11.16.2024

松江城と武家屋敷

松江城とその城下町一帯は、初代と2代目の城主が継子なく断絶した後、松平家が長野から来て治めたらしい。

家康と秀吉の孫にあたる松平直政は、14歳で大坂の陣に出陣して、その勇猛さに家康が感心して軍扇を遣った、という。数え年か満年齢か分からないが、すごい時代である…。今で言うところの少年兵なのに、この時代だと何故か武勇伝に聞こえる。

城内は地下の塩倉、井戸から、上は天守閣まで。階段が狭いし急だ。そして、敵軍が攻め込んで来た時に備え、石を落としたり、矢を放ったり、鉄砲を撃ったりする窓が空いている。これも非常に生々しい。  

階段は、敵が攻めてきたとき取り外しやすいように、軽い桐の木で作っているらしい。桐ってそんな軽いの…?桐箪笥めちゃ重いじゃない…?

天守閣が現存するのは日本国内に12城しかなくて、松江城はその貴重な一つ。廃藩置県の際、松江城は不要なものとして取り壊される予定で天守閣も当時の値段で180円で買い取られる予定だったけど、豪商や地域の有力者が国に180円を払う形で買い取って、保存してきたそう。なので、中にある太鼓(時を告げる)とか、柱とか、古いシャチホコとか、全部残っている。保存修復、並々ならぬ努力だろうなぁ。住み手がいなくなって壊すしかない明治時代の民家とかのリノベや保存に関わっている人達がいるけど、将来、◯◯さんのおかげでこの町屋が壊されずに済んだ、と言ってもらえるのではないかと思う。

武家屋敷も見てきたけど、飾りを省いた質実剛健な作りだった。井戸から水を汲んで土間で煮炊きして、ひーろい部屋で掃除は大変だし、亭主やら近所関係やら冠婚葬祭やら用事は山ほどあって。女性が使用人状態だったこの時代から考えたら、現代ってまだ進歩してるんだなぁー。とは思った。もう何十年かしたら、またさらに進歩していると願いたい。





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