松本ハウスという、加賀谷さん(表紙写真左)と松本さんのお笑いコンビの、病気、そしてキャリアを含めた半生が描かれています。
松本ハウスは当時めちゃくちゃ売れっ子だったらしい
芸能人にありがちな、睡眠時間も取れないような引っ張りだこの時代を経て、加賀谷さん統合失調症のため入院、活動休止。(もっとも、加賀谷さんは10代の頃に発症していて、有名になったから発症したわけではない)
治療を開始してから活動再開まで10年。
復活して何もかも元に戻ってハッピーエンド、ならいいけれど、そうはいかない病気のリアル。
復活から、再出発。
変わったこともたくさんあって、変わらないこともたくさんあって。
現在進行形の記録。
松本さん(表紙写真右)の、「寄り添い力」
相方として、仕事仲間として、先輩として、理解し、支援しつつ、でも仕事のダメ出しはちゃんとやる、ものすごい人間力を発揮している松本さん。実力勝負のお笑い界で、そんなこと、なかなかできることではない…。
復活直後、加賀谷さんが以前できていた台本暗記や感情を乗せる演技ができなくなっていても、いらいらをぶつけたりコンビを解消したりすることはなかった。出来ないことは出来ないでええんよ、と言って。
セリフを覚えられない加賀谷さんに、松本さんは「セリフ忘れたら、『あれ、何の話でしたっけ?』って言え。カバーするから。それでええんや。ごにょごにょとフェードアウトするのが一番良くない。失敗せえなんて言われることないで、幸せやな。」と言ってあげる。
加賀谷さんの知り合いの、会ったこともない人から、いきなり電話がかかってきて、「私、リストカットするんです」と告白されても、見ず知らずの人に頼りたいほど追い詰められているんだな、と受け止め、「そっかぁ、リストカットしちゃうかぁ。」と答えた松本さん。「すいません、こんな話で」「なんで?こんな話もあってええんよ。」
松本さんはこの彼女について、「コントロールできない瞬間など、誰にでもある。自分の行為が見えているだけで、儲けもんだった。」と書いている。現在、精神科医の先生とも講演会や取材などで共演するが、その先生にも「松本さんはナチュラル・カウンセラーですね」と言われていた。
松本さん自身も、ひねくれた高校生で、大学を中退して、何もない人生の意味を考え続けて、何で生きているんだろうとか、死ぬとかに、こだわっていた時期があったらしい。そういうことを、短文で明瞭簡潔に、淡々と書いている。「何があったわけではなく、小さな挫折や、自尊心の喪失、報われない自己顕示欲など、思春期にありがちな感情を、他人より少しだけ強く、感受していただけだった」と、自己分析できている。純文学が好きで、物書きになりたかったというだけあって、文章力がすごい。
変わらないものはない、それに身を任せてたゆたうだけ
復活後、以前のようにはネタが出来ない二人。それを気にして、自分たちを責めて、余計に鬱屈とした気分になる。売れっ子の時には、できていたのに。そんなもがきが描かれていた。そんな中で、昔からの友人でもある放送作家さんにネタ見せをして、「加賀谷はそんなに変わってない。松本、おまえがもっと引っ張れ。加賀谷を活かすのがお前の仕事だ」と言われて、はっとしたらしい。
「いつとはなしに、目標が期待に化けてしまっていた。期待をしすぎてしまうと、眼の前の事象を見誤ってしまう。結果、融通が利かず、自分の感覚を押し付けてしまう。正しいと思う答えに、加賀谷を誘導しようとしていた。」
「症状は症状だが、部分的なものを見てはいけない。 もっと広く、加賀谷という個を丸ごと見ていかなければ」と。統合失調症というのも、加賀谷さんという人間の一部で、真面目とか、天然とか、芸人としてお客さんを楽しませるのが大好きとか、加賀谷さんその人がもついろいろな面の一つなんだよ、というメッセージな気がする。
その帰り道の会話。加賀谷さんが、「僕の中で、昔の自分が美化されちゃってたんですね」。「前と違う、全然できてないと思っていたのは、自分らだけやったのかもな」。変わってしまったことを嘆き、過去を羨んでいたことに、二人は気づくことができた。全ては変わっていく。それが自然の摂理。
「できなくなったことは、できなくなったという単純な引き算ではない。できなくなったことがあることによって、逆にできることも増え、芸の幅は広がったように思う。
歴史は変わりゆく。人もまた、変わりゆく。
変わることが自然で、変わらないことは不自然。
自然に任せて移ろうだけ。」
だから、大事なもの、変わってほしくないものを大切にしようと思えるし、嫌なものも、待っていれば状況が変化する、と希望を持つことができるのだろう。かくいう私も、昔ほど記憶力がなくなって、もどかしい思いをするけれど、逆に、嫌なことをすぐ忘れられるという利点に気づき、こっちのほうが楽だーーと思ったりしているし。
松本さんは、自身でも精神科を受診してみて、自分の偏見に気づいて打破することができた。
「歯が痛かったら歯医者に行く。お腹が痛かったら内科に行く。心が痛かったら精神科に行く。もっともっと、精神科の敷居も低くなればいいのだが。」
その人その人、ひとりひとりに、人生のドラマがある。
その一つひとつが大切だし、かけがえのないものだし、それを共有できるって、幸せなことだなあと、思う。