依存症の科学的な説明が面白かった。
カレー依存症、勉強依存症などがないのは、飽きるから。
逆に、依存しやすいものは飽きさせない性質がある。
依存物は自分の意志ではやめられない。だから依存症で、そうできているから当然。だから外部の力を借りるのも当然で、理にかなっている。などなど。
★以下引用★
依存物の使いすぎは、最終的に依存症になることによってその人を不幸にします。 依存物の使いすぎには基準がありません。そして負の強化による不快が増していくので、その付き合いはどんなに気をつけていても難しいものです。
「自制して使いなさい」と言って簡単にできるような、ヤワなものではありません。 大人もそうですが、特に未来のある子どもや青少年をスマホ依存症(ゲーム障害)にしてしまうことは、絶対に防ぎたいものです。言うなれば社会が依存症を生んでいるのも事実なので、社会全体でその回復を応援しなくてはなりません。
現在の日本では、大人はもちろん、児童や青少年にも、いつでもどこでもインターネットやゲームができる自由が尊重されつつあります。それは同時に、「依存物であるインターネットやゲームと触れない自由が侵されている」ということです。
依存症の本質を考えると、子どもたちがスマホやオンラインゲームなどの依存物とは適切につきあえないのがあたりまえだと考えたほうがいいでしょう。ゆえに特に子どもたちには、インターネットやゲー厶といった依存物と触れない権利を確保するという考えがあってもいいのではないでしょうか。
「〇〇君の家では、ゲームを1日3時間までやっていいんだって。それなのに、どうしてうちは1時間までなの?」
子供からのこのような問いかけに対し、
「ゲームをやりすぎると、依存症という病気になってしまうかもしれない。依存症になると、ゲームをしていないとイライラしてくるので、ゲームから離れられなくなってしまう。すると他のことが 結局できなくなってしまうんだ。世界中でゲームは危ない依存物とされている。やりすぎて依存症になってしまう子供は多いけれど、君を依存症にさせたくない。だから家ではゲームは1時間までとルールを決めているんだよ。それ以外の時間は一緒にゲーム以外の◯◯をしようよ」と別の行為を促すことが、依存症視点からの家庭の予防になりえます。
★引用終わり★
インターネットも、SNSも、功罪があって、使いよう。原子力だってそう。悪用も善用も、全ては使いよう。でも、ゲームやインターネットの依存性は、そこまでとは思わなかったので、怖いな…。
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