりに守りたい心だったのか、わからないが…。 加えて、軍人学校に掲示して士気高揚を図るためと依頼され、朝日と富士の絵を描いたそうだ。時代の趨勢には逆らえない、職業画家とはそういうものかもしれない。
現代画は新館に。美術院展への出品作の中から、足立美術館賞の受賞作品を選定と同時に買い取っていて、その作品を展示している。作者による作品紹介が書かれていて、それを読みながら鑑賞できるのが素晴らしいと思った! 現代絵画ならでは。現代絵画には馴染みがなかったしよくわからないなと思っていたけど、作者の解説があると一段深く味わえる。抽象画ではないので、描かれているものも幾分分かりやすいのだと思う。
バリ島の火葬の絵のテーマとして、「バリの人々にとっては死ぬことは、苦しい現世を離れて神々のもとに行ける喜ばしいことだから、お葬式は絢爛豪華」とか、一見部屋着を着て本に囲まれているが細々といろんなモチーフが描かれている絵「理(ことわり)」、について、「理とは、法則、規則、など堅苦しいもの+覚悟がスパイス。『見た人の記憶になんとなく残ってずっと考えさせる、人の時間をそれとなく盗む絵を描きたい』…と絵の構想を練りながら、何十時間も時間を盗まれてしまったことに気づくのである」というオチ付き。人の時間を盗む絵を描きたいというのは大胆な表現だけれど、それほどに人を惹きつける絵を描きたいということか…。
「人に〜させたい」という目的で描くのが、美術の在り方なのか?と思うと、疑問もある。ただ、作家が完全に自分の世界にこもって、「この題材を描きたい、私がやりたいように。見ても見なくてもどうぞ」というのも違う気がするし。
足立美術館賞の絵は全て大きい!2 m x 3 m は優にありそう… 大きな絵はそれだけで見応えがあるし、この大きさでデッサンぐるいもなく成立しているだけでそもそも素晴らしい…のに、その上にメッセージ性があって味わえる。現代絵画も親しみというか好きな部分が見つかってきたぞ?という心境です。
おまけに新館2階では、「人々を魅了する樹」という展示まで。木々を主役にした大きな絵画がたくさんで迫力満点で、 奥入瀬の渓流の波しぶきを描いた作品、5月の青森の、まだ肌寒い森の神秘的なひっそりとした雰囲気を描いた作品とか。藤の大樹の、大きな大きな根の絵とか。幻想的な藤の花の美しさ、可憐さと、対照的な、根っこのゴツゴツさ、複雑に絡み合って、水や養分をじっくり吸い上げて大樹となる。花咲くまで待つことの大事さを伝える。とあり、ほおお…と。樹特集も大変佳きでした…。
【今後のための備忘録】コインが返ってくるコインロッカーもあり、荷物を持っていっても大丈夫!ただ、入口と出口が違うので、入口に戻ってロッカーから荷物を取るのを忘れずに! 帰りの安来駅行のシャトルバスの整理券を取っておくこと! お土産物屋さんを見る時間とか、併設のカフェで昼食をとる時間なども考えると4時間あれば十分かな?公式HPにはゆっくり見たければ2時間、とあったけど、2時間じゃ全部の展示とその解説を見きれないと思いますーー💦