11.30.2024

神宮カフェ

神宮の鳥居眼の前。非常に良い雰囲気だった!

パスタ、ラザニア、キッシュなど。キッシュは大人気らしく売り切れていたーー! サーモンキッシュ美味しそうだったな。また次回!

陶芸品ギャラリーや、坪庭まであり、素敵だった。







11.29.2024

リーダーシップセミナーとしての感想

自身がリーダーシップをさらに発揮するうえで、どのような課題や問題意識を持ったか。

同じテクストを読んでも多様な解釈や意見が出る。もはや、男女の二元論、国籍での一括り(「日本人は〜」)、年齢での一般化などは不可能になっている。と感じました。
  • 多様性の包括、
  • 性急に結論を出さない、
  • 自分自身の倫理観に裏打ちされた長期的なビジョンを持つ、
  • 折々に古典に触れ、多種多様な角度から物事を観る、
  • 人の話を先入観無しによく聴く、
  • 評価をせずに、ただありのままに受け止める、
  • 常に学び続ける、謙虚な姿勢を持つ
などを忘れないようにしたいです。

教養を深める意味でも古典を読めて非常に勉強になったし、他の参加者の方々の意見や捉え方を聴いて理解する過程も非常に重要で有意義なものでした。

業務に忙殺される日々を離れ、自然豊かなけいはんなの地で古典に向き合って対話する機会を持てて贅沢でした。人間的に幅が広がった気がしますし、生涯学んでいく謙虚な姿勢を思い起こすことができました。日本の教育は知識偏重し過ぎているので、このような、思考をアウトプットする形式のセミナーを多くの人に受けていただきたいです。ドイツとかフランスとかの教育は、考えさせて小論文を山程書かせる形式らしいので。その分、細部までは記憶する時間はないかもしれないけど、批判的、論理的、自律的に考える力を身につける方がよっぽど大事じゃないかなと思います!


11.28.2024

哲学合宿で得た一番大きなもの Lessons learned

この二泊三日の哲学合宿で得た一番大きなものはおそらく…

このセミナーがなければ出会わなかったような、業界や職種の全く違うリーダークラスの人々との出会い。一流企業の一流人材の所作、考え方、これまでの経歴、すべてが勉強になりました。

特に、人相手の仕事を長年やっている人は、語彙力、話し方、雄弁さ、瞬発力、人の話を聴いて理解する力など、口頭言語に関する能力が高い! 当然のことながら、すごい分化しているというか、モノ相手の仕事を長年やっている私とは全然違う能力が育っているんだなーと。私が瞬発力に課題がある…のは、鍛えていないのだからしょうがない。発言のたびに心臓がドキドキする、臨戦態勢になる、あらゆる悪いことを想定してしまう、というのは、場数を踏んでいないからだし、よく知らない人、多数の人とのコミュニケーションが心理的負担になっているからである。と、冷静に自分を見ていた。ここは、「自分に無いものを持っていて羨ましい」、ではなくて、「モノ相手の仕事、自分に合った仕事ができていてよかった…」と思えたので、だいぶ自己受容が進んでいる。

なぜならば、別に一流企業で一流のことしていなくても、人は存在しているだけでいいのだから。

カントも言っていたけど、人間の存在そのものは目的であって、手段ではないのだから。(と、カントを読んだ今ならそれを引用しつつ言える!)

やはり鍛えられている幹部候補生は違うなぁ…と思いました。ただ、彼らの話を聞くと、「失敗して怒られる」とか、「投資分回収できないよ、どうするの?」と言われる、「仕事が終わらず土日も持ち帰ってやっている」、「何人もの部下のマネジメントに追われる」など、企業人としてやはり大変なこともたくさん。ストレスも多いし、通勤も大変だ。自分は…心の余裕とコントロール感を持って、自分が心地良いような形で社会に貢献して、生活するためのお金を稼ぎたい、とも思った。

例えて言うと、趣味でテニスをしている身で、オリンピックレベルの一流テニス選手を見た気分。彼らの能力も素晴らしいし活躍は華々しいのだが、彼らの努力量、忍耐、苦難、などを考えると、やはりそこまでやろうと思える人は一握りだし、やれる人もわずかだと思う。趣味レベルで充分なのに、オリンピックに出なければ!と意気込んで心身をすり減らしてしまっては元も子もない…。

こういう出来る人たちを間近で見てもう一つ思ったのは、自分を癒すとか、トラウマがとか、というのはフェーズ1である。それももちろん大事。で、それを遥かに(おそらく)乗り越えているだろう職業人の皆さんに会って、奮い立たせられました、ある意味。「過去は過去。コントロールできなかった。たくさん傷ついた。それはそれ。その上で、自由な一個人として、自分が成し遂げられることは何か。今の時代の問題について、自分ができることは何か。」と問う。それがまさに人生のフェーズ2で、そのフェーズ2に行きたいと思いました!!

ホテルからの朝焼け。朝6時半に起きて、朝散歩しつつ、古典を予習するという、高校生みたいな健康的な生活をしていました…!


The most significant thing I gained from this three-day philosophy retreat was probably...

Meeting leaders from different industries and professions—people I never would have encountered without this seminar. Observing the demeanor, thought processes, and career paths of top talent from leading companies was an incredible learning experience.

Particularly striking was how people who have worked with others for many years possess exceptional verbal skills—vocabulary, eloquence, quick thinking, and the ability to listen and understand others’ perspectives.  Their verbal abilities are highly refined, reflecting the nature of their work.  In contrast, as someone who has worked with "things" for many years, I realized that I’ve developed entirely different skills.  For example, my quick-thinking abilities are lacking, but that’s not surprising since I haven’t trained them.  My heart races every time I speak up, putting me into a fight-or-flight mode where I imagine all the worst-case scenarios.  This anxiety stems from a lack of experience in these settings and the psychological burden of communicating with unfamiliar or numerous people.  I observed myself calmly during the retreat, acknowledging these weaknesses. 

However, instead of feeling envy for what I lack, I thought, "I’m glad I’ve been able to work with things, a type of work that suits me."  This realization marked significant progress in self-acceptance.

After all, as Kant pointed out, humans have intrinsic value simply by existing.  We are ends in ourselves, not means to an end. (Having read Kant now, I can confidently reference him!)

That said, it’s undeniable that these trained future executives stand out.  Listening to their stories, though, I realized their lives aren’t without challenges: being scolded for mistakes, facing pressure to recover investments, bringing work home on weekends, or managing multiple subordinates.  Corporate life clearly involves considerable stress, long commutes, and other hardships.  Reflecting on this, I felt reaffirmed in my desire to live with a sense of mental freedom and control—contributing to society in ways that feel comfortable to me while earning enough to support my lifestyle.

It’s like being a casual tennis player watching Olympic-level athletes. Their skills and accomplishments are dazzling, but the sheer amount of effort, endurance, and hardship they endure is unimaginable. Only a select few have the drive and capability to go that far.  For me, playing at a hobby level is sufficient.  Pushing myself to the point of emotional and physical exhaustion by aiming for the Olympics would defeat the purpose.

Another realization I had while observing these highly capable individuals up close is that healing oneself or addressing personal trauma is truly "Phase 1" of life.  That’s important, of course.  But meeting these professionals—who have likely moved far beyond that phase—was deeply inspiring in a way. 

They seemed to embody the mindset of: "The past is the past.  I couldn’t control it, and I was hurt deeply.  But that’s that.  As a free individual, what can I achieve now?  What can I contribute to addressing the problems of our time?"  That’s the essence of what I see as "Phase 2" of life, and I now feel motivated to step into that phase myself!

11.27.2024

【認識】

認識のセッションは一番とっつきにくかったですねーー。
その分、皆でああでもないこうでもないと議論できてとても楽しかったです。

プラトン『パイドロス』
アリストテレス『形而上学』
パスカル『パンセ』
カント『道徳形而上学の基礎づけ』
デューウィ『哲学の改造』

先人がいろいろと考えてきた、模索して来た、単に技術、科学の細部だけでなく、道徳とは何か、何が善いことなのかを突き詰めて考えたそれぞれの人物の著作に触れて、「理解する」とは?「真理」とは?ということについて考えさせられました。

カント『道徳形而上学の基礎づけ』
カントの「人を手段としてだけではなく、目的そのものとして扱え」(つまりその人が存在することこそが目的)という言も、他の人と関わる上で重要な概念だと思いました。「部下や学生を手段としてだけではなく、尊厳のある存在として扱い、彼らの存在こそが目的であるような行為をせよ」。これは、企業が従業員を人「材」としてのみ見ること、また従業員が自分たちを人「材」としてのみ捉えること両方に対しての批判だと考えました。

カントは、「もしXXならばYYをせよ」(仮言命法)ではなくて、「いかなる場合でもYYをせよ」(定言命法)で、道徳を表したかった。その試行がこの著作である、そうな。道徳を突き詰めて一つの法則にできないかとするところは、数学のようなアプローチだなと思いました。

デューウィ『哲学の改造』
デューウィの「自然を支配する」概念については、西洋式の、自然を征服しコントロールする思想が強いかなと思いました。一方で、治水事業や農業の発展に多分に寄与した面もあるとは思いますが。そして、共通の目的に向かって協力し合う、共同研究の概念もここで出てきていて、今では当たり前だけれどこうして先人が定義してその必要性を訴えてくれたからあるんだなと思いました。

「理解」について、「『理解した』と思い込むのは簡単だけれど、そう容易には、解らないぞ」と警鐘を鳴らしているのだろうなとも受け取りましたので、改めて思い直す良い機会でした。

自分がどういうふうであれば『善い』のかは、常に考え続けるべきもので、パスカルの『人は弱いが、考えることのできる存在である』という言に現れています。

プラトン『パイドロス』
魂は二頭の馬とその馭者で成り立っているという例えは分かりやすかった。二頭の馬はそれぞれ善いと悪いの動力であり、気概欲望である。そして馭者は理性である。と。二頭の馬はともに「何かを為したい」と突き動かす衝動で、馭者はそれを行っていいのか、考えて制御する理性である。気概・エネルギーも、無制限に発揮していいものではなく、ちゃんとコントロールして発揮すべきものだということの論拠になると思います。

11.26.2024

【世界・日本】

【世界・日本】のセッションでは、様々な国、様々な時代のテクストを扱いました。時系列めちゃくちゃですが、これが一発目、一日目の最初のセッションでした。

夏目漱石『現代日本の開化』
森鴎外『普請中』
内村鑑三『余は如何にして基督信徒となりし乎』
オルテガ『大衆の反逆』
孟子『孟子』

国際社会、歴史、資本主義まで考えさせられました。

夏目漱石『現代日本の開化』
森鴎外『普請中』
文明開化・西欧化が急速に進む日本を憂えていた明治の知識人。別の本で、『不機嫌の時代』というのもあるのだそう。急激な開化には賛否両論があった。でもそのおかげで植民地になることは免れた、のも事実だろうか。その後戦争に突き進んでしまったが。

森鴎外は、生涯、何らかの仮面を被っていた。役割を負っていた。医師としての役割、評論家としての役割、小説家としての役割、父としての役割。この時代、皆そうだったかもしれない。で、お墓にだけは、森鴎外としてではなく、森林太郎(本名)として入りたい、と言ったそうな。

欧米の脅威が迫る中で、近代化しなければならないと焦って開化を初めた日本。留学などした知識人ですらも、その目まぐるしさについていけていなかったのではないかと想像しました。『普請中』で表されている混沌とした状態は、森鴎外自らの、日本と西洋の狭間に立つ心中落ち着かない状態を、表している気がします。

オルテガ『大衆の反逆』
取ってつけたような西洋式の文化が次々と入ってきて、それをよく思っていなかった彼らと、それを何も考えず受け入れていた大衆の対比があり、オルテガの『大衆の反逆』に見事に繋がっていきました。刹那的・享楽的に生き、自らに重い課題を課さない大衆は現代でも同じことが言えると思います。政治を行えるのは、選ばれた能力のある少数者で、それは、他の分野でも同じ。歌が上手とか、足が速い、計算が速い、などと同じで、政治も能力の一つ。とすれば、オルテガの考え方は選民主義というよりは適材適所なのかなと。ある人は、ある分野では大衆で、違う分野ではエリートでありうる。考えてみればそれはそうか、ということ。ただ、政治は皆の生活に関係があることだから、皆が多少知っていなければならない。そういうものか。

政治をする能力がないのに政治の場に大衆がしゃしゃり出てきている、という問題提起があり、だからといって、独裁体制が上手く行かないことは歴史が示している。ただ、クリーンな「独裁者」であればよいのか、例えばシンガポールのリー・クアンユー首相は、独裁者と言われてもおかしくない権力を持っていたけれど、それを国民のために使い、強いシンガポールを作り上げました。そんな高潔な志を持った独裁者のことも考えに至り、リーダーの責任の重さと在り方について考えました。

フォロワーシップを持つと大衆ではなくなる、という言も興味深かった。「謙虚な人は〜」のくだり。専門家としてではなく、教わる・学ぶ側としての姿勢。

そして、SDGs、ウェルビーイング、など、英語がそのまま入ってきている現状にも思い至りました。意味がわかって使っているのかどうか。カタカナ語の氾濫に対する危惧と問題意識が共有されました。昔の人々の、英語やドイツ語を学び、熟考したうえで、「経済」や「社会」といった単語を日本語に翻訳した努力を思い起こしたいです。

内村鑑三『余は如何にして基督信徒となりし乎』
内村鑑三の、シーリー総長への陶酔の仕方は疑問に上がったところで、「ある人の人間性と、その人の信じているもの、考え、理想は別個のもの。(ヒトラーがいくら人格者であっても、彼の唱えたユダヤ人根絶は肯定されない)でも、それを混同する人もいる。ある人の人間性自体が、別の人の心の拠り所になることもある。」しかしながら、宗教は、人権侵害や戦争まで正当化出来る強烈な思想。丸ごと鵜呑みにしてはいけない…。世界では何らかの宗教を信じている人が殆どで、隣人を理解する、果ては、人を動かすことにも繋がるかと、リーダーシップ研修と絡めて思いました…。



11.25.2024

【ヒューマニティ】

英単語のHumanityとは、人間であること、人間性、博愛、慈悲、人情。そして人文学、人文科学(the Humanities)。

【ヒューマニティ】のセッションでは、文学作品を味わう経験ができました。

紫式部『源氏物語』
作者不明『平家物語』
シェイクスピア『ジュリアス・シーザー』
鈴木大拙『東洋的見方』
ベルクソン『道徳と宗教の二源泉』

平家物語の冒頭をCDで聴くことができたのは非常に興味深かったです。今日の感覚からするとゆっくりすぎると感じますが、当時のテンポ感に触れられました。ソローの、「落ち着いて簡素に生活を味わう」という思いとも関連があるかと思います。

源氏物語、平家物語は、物語ですが史実をもとにしていて、その時の貴族の教養レベルの高さ、運命に翻弄される昔の人々の悲哀を語っています。その時代と比較すると、今の日本はまだ自由がある。まだ問題は山積しているけれど、少しずつ進歩してはいる。とも思えました。

シェイクスピア『ジュリアス・シーザー』では、扇動されやすい群衆心理が描かれていました。オルテガの『大衆の反逆』でも論じられていましたが、「本来政治は、自らに高い目標と倫理性を課す少数者にしかできない。しかし、凡庸な大衆が、自らの凡庸であることを認め、自分に高い目標を課すこともなく、権利を主張し始めた。その結果、大衆が大衆のまま政治にも参画し国家の辿るべき道を危うくしている。」それが、まさに演劇の中で表現されているようでした。レトリック、雄弁術の有力さが描かれています。内村のシーリー総長への心酔とも繋がるかと思いますが、1.言っている内容と、2.言い方は、全く別物である。にも関わらず、いかに混同されやすいか、言い方が内容に影響を与えやすいかを示しています。政治においては大衆となりやすい自分、また、リーダーとしては、少数者であることを期待される自分、と、様々な場面に置き換えて考えることができました。

時代や場所によって異なる価値観(何を重要視するか)、また、何が実質的に可能だったのか、どんな物事が人々を動かしていたのか、等について考え、考察することができました。歴史を踏まえて、今、地球全体の未来のために何が出来るかを考えたとき、

1.違う世界に飛び込み、新しい物事を知って刺激を得る
2.別の文化の中でも、似た考えの人と繋がる。そして共同で問題解決に取り組む

ということを、大阪大学の堂目先生は有言実行されていて、著作を読んでみたいし、なにか一緒にやりたいなと思うようになりました。

鈴木大拙の『東洋的見方』では、西洋の二分式の考え方、数的考え方とは全く異なる、禅の精神について触れることができました。「私はいる、でも、いないかもしれない。」「甲は甲ではない、ゆえに甲である。」という、わけのわからない物言いをするところにこそ、禅の真髄があるのだという。それは、言葉の危うさを禅の教えが語っているとも言えるそう。二分割、数字で数えていき、細分化して身動きが取れなくなっていくこと、そして人間が機械のように扱われることへの危惧がある。

禅の世界は、有も無も、あらゆるものが渾然一体として、溶け合って、かつ互いに障りのない(円融無礙 えんゆうむげ)、分離されない状態で存在する世界。しかもそれは静寂不動ではなくて、石臼がぴょんぴょん飛び跳ねるような、全てが常に変化する世界であるらしい。そんな世界でこそ、人間の全貌は考えられるべきものであって、そうすることで人間らしい生涯が営まれるのだと、鈴木大拙は言っている、と私は捉えました。面白い…。「無は即ち有である」なんて、理屈では捉えられない所が面白いし、クセになる…。西洋的な二元論で語れないものもあるし、全てをそう簡単に「判った」と思ってしまいがちなことへの警鐘だとも思います。

ベルクソン『道徳と宗教の二源泉』は、第一次世界大戦から第二次世界大戦まで、愛国心、ナショナリズムが高揚し、国益のための戦争が頻発する中で、道徳をどう考えればいいのか論じていました。閉じた社会というのは、原始的で、防衛のために作った集団で、集団の中で上手くやっていくためのいわば生存のための義務的道徳が生ずる。集団内の相手には実は無関心で、利他主義の限界を表している。それに対し、開いた社会は人類全体を含むもので、集団内の相手の福祉に関心があり、道徳は自発的である。それはおそらく理想郷であるのだが、閉じた社会は閉じたり開いたりしながら、少しずつ拡大を続けていくしかない。このあとの後半部分では宗教や神秘性も論じられて私にはよく理解できなかったけれども…、「人類は自分の未来が自分自身次第だということを充分に知ってはいない」というところにはどきりとしました。

いやはやーー、濃いセミナーです。

もっと早く出会いたかったと思う古典がたくさん!!

11.24.2024

【社会・デモクラシー】

古典を読んで、対話するという合宿形式のセミナーに参加してきました。非常に有意義な3日間でした…。振り返りをば。

【社会・デモクラシー】セッションでは、以下の6冊の抜粋について対話しました。

ヒポクラテス『古い医術について』
ソロー『ウォールデン(森で生きる)』
ミル『女性の解放』
清沢洌『暗黒日記』
今道友信『エコエティカ』
リンカーン『ゲティスバーグ演説』

ヒューマニティに似たところがありましたが、セッションを通して、その時の世論とは異なる意見や考えを持って、それを迫害を恐れずに声に出して来た人物たちに深い尊敬を持つとともに、こういった人々がいて今の世界があると思いました。そして、未来に目を向けたとき、
・時流や『ふつう』であるものに流されて巻かれるのではなく、存在する問題に知らないふりをするのではなく、批判的な視点を持って見ることの重要さ。
・自分で考え、自分が倫理的、道徳的だと考える主義(コーズ)について、長期的な展望を持って主張していくことの大事さ。
・そんなのやってもどうにもならないよ、という諦観論や、目先の利益といったものに目をくらませられるのではなく。
など思い、自分が未来の世界市民のためにできることを一歩ずつやっていこうと思いました。

ミル『女性の解放』
原題は、Subjection of Women で、女性の隷従。訳者が希望を込めて、女性の解放としたのかもしれない…。ミルの、男性でありながら男女平等を論理的にフラットな目で擁護・正当化していて感銘を受けました。さらに、堂目先生の補足で、ミルが国会答弁で女性の権利論を展開して揶揄されて全く相手にされなかった、当時の学者としての名声を落とすことになっても、ミルは腹を括って活動し続けた、というエピソードにも感動しました。ジェンダーの問題には関心が高いつもりでいましたが、ミルについては経済学のイメージしかなく、この時代に、これほど論理的に、男性の立場から、確固たる信念を持って女性の解放を唱えていた人がいたとは。もっと早くこのテキストに出会うべきだったと反省しました。きっと、もっと昔に読むべきだった古典は山程あるのだろうなと思います。

ソロー『ウォールデン(森で生きる)』
Thoreauは森で簡素な暮らしをして、生活から余計なものを削ぎ落としてそこから得られるものを確かめたかった。優しい自然だけでなく災害を起こすような自然、食い合っている自然を目の当たりにして、元気を取り戻さなければならないと言っていた。電信で話し、時速30マイルで移動する必要がどこにあるだろうと言っていたが、今やアメリカの高速道路は時速75マイル、インターネットで瞬時に連絡が取れ、それゆえに、常にメールチェックに追われ、日本では東京から大阪まで日帰り出張なんていう慌ただしさである。「とにかく生活に落ち着きが無さすぎる」とのThoreauの指摘は現代でも通じる。大量消費社会へと変貌しつつある当時のアメリカに、疑義を唱えた一人だった。

Walden Woods というカフェが京都にあるのですが!まさかThoreauから来ていたとは!!今度行ったとき、由来を聞いてみよう。Thoreau が住んで思索を深めたWaldenの森のような存在にしたいという意図があったなら…なんと哲学的で粋なんだ!! Thoreau は、戦争に反対して人頭税を払わず、逮捕・投獄された。それは、不服従という形の抗議方法となり、人々に勇気を与えた。森の近所の人が人頭税を代わりに払ってくれて、獄中で過ごしたのは1日だけだったそう。

今道友信『エコエティカ』
今道友信氏は最近までご存命だった倫理学者・哲学者。技術の発展に伴った新しい倫理学を唱えました。具体的には、
「今までは、『目的』があって、それにかなう手段を選んでいた。例えば
生活するためのお金がほしい、であれば、友達に借りる、アルバイトする、行政に相談に行く、など。そこから、自分が実現できそうな手段を選ぶ。
一方、技術が発達した今、強大な『手段』が先に出てきてしまって、それを何に使うかの目的が後に考えられている。原子力が開発され、原爆が開発・使用されたり。原発が、危険性を顧みずに使用されたり。
そして、強大な手段を持つ主体が企業や団体になってしまったために、それを使う目的が、平和や安全、人道的なものではなく、組織の存続や利益となってしまっている。そしてその責任の所在が明確でない。倫理的主体の複数化が生じている。東日本大震災および原発事故はまさにそれで、企業の存続、自己保身が最優先になった。」と。

手段が先にあり、例えばインターネットやSNSという手段が先にあり、そこでバズって荒稼ぎし、そこから自分の主義主張を発信していくというやり方もできるようになった(選挙、広告などマネーゲームである)。そこには手段から始まった目的の危うさがあります。AIも今や、強力な手段といえます。

また、手段が先に来ることによって、手段によって目的が限定されることになった。それは可能性を狭めることになる。もはや、「神に近づく」とか、「平和を達成する」といったような、俗を離れた目的は考えつかなくなる。それも自由な思想を妨げる。」と。


セミナー会場の庭。自然豊かで静かなところ。俗世間から隔絶された感がある…。そんな場所で、対話は進んでいきます。眼の前の道路は紅葉した大きな木々の並ぶ並木道で、朝散歩したら、初冬の朝の澄んだ空気と、土と葉の折り混ざったなんとも言えない森の香りがして、「あー、Thoreauは森でこんな気分を味わっていたのだな」と思いました…!


11.17.2024

気にしない力。カプセルホテルとビジホの高低差!!

島根ではカプセルホテルに泊まったのですが(神在月の観光シーズン、本当に宿がなくて)…。女性専用の部屋でしたが、20人!が同じ部屋に寝ていて、やはり静かなわけがない…。

深夜に帰って来てごそごそしている人が1時くらいまでいて、そこからやっと寝られるかと思ったら、高らかないびきをかいている人複数名、呼吸器疾患のような咳を繰り返す人が… で、きわめて浅い眠りで何度も目が覚め、早朝出発組の人々が4時半には動き出して寝室とロッカールームを往復する音も始まり、超絶睡眠不足でしたわーー

誰も会話していなかったのはよかったのですが、足音とドアの開閉音がひっきりなし…。朝は徹夜明けの状態でした。

これ、眠れた人いるのかしら??

騒音は慣れでもある。らしいし、寮生活とかだったら慣れるのかな? 耳栓して、どこでも寝れる人だったらいいのかもしれない。気にしない力、ほしい…! 二泊予定でしたがこれはマズイ…と思い、眠れないカプセルの中で二日目のホテルを検索。

松江市はやはりホテル空いていなかったけど、奇跡的に出雲市にビジホが!! 地方都市にしてはかなり高いお値段だったけど、ここはもうお金で解決しようと思い、深夜1時半にポチリ。

翌日の、個室のビジネスホテルに、広々と荷物を広げて、しーーーんとした一人時間を味わい、「あーーー幸せ…!!!」ってなりました。前夜のカプセルは、これを味わいありがたがるための伏線?だったのか?とすら思えて。熟睡して、翌朝目覚めた瞬間、ここはどこだっけ?ってなるくらい…。よかった!! 予定外に出雲市に泊まれて、なんか御利益があった気もするし。

ともかくも。ホステルとかシェアハウスとか、よく泊まれる/住めるなぁ…と思いました…。私は特に神経質な方だと思うけども…。(というか、聴覚過敏の気が…) 何でも気にしない人って、いいな。

何が起きても、大抵のことは、真正面から受け止めずにさらりとかわす。のような。

ちょっと話がズレますが、何でも動揺せず、気にしない人、揺らがない人、って一緒にいて本当に安心するなぁーと思いました。

騒音については無理だけど、その他のことについては、枝葉は揺らいでも根っこは揺らがず、どーんと構えていられる人になりとうございます。

出雲大社一の鳥居。日本初のコンクリート製鳥居だそう。

出雲市ありがとうーーー!!!

11.16.2024

足立美術館

足立全康という、明治初期から大正にかけて一財産築いた地元の実業家が建てた美術館。生家があった場所は、現在の足立美術館の所在地。

10代の頃から、商売の妙味を知る。うまくいった事業もそうでない事業もあったけど、結果的に長く続けていてこんな美術館をまるごと建てるまでに。田舎ののどかな土地のど真ん中に突如として現れる足立美術館。庭園は立派だった。さすが、この土地の広いところでないとこの規模は難しいだろう…。横山大観の『那智の滝』を模して人工の滝まで作った。滝って人工的に造れるものなのか…。実業家の意気を感じる…。






全康氏、最初の結婚は無理やり別れさせられて、仲が良かっただけにショックを受ける。。再婚し、息子が生まれるも、息子が十歳の時に妻他界。そしてまた再婚する。で、その妻にも老後に先立たれる。まあ80-90歳の時だから、どちらが先でもおかしくはないんだけども。何か…人との別れをたくさん経験してるんだなと思った。そして、そういう時、自分が持っているお金はどんな風に見えたのだろう。とか。一代でこれだけの財を築くって、田舎のムラ社会からどんな感じで受け止められていたのだろうか、とか。

ともかくも、美術館2軒行ったくらいの見応えがあった〜!

近代日本画(明治以降)と、現代画。

本館にある近代日本画は、横山大観を目玉に。大観は岡倉天心の遺志を継いで、日本美術院の復興に努めた。2 m ✕ 4 m の屏風 ✕ 2枚の紅葉図は迫力も色味も素晴らしく見事。群青色の背景に、明るい紅葉や焼けた朱色を使った枯れた紅葉など多様な葉っぱが巨木の上に広がる。プラチナが散りばめられていて、きらきらと光る水しぶきとなっている。

横山大観は太平洋戦争前、自分の画歴50周年を記念して、海山十題、合計20作品を描いた。話題になり、当時としては破格で売れた。それらを売ったお金は全額陸軍と海軍に寄付し、それでもって、軍部は戦艦「大観」を建造したらしい。すごい時代…。この頃に海のテーマが多くなってきたのは、海洋国日本の意識が高まってきたからだろうとの見方もある。芸術家が政治活動というか、国家のイデオロギーに加担するとは…。「絵は心で描く」と、言っていたそうだが、軍部の情報操作のままに愛国心を多分にかきたてられた心だったのか、戦時中となれば一番に不要なものとされる芸術というものを、彼なりに守りたい心だったのか、わからないが…。 加えて、軍人学校に掲示して士気高揚を図るためと依頼され、朝日と富士の絵を描いたそうだ。時代の趨勢には逆らえない、職業画家とはそういうものかもしれない。

現代画は新館に。美術院展への出品作の中から、足立美術館賞の受賞作品を選定と同時に買い取っていて、その作品を展示している。作者による作品紹介が書かれていて、それを読みながら鑑賞できるのが素晴らしいと思った! 現代絵画ならでは。現代絵画には馴染みがなかったしよくわからないなと思っていたけど、作者の解説があると一段深く味わえる。抽象画ではないので、描かれているものも幾分分かりやすいのだと思う。

バリ島の火葬の絵のテーマとして、「バリの人々にとっては死ぬことは、苦しい現世を離れて神々のもとに行ける喜ばしいことだから、お葬式は絢爛豪華」とか、一見部屋着を着て本に囲まれているが細々といろんなモチーフが描かれている絵「理(ことわり)」、について、「理とは、法則、規則、など堅苦しいもの+覚悟がスパイス。『見た人の記憶になんとなく残ってずっと考えさせる、人の時間をそれとなく盗む絵を描きたい』…と絵の構想を練りながら、何十時間も時間を盗まれてしまったことに気づくのである」というオチ付き。人の時間を盗む絵を描きたいというのは大胆な表現だけれど、それほどに人を惹きつける絵を描きたいということか…。

「人に〜させたい」という目的で描くのが、美術の在り方なのか?と思うと、疑問もある。ただ、作家が完全に自分の世界にこもって、「この題材を描きたい、私がやりたいように。見ても見なくてもどうぞ」というのも違う気がするし。

足立美術館賞の絵は全て大きい!2 m x 3 m は優にありそう… 大きな絵はそれだけで見応えがあるし、この大きさでデッサンぐるいもなく成立しているだけでそもそも素晴らしい…のに、その上にメッセージ性があって味わえる。現代絵画も親しみというか好きな部分が見つかってきたぞ?という心境です。

おまけに新館2階では、「人々を魅了する樹」という展示まで。木々を主役にした大きな絵画がたくさんで迫力満点で、 奥入瀬の渓流の波しぶきを描いた作品、5月の青森の、まだ肌寒い森の神秘的なひっそりとした雰囲気を描いた作品とか。藤の大樹の、大きな大きな根の絵とか。幻想的な藤の花の美しさ、可憐さと、対照的な、根っこのゴツゴツさ、複雑に絡み合って、水や養分をじっくり吸い上げて大樹となる。花咲くまで待つことの大事さを伝える。とあり、ほおお…と。樹特集も大変佳きでした…。

【今後のための備忘録】コインが返ってくるコインロッカーもあり、荷物を持っていっても大丈夫!ただ、入口と出口が違うので、入口に戻ってロッカーから荷物を取るのを忘れずに! 帰りの安来駅行のシャトルバスの整理券を取っておくこと! お土産物屋さんを見る時間とか、併設のカフェで昼食をとる時間なども考えると4時間あれば十分かな?公式HPにはゆっくり見たければ2時間、とあったけど、2時間じゃ全部の展示とその解説を見きれないと思いますーー💦




出雲割子そばにたどり着けた夜…!

昼の割子そばは断念したので、夜食べたいな〜と思っていたのですが、意外と松江になく…。

睡眠不足(てか徹夜明け?)からの一日歩いた挙げ句、エネルギー切れだよ〜と思いながらふらふらしてました。ホテルを変えたので、1時間電車に乗って出雲まで帰らねばならず、出雲で食べる手もあったのですが。出雲には、ホテルから歩いて行ける距離でお蕎麦屋さんが1軒しかなく、しかも電話して聞いてみたら私が到着する頃にはおそばがなくなっているかもしれません、と…。17時開店で、30分前から既に並んでる人がいるようで! ひえ~~~ 出雲市駅周辺は飲食店も少なくひっそりしていて、神在月以外の時はほんっとに静かなところなんだろうなと思われます。なのでできれば松江で食べたかった…!松江駅やその周辺はそれなりにお店や飲食店たくさんあるので。

彷徨っていると、松江テルサに「出雲そば」の文字が! 17時開店5分前で、まだ電気もついていなくて、開くんだか全然わからなかったけどとりあえず座っていたら開いた!店内が新しくて綺麗で、ちゃんとしたお蕎麦屋さんだった!新そば始めました、のお知らせがちゃんと筆書きで書かれていていい感じ。しかもアルコールメニュー一切なく、定食を食べてさっと帰れる気軽さが素晴らしい。

松江駅の前の道路を窓から眺めながら、穴子天割子そばを美味しくいただきました… 穴子はほっそいひょろっとしたいつものではなくて、鱧天のようにすごくふっくらしていて、想像したのよりはるかに美味しかった… 割子そばも、蕎麦の味がしっかりしていて、それにいろんな薬味をかけて食べるのが美味しかった。「テルサ最高!ありがとうーー!」となりましたわ。


ちなみに、テルサは勤労者福祉センターだそう。

出雲大社

出雲大社初めて来ました。森の空気が澄んでいる。厳かな感じ。金曜なのにすごい人だ〜
縁結大祭めがけて行って、無事参列できたので良かった!!



普段は入れない拝殿の中の参拝者席で大祭を見る事ができた! まあ、本殿の中で何が行われているかは木の格子越しにちらりとしか見えなかったんだけど… それでも雰囲気あった… あと、アナウンスの方がいて、今なかで何が行われているか知らせてくれるのもありがたかった。

参列者用のテント。神様は西を向いているそうなので、西側に。しかも手前のたくさん椅子が並んでるところじゃなくて、その奥のほうが見れる…じゃん、と見渡して気づけた。そしてそこの最前列が取れた! ここは、朝8時着の電車に乗って、バスではなくタクシーで即向かって席取りを優先した甲斐あり、我ながらいいお金の使い方をした…!

参列者セット。封筒、式次第(と言うのか?)、絵馬、宝物館拝観券、カイロ。絵馬は、願い事を書いて、大祭の時に一緒に祈ってもらい、そのあと掛けて帰る。じっとしてると寒いのでダウン着て正解。カイロも後に活躍、ありがたい…!

縁結大祭中、扉が開けられる儀式があったのだけど、開けられた時、ひゅーっと冷気が吹き去って行ったり、祝詞が読み上げられる際、突然ぽちぽちと雨が降ってきたり…。想像かもしれないけど何かいそう…なんか、密度が…?みたいな。なにせ、八百万の神々なので… 扉から出てきて、今年1年のすべての佳いご縁を話し合っているのでしょう。

この大祭、往復はがきで応募して、最初の二千名が受け付けてもらえる。9月から受付開始していて、気づいたのが10月初め…間に合うかな?と思ったけど出してみてよかった! 宗教行事に五千円も払ったのはたぶん初めて。参拝記念品(お砂糖、縁結び守り、縁結び紐)がもらえるので、お土産はたくさん!

参拝記念品たち。

素鵞社という社が一番北にあって、稲佐の浜の砂を持ってきて、それと交換して、というのがお作法らしい。大祭が終わって、北に回り込んで見たら、それが長蛇の列…! お参りだけでもしたかったけど、稲佐の浜に行く時間もなかったし、縁結大祭見たからそれで十分!な気がしてすすすーっと横を通り過ぎました〜 日御碕灯台も行ってみたいし、次回は車で、灯台から浜から大社へ、巡ってみたいと思います。


神様たちが神在月の間滞在してはってる東十九社と西十九社(宿舎にあたる)の扉も今だけ開放されていて、お供えのご飯、箸、塩、水、などがちゃんと神主さん達の祝詞と雅楽とともに供えられていて。
そのすぐ近くで人々が鑑賞したりお祈りしたりしている。神主さん何人いてるんだろう… ともかく規模が違いましたわ。

「きずき」というお蕎麦屋さんをおすすめしてもらったのですが、なんと金曜日は定休日ーー!大祭だろうが何だろうが休む日は休む!の意気込みが素晴らしいなと思いました💪 ここもぜひ開いてる時に来たい〜。周辺のお蕎麦屋さんというか、飲食店のほぼすべてが大行列!! ここで1時間並ぶのは時間がもったいないので(しかもそばが残ってる保証もない)、出雲そばは夜にして、和牛ライスバーガーを食べました!すぐでき美味しい!コメが食べたかったしよかった!




因幡の白兎の像がたくさんあって大変可愛かった…!

松江城と武家屋敷

松江城とその城下町一帯は、初代と2代目の城主が継子なく断絶した後、松平家が長野から来て治めたらしい。

家康と秀吉の孫にあたる松平直政は、14歳で大坂の陣に出陣して、その勇猛さに家康が感心して軍扇を遣った、という。数え年か満年齢か分からないが、すごい時代である…。今で言うところの少年兵なのに、この時代だと何故か武勇伝に聞こえる。

城内は地下の塩倉、井戸から、上は天守閣まで。階段が狭いし急だ。そして、敵軍が攻め込んで来た時に備え、石を落としたり、矢を放ったり、鉄砲を撃ったりする窓が空いている。これも非常に生々しい。  

階段は、敵が攻めてきたとき取り外しやすいように、軽い桐の木で作っているらしい。桐ってそんな軽いの…?桐箪笥めちゃ重いじゃない…?

天守閣が現存するのは日本国内に12城しかなくて、松江城はその貴重な一つ。廃藩置県の際、松江城は不要なものとして取り壊される予定で天守閣も当時の値段で180円で買い取られる予定だったけど、豪商や地域の有力者が国に180円を払う形で買い取って、保存してきたそう。なので、中にある太鼓(時を告げる)とか、柱とか、古いシャチホコとか、全部残っている。保存修復、並々ならぬ努力だろうなぁ。住み手がいなくなって壊すしかない明治時代の民家とかのリノベや保存に関わっている人達がいるけど、将来、◯◯さんのおかげでこの町屋が壊されずに済んだ、と言ってもらえるのではないかと思う。

武家屋敷も見てきたけど、飾りを省いた質実剛健な作りだった。井戸から水を汲んで土間で煮炊きして、ひーろい部屋で掃除は大変だし、亭主やら近所関係やら冠婚葬祭やら用事は山ほどあって。女性が使用人状態だったこの時代から考えたら、現代ってまだ進歩してるんだなぁー。とは思った。もう何十年かしたら、またさらに進歩していると願いたい。





11.14.2024

松江の居酒屋 やまおか食堂

アットホームな感じ。

山陰地方の美味しいものたくさんで、美味しかった〜

近くに座っていたおじさんが、日本酒くれたり卵焼きくれたりした。笑顔がすてきだった。引退して地元に戻って来て、ここで常連さんしてる(笑)らしい。こういう、人に話しかけられる気さくさってすごいと思う…。

香箱がに。親ガニで卵?も入ってる。甘酢との組み合わせが超おいしい…

大山鶏と、島根産コシヒカリ。うまし……。あと撮り忘れたけど雲太というシイタケのソテーも食べた。鉄板焼きのお店なのでさすが、おいしい!

さいきん。Notes upon solo traveling

Been talking about cats and dogs with several people, and this morning I had a dream that I adopted 4 cats 😂 it was so cute that each of the 4 had different personalities (or catonalities I should say), but I freaked out that I only had 1 cat toilet. And there was some detective type story happened afterwards.  It's all over the place, but that symbolically showed how extremely occupied I have been for the past few weeks with two work deadlines and a hiccup with some of my friends. 

Ohh I wish I had someone whom I can tell anything and everything, and whom accept it without judging me or being too emotionally involved.  And I wish I had someone whom I could do the same with too.

This is really my problem, not anyone else's.  And I've been working on it 🤔

It's worth remembering that I'm like quite a different person when I'm feeling great and when I'm feeling down.  I tend to blame myself a lot when I make a mistake.  I'm on a run of doing something that I'd regret later on..

I should have, could have, and would have.., these are all the things that you could say later on but you don't know at that moment.

And still, I think it's part of ups and downs that happen in life, and I'm here to embrace it, neither ignore it nor overreact to it.. easier said than done, though.

Anyways. 

Solo traveling is calming. 

I was so reluctant to do it, but it is good. 

Rather, I make it feel good to me for my own sake.

This kinda things have happened before. And I was forgiven, thanks to many kind-hearted people. And, I've forgiven a lot of people, too. This is how interpersonal relationships go. 

I don't need anymore regrets and preaching.  I just want peace of mind, and I'll wait for it. 

The sunset in Lake Shinji was gorgeous.. the area near the art museum was soothing. Love the large open area with lawn and a lake. I should go explore sites with freshwater.



11.09.2024

二条城

二条城の改装が終わったそうなので行ってみたー

まずは唐門。

お庭。徳川家康は松が好きだったそうなので松を植えたそう。



改装が終わった元離宮。すごく…立派な和洋折衷方式。数え切れないほどの部屋の数。こんなに要るのかな?と思うほど。ここは別料金。

お茶屋さん


季節の抹茶をいただきました!

11.06.2024

伏見!

先日遠方より母来るだったので、伏見ツアーも行った! 月桂冠大蔵記念館は月桂冠の創業者の話とか見れて面白い。アルコール度数器とか、普通に見慣れたものがたくさんある…。経営者って先見の明があるよなほんと。と思った。

月桂冠USAもできたんだなーすごい。就職活動したとき、月桂冠も狙えたと思うのだけど、何で応募しなかったんだろう。普通に、憧れの京都暮らしを叶える近道では。何か、理由があったんだろうな。

まずは御香宮神社から。




からの十石舟! 予約制だけど、当日空いていたので乗れた! 乗船時間は往復10分くらいだけど… 風が気持ちよくて最高だった。




竜馬とお龍の銅像が!



「鳥せい」でご飯食べたーー

寺田屋事件で、竜馬が放ったとされる弾痕…らしいが、京都新聞記事によるとこの寺田屋の建物、戦後くらいに焼失していて、幕末のがそのまま残っていたのではないらしい…!?

謎…。

近くのお寺にも寄り道。ただここは…あまり手入れされてなくて草茫々、蚊もすごかったし、「お寺って、手入れしないとこうなるんだな…」という見本みたいな感じだった。わお。