8.29.2025

🍺飲み会企画→緊張・不安→からの丸く収まって心の安心ログに記録された件

今日けっこう緊張してドキドキすることがあった。

8月中旬に、AさんとBさんと9月2週目に一緒に飲みに行こうって話をしてた。一応日付は仮決めしておいたんだけど、Bさんに今日会ったから聞いたら、11日は都合が悪いから12日でどうですかと言われた。なので、Aさんに改めて12日でいいか日程確認、3人でのLINEグループを作って聞いた。

その返信を待っている間、不安といたたまれなさがどんどん出てきて。「え…3人で行って何話すの?大丈夫かな?」と、軽くサーっと血の気が引いた。Aさんは仕事が忙しい時期だということが分かっていたので、追い込み中だろうなと予想はしていて、Aさんは気分の乱高下が結構激しい人(それを人にぶつけるタイプではないが)なので、「もー今忙しいのにー!」ってなってるのかも…と思った。そして、「誘っちゃったけど、皆行きたいと思ってくれてるのかな?迷惑とか、誰も行きたいと思っていなかったらどうしよう、でも断りにくいよね3人なんて。やば、とんでもなことしちゃったのでは…?!」とか思って、ヤバイヤバイヤバイヤバイ…(滝汗)ってなってた。その間も、仕事は粛々と続けていたのだけど。本当に私は感情を隠すのが得意。

で、結局、返信通知も来ないので、私は2人とも既読スルーもしくは忙しくて見れてないと思って、怖くてスマホを放置していた。3時間後、意を決して開くと、なんと私が送った1分後にAさんから「12日OKです!楽しみにしてます!」って。そこから、いつものBさんの軽口も加わってた。沈黙していた(ように見えてた)のは私だったという。。。

よかった、安心した。というか、私の自信のなさと不安症がもろに出たエピソードだったな。幹事とかあまりやったことないし、緊張した。気分の浮き沈みが激しい人に、忙しいって分かってるタイミングで声かけるって、小さい頃の母の機嫌の乱高下を思い出して怖かったんだろうな、と自己分析。これは、そういう人に忙しいタイミングで声をかけても大丈夫、という経験が一つできたということで、自分の頭の中でのルールを書き換える事例の一つにきっとなる。

この件の教訓をまとめると…

・私の不安トリガーを認識できた:「感情の上下がある人×忙しいタイミング→怖い」

・「怖かったけど、結果は全然大丈夫だった」体験の記録ができた。

ふむ。こういう出来事って、感情が揺さぶられるから記憶の彼方に追いやりたくなるけど、内省すると学びがあるなあ。


🍺🍺🍺


8.28.2025

宮沢賢治記念館の周りののどかな景色と東北新幹線初乗車


宮沢賢治記念館の後の目的地は本日のお宿がある北上駅。在来線の花巻駅経由で北上駅に行けるけど、2時間に一本くらいしかない(!)。

ので帰りは記念館から1.7キロ歩いて新花巻駅まで行ってみた。ひょっとして、新幹線に乗って北上駅まで一駅ひゅっと行けるのではないかと。無理だったらタクシーで花巻駅に行こうとプランBを立てつつ。

道中は、大変のどかな感じでした…

もう稲穂が実りつつあり、やはり北国は稲作が早いな。




新花巻駅で久しぶりに紙の時刻表を繰り、各停(と呼ぶのか?)の新幹線やまびこ号は北上駅に停まってくれるらしい!ということで、東北新幹線で一駅乗った。新花巻から北上まで7分乗車だった!

これはとても良い選択だった。タクシーで花巻駅まで行ったらそれだけで2500円くらいかかるし、それからまた30分に一本くらいの在来線で花巻から北上への電車に乗る必要がある。新幹線で時間もお金も節約できました。

東北新幹線は初乗り。旅行者というよりは、普段使いみたいな人が多かった印象。その一駅区間は1120円(自由席)でお安いので、新幹線通勤とかできるかもな、と思った。

ともかくも蒸し暑い中冒険しましたーー

新幹線の駅からの眺めが田園風景って、なんか非現実的(surreal)な感じがした…



宮沢賢治記念館 In 岩手・花巻。文芸も科学も縦横無尽に才能を発揮した農学者。

岩手、花巻空港からタクシーで15分くらい、宮沢賢治記念館に行ってきましたーー

空の旅は大変久しぶりだった…!















小説、童話、詩歌、絵、宇宙、植物、宗教、農学まで勉強の幅が広い広い。

「心象世界」という言葉が何度も出てきた。心に浮かびあがる想像の世界が本当に豊かだったんだろう。

豊かな感受性と鋭い頭脳を併せ持っていたんだな~。学校では特待生、級長をよくしたと書かれてあった。


特に印象に残ったのは、賢治が元教え子柳原昌悦に書き送った最後の手紙。

「僅かばかりの才能とか、器量とか、身分とか財産とかいふものが何かじぶんのからだについたものででもあるかと思ひ、じぶんの仕事を卑しみ、同輩を嘲り、いまにどこからかじぶんを所謂社会の高みへ引き上げに来るものがあるやうに思ひ、空想をのみ生活して却って完全な現在の生活をば味ふこともせず、幾年かゞ空しく過ぎて漸く自分の築いてゐた蜃気楼の消えるのを見ては、たゞもう人を怒り世間を憤り従って師友を失ひ憂悶病を得るといったやうな順序です。」

賢治にこういった考えがあったとは知らなかった。

もちろん才能はあっただろう。文芸から科学、宗教まで、博学多才とは彼のことだ。農学校での教諭という恵まれた地位を捨て、農業の生産性を上げて農民(賢治は「地人」と呼んだ)の生活を豊かにするためにいろいろな団体を立ち上げたり奔走した人生だった。ので、これを賢治自身が「慢」という「今日の時代の巨きな病」ゆえであるとしたのは意外だった。

自分の仕事を卑しみ、というのは農学校の教師のことだろうか…。

慢心というか、自分の能力に自信がないと団体立ち上げなどはできない。農業を興隆させることで、賢治自身、何か「社会の高みに登りたい、出世したい、ほめたたえられたい」というような欲求があったのだろうか。

「風のなかを自由にあるけるとか、はっきりした声で何時間でも話ができるとか、自分の兄弟のために何円かを手伝へるとかいふやうなことはできないものから見れば神の業にも均しいものです。」

そうだよなあ、病床の人が言うので本当に説得力がある。

「どうか今のご生活を大切にお護り下さい。上のそらでなしに、しっかり落ちついて、一時の感激や興奮を避け、楽しめるものは楽しみ、苦しまなければならないものは苦しんで生きて行きませう。」

というのが深い。これは柳原昌悦だけではなく、現在の私達にも通じる「生へのまなざし」だろう。

日々の慌ただしさや慣習に乗っかって、適当に済ませたり、軽率な行動をしたり、油断したり。そういう、私たちが普段ついやりがちなことへの警鐘にも思えた。




8.27.2025

たまたま見つけた諏訪神社と桑の葉蕎麦。

岩手県北上市、今日は涼しかった〜〜

朝大雨だったせいか、止んだあとすごく涼しく。夕方は晴れたけどそれでも27Cで、歩いても汗かかない。「え、もう冬来たの??😍」みたいな。うれしくてスキップしそうな勢い。

あの、暑くて体力、気力が消耗する感が全くないだけでこんなにもストレス軽減するのか…。
涼しいってだけで気分が上がるんだなーーと体感した!!


桑の葉を練り込んだ蕎麦。青汁みたいな味だけど健康に良さそうだし私は好き。実際、血糖値上昇抑制作用があるらしい。へーー。さすが養蚕の盛んな岩手。おいしかった…











鴨川デルタで水上ピクニック。橋の下で涼しく、水遊びを満喫した京の夏。

鴨川デルタの橋の下で、イスとテーブルを出して水上ピクニックをするという素敵な企画が持ち上がりました! 

事前に椅子を近所に住んでいる人の家に運んだりして… 準備大変だったと思います、ありがたいです。

あと、ゴミも結局その近所に住んでいるお友達が保管・捨ててくれて、大変大変ありがたかったです…!

私も何かできることがあったら協力したいであるーー

そんなことを思いながら、動物愛護センターでボランティア午前中してから合流。
鴨川を30分以上自転車で正午に上る…気温36℃、湿度はえげつない。心折れかけた、なかなかのトレーニングでしたわ。


すでに宴は始まっていたーー

あまりの暑さに滝行を始める猛者たち。

蚊取り線香が風流。

通りがかった会員さん、冷たい水の誘惑に耐えられず「もうええわ」でざぶーん。


滝行すごいーー 気持ちよさそうーー
この後合唱の練習があったので、さすがにずぶ濡れになるわけにはいかず見送りましたが、水は冷たくてすごい気持ちよさそうだった。。。私も膝まで足をつけてぱしゃぱしゃしたり、足もとを泳ぐメダカをめでたりしました…

大人の夏休み!!🐬









8.26.2025

失敗を回避するための選択ではなくて、「どちらを選んでも幸せになれる」という自由な心を持って選択すること。

ちょうど、自分軸でこれからの行動を選択する、とか、自分がすっきりするために自分が伝えられることは全部伝える、本気を示す、そしたら後悔せず先に進める(「レッツ玉砕♪」)みたいな話で盛り上がった。

お友達が紹介してくれた、ある心理カウンセラーさんのメルマガが、ピッタリのネタを書いてたそうで、紹介してくれた!

自分軸でなかなか行動できなかった過去の私。15年くらい前に読みたかったなあ――(笑) 


<以下引用>

◇━━━━━━━━━━━━━━━━

「選ぶ」とは「どっちでもいい」こと

◇━━━━━━━━━━━━━━━━


たとえばレストランで、

ハンバーグにするかカレーにするか、

延々と迷っている人がいるとします。


こういうときって、

「どっちかが正解で、どっちかが失敗」

みたいに思い込んでるんですよね。


でも実際は、

どっちを選んだってお腹は満たされるし、

人生に大きな影響はほとんどありません。


なのに、頭の中では大騒ぎ。

「ハンバーグにして後悔したらどうしよう」

「カレーのほうが美味しかったら?」

……で、余計に決められない。





ここで大事なのは、

「選ぶ」ことと

「失敗を避けること」は違う、

ということ。


「失敗を避ける」は、

失敗が怖くて動けない状態。

表向きは選んでいるように見えて、

実は “恐れに選ばされている” だけなんです。



一方で「選ぶ」とは、

自分の意思で決めること。

恐れからではなく、

「どっちでもいい」と思える

安心感の中でこそできる行為です。





「どっちでもいい」とは、

投げやりな言葉じゃなくて、

自由を取り戻すための合言葉。


そう思えた瞬間に心はスッと軽くなり、

初めて自分の好みや本音に気づけるんです。


AでもBでも幸せになれる。

むしろ、どっちを選んでも

“自分なら”幸せに生きられる。


未来を幸せにするのは、

選んだ道じゃなくて、

その先を歩く自分自身なんです。


 


今、何か選べずに困っている人

人生の岐路の選択で迷っている人


「どっちでもいい」

「どちらでも自分は幸せになれる」


と、恐れを手放してみてください。

幸せになった未来を

身体の感覚とともに想像してみてください。


ちゃんとその未来が、

あなたのもとに創造されますよ(^ω^)



8.25.2025

余談:聴く技術

聴き上手な人の特徴も思いついてまとめたので置いときます。

聴き上手な人には、
  • 「早合点しない」
  • 「理解したと思いこまない」
  • 「相手が話し終わるまで待つ」
  • 「質問して理解を深めようとする」
  • 「『私はね』と話題泥棒をしない」
  • 「『〇〇と思ったんだね』と感情を理解してくれる」
  • 「『それはつらいよね』と共感を示してくれる」
  • 「求められていないアドバイスはしない」
といろんな特徴がありますねーー。

自然にこれを身に付けている人もいます。

特に、「遮らない」は大切ですね。
相手が話し終わるまで、じっくり待つことが大切です。

オンラインだと時間差があるので、ますます腕というか能力が問われると思います。


8.24.2025

【体験談】アメリカで車の事故して、カウンセリングがなかったらマジで心が壊れていた話。

前回の「カウンセリングのすすめ」続きです。

私の体験談をお話しします〜

私がカウンセラーさんに最初にお世話になったのはアメリカで交通事故を起こした時でした。何年も経ったのでこうして語れますが、長らく本当にトラウマのような出来事でした。

⚠️⚠️⚠️ 同じような経験がある方、トラウマがある方は自衛をお願いします! そんなに怖い結末ではない、つもりですが。


背景情報

私はアメリカの大学院に通ったので5年間アメリカに住んでいました。車がないととても不便な小さな街だったので、アメリカの運転免許を取得し、中古車を買い、大学院も買い物も全て運転して行っていました。

私の住んでいた州の高速道路は制限速度が時速75マイル(時速120キロ近く)でした。道がものすごく真っ直ぐなので、全然速く感じないのが、また恐ろしいところです。アメリカで車に乗る人、本当に気をつけてほしい…。

その時…

ある日、学会の帰りで夜中に走行することがありました。

はしょって言いますと高速道路を歩行していた歩行者にぶつかったということになるのですが。右から来ていたので全く見えなかったのですが、正面ではなかったのが幸いして、相手方はケガはしたけど命に別状はなく、だったそう。それは後から知ったので、その時は、高速道路で人をはねて無事なはずがないと思ってもうパニックでした。

その後は、警察を呼んだり(初めて9−1−1を押したのを今もはっきり覚えています)、病院に連れて行ってもらって私が怪我がないか確認してもらったりしながら、「一体何が起こっているのか…?」夢か現か分からない状態でした。

車は警察が検分のために移動し、事故だったということで深夜2時くらいに家に返してもらい(しかもパトカーで1時間くらいかけて送ってくれた)、どっと疲れて寝たのですが、あまり眠れず、当然ながら翌朝から不安と後悔とショックが一気にやってきました。

学期の真っ最中で、授業も普通にありましたし、博士課程の中間試験(予備審)も控えていたのでとりあえず行ってこなしていましたが、心ここにあらずといった感じでした。

数日泣けませんでした。ショックが大きすぎると、泣けないんですね。

なんかとにかくもう、受け入れられないのです。

本当なの?と。

それから、土日が来ることになり。授業もない、人にも会えない。「あ、ヤバいな。」と瞬間的に思いました。一人だと気がおかしくなりそう、と。

大学の人に伝えるのも怖かった。何て言われるか分からないし、そもそも一言その話に触れたら涙が溢れそうだった。幸い、大学には学生・職員のためのカウンセリングサービスがあり、学内で無料で受けられるということを知っていた。

わらにもすがる思いで「Crisis」という特別枠で申し込んだ。「Crisis」枠は優先度が高くなるということを直感的に察知したのだと思う。ここでの私の自分を守る決意を褒めたい。

カウンセラーさんには得意分野がそれぞれあり、「交通事故」と書かれたカウンセラーさんがいました。

40分くらい待って、カウンセリング室に通してもらいました。

カウンセリング室にて…

カウンセラー部門全体の雰囲気が、すでに、リラックスさせる、優しい、穏やかな雰囲気を持っていました。カウンセラー室もそんな感じで、柔らかな日光が注ぎ、カウンセラーさんと45°の角度(正面から向かい合うより落ち着いて話せる角度です)で話せるようになっています。

カウンセリング室に入って、その安心できる雰囲気を感じた瞬間、涙が滝のように溢れてきました。それまで泣けなかったので自分でもびっくりしました。まさに堤防が決壊したような感じでした。

カウンセラーさんは、慣れた様子で、「大丈夫ですよ。」と言いながら席に案内してくれ、私が落ち着くまでしばらく待ってくれました。

最初に、「あなたの相談内容は他言しません。カウンセラーと会っているということも知られないよう、外であなたに会っても、あなたが先に挨拶して来なければ、私からは挨拶しません。」など守秘義務の徹底を話してくれました。しっかりしたシステムですね。さすがアメリカ。

事故のことを詰まり詰まり、全部話して、カウンセラーさんは、ただ静かに、うんうんと聞いてくれました。

「ショックでしたよね。自分も、家族がそういうことに遭ったことがあるから、よくわかります。」って、うるっとしながら言ってくれました。この人ほんとに、相手の感情を感じちゃう人なんだろうけど、それが彼を凄腕のカウンセラーにしているし、同時に、すり減る仕事でもあるだろうなあ、なんて感じ入ったものです。

もちろん、「信じられない!」とか大げさな反応や、「深夜に運転するなんて」などの批判とかは一切無かったです。もし、私に過失のある事故だったとしても、これは絶対に言ってはいけませんし、カウンセラーは言わないはずです。自分が悪い、って後悔の念に押しつぶされているのは当人なのだから。

私は裁判を起こされるのがとても怖かったし不安だったのでそれも伝えました。アメリカの裁判文化は極端ですしその費用も膨大です。カウンセラーさんは、「裁判については、相手方次第というところはあるけれど…。」と、期待は持たせない冷静な視点も持っていました。「でも、普通に考えて裁判しても負けるだろうから、してこないとは思うけれどね。」

「学業は今どんな感じ?」「指導教官は理解がありそう?」「休みたい?それとも…」と、いろいろと聞いてくれて、私がこの精神的にとてもつらい事故直後の状態を何とか乗り切れるようにいろいろと確認してくれました。

最後に、「土日になるけど、もし何かあったらメールアドレスにいつでも連絡して。僕は土曜日の夜に一度だけメールを確認するようにしているから。」と、ちゃんと自分の境界線(この時間だけ)を保っていてそれを伝えられるのも、さすがプロのカウンセラーだなと思いました。

とりあえず、話せてとても楽になりました。不安はまだありましたし、状況としては何も変わっていなかったのですが、とても気分が落ち着きました。そして、「何かあったらまた相談できる、一人じゃない」と思えるのはとても心強かったです。話せば楽になるって本当なんだな、と身を持って実感しました。

カウンセラーさんとは、状況報告も兼ねて、その後何度か話しました。そのたびに、「ああ、落ち着く…。」と思えて、カウンセリングを利用して本当に良かったと思っています。

本当に、一人では乗り越えられない出来事でした。


後日談

それから数週間は、予備審を受けたり、弁護士にも相談したり、車の処理対応をしたりしながら過ごしました。事故の全貌も明らかになりました。相手方(20代の学生ということでした)は、徹夜明け?の眠い状態で高速を運転していて木にぶつかり、意識が朦朧としたままフラフラと車から出て歩いていたところ私の車にぶつかったということでした。もう信じられない話ですが、アメリカではこういう極端なことが本当に起こります…。彼のお父さんと話したという警察の巡査が電話をしてくれて、「とりあえず生きてる、訴訟などは起こすつもりはない、息子が悪かったから」と言っていたと伝えてくれました。高速道路での事故ということを考えれば、考えうる最高に幸運な結末だったと思います。

たまたま木にぶつかってフラフラ歩いていた人がたまたまそこを走って来た私の車にぶつかるってどんな確率??と思いますが。その事故までは、私は日米の運転歴が通算10年くらいあって、無事故無違反だったので、衝撃でした。

運転に対する見方は変わりました。運転は今もちょっと怖いし、できればしたくないです。ちょっとした判断ミスが大怪我につながると思うと、リスクとリターンが見合わないなと思うようになりました。昔は毎日運転する田舎に住んでいたのですが、今は運転しなくていい都会に住んでいて、本当に助かるなあと思っています。


そんな私のカウンセリングとの出会いでした。


8.23.2025

自己主張していきます!それは私の課題。相手がどう反応するかは、相手の課題。

自分を見つめることが続いている。

嫌われても何も思わない、っていう相手でも、言いたくない。ってことが、ある。

相手が云々ではなく、自己主張することそのものが嫌なんだろう。

自己主張する時にはとても勇気がいる。
とてつもない量の精神エネルギーが要る。

断られたらどうしよう。
嫌な顔をされたらどうしよう。
怒られたらどうしよう。
反論されたらどうしよう。

そんな風に、ネガティブな予測をして、もしそんな反応が返ってきたら嫌な気分になる。
嫌な気分なだけではなくて、罪悪感を感じる。申し訳ない、と。
嫌な気分や罪悪感を感じたくない、と思って、主張しないことを選択するんだろう。

断られても、断り方とかを見ると、相手をもっとよく知ることができる。
ネガティブな反応をする人とは、今後の付き合い方を考えることができる。

私を大事に思ってくれる人は、私をそんな風に扱わない。よね!!!


はーーー、手放したい。


……いや、できたときもあるんです。

その時に目を向けよう。

ちょっと、ぐるぐる思考とか自信がなくなっている時とかは、自己主張するのに躊躇するけど、心が安定してて、穏やかで、疲れていない時は、ちゃんと自己主張できるのです!!

ちょっとメタ視点で、主張しようとしている自分を遠目から見る感じ、実験してみるという心意気が大事。

そのうち、「え、何にそんなに思い悩んでたんだっけ…?」ってくらいに、物事をよく伝えられるようになる…ぞ……!!




8.22.2025

米イーストランシング市でラーメン1杯は$18.8≒2,700円だった。ひえーー🍜

アメリカの物価高がヤバい。

先日京都でラーメンを食べた。駅前でけっこうおしゃれなお店だったのでそんなに安くはなかったけど、ドル換算で$8.21だった。

「え、8ドル?? 安…。」と思わずにはいられなかった。アメリカで暮らしていたら、8ドルで買えるものは限られている。まして外食はできない。カフェでコーヒーを飲めるくらいかな。18-20%のチップも渡さなければならないから。

そこで調査研究課題。

「私が住んでいたイーストランシング市で、今ラーメン一杯食べたらいくらだろう?」

イーストランシング市のラーメン屋さんを検索してみて、検索上位3店について、ざっとメニューを見て平均価格を概算した。(特別な食材が載っているなど、高いメニュー品は除く。)

その三店舗での価格がこちら。+20%のチップを入れると、

$20 x 20% = $24

$13 x 20% = $15.6

$14 x 20% = $16.8

これらのお店の平均を計算すると、$18.8。日本で食べた価格、$8.21の倍以上かーーと驚愕。そして1ドル147円で計算すると2,763円だった。さらに驚愕。

1店目の$20がちょっと平均を引っ張っている感はあるが、アメリカで外食すると$20越えは普通なので、突飛な数字ではない。

ラーメンは安い方なので、イタリアンとか行くともっと高いと思う😱

都市によってももちろん違うだろう。ボストン市とか、物価がべらぼうに高かった。

いやはや…。よっぽど収入が高くないと外食できないですね。

せやねんなーー。だから結局アメリカに住んでも自炊が主になるし、文化的施設も大都市に行かないとなくて、大自然はあるけど、外食もしにくいし、なんか物足りないんだよねーって感じになるんだよな。アメリカで仕事したいって思わんでもないんだけど、仕事以外の生活のことを考えるとやっぱり躊躇するよなーー。結局4年前に出した結論と一緒である。と、帰ってきたちょうど4年前の8月のことを懐かしく思い出したりしている。成田近くのホテルで2週間缶詰だったなーーあれから4年なのかーーなつかしいーー






8.21.2025

自分のカイゼン例3つ:几帳面さ、やりたいこと実現、心理学でメタ認知力。人はまだまだ進化できるね!

Empowermentとして、自分を変えられた事例も思い出しておこう。

1.雑→几帳面へ

若い時はけっこう雑なところもあった。ファイルとか、びっちり揃えるのではなくて、わざと乱雑にしておくのが格好いいとも思っていたフシがある。でも、社会人になって、それじゃあ仕事の効率が悪いな…整理整頓したほうがパフォーマンス上がるな、と気がついたのでそうするようにした。今では几帳面に何でも整理、分類、メモしておく習慣ができ、揃ったものを見るととても快感。クライアントにも喜ばれる。

2.引っ込み思案→やりたいこと実現

したいことをする、大学院留学を選択できたこと。昔から留学したかったけど、費用が高額だし、とか、交換留学でしても一年留年するだけだし、とか、とりあえず新卒カード使っていい会社に入ったほうが有利だし、とか何かと理由をつけて挑戦しなかった。でも、やっぱりやりたいなとずっと思っていた。その気持ちにずっと蓋をしてても人生送れたと思うけど、思い切って行動して本当によかった。一旦決断すると、割とするっと研究室に受け入れてもらえたり、英語の試験通ったりするわけです。親が一瞬反対してきたりもしたけど、ほんとに行ってよかった、頑張ってよかった。それは、自分の意志で人生の決断をしていく、そしてそれが上手く行った、という成功体験になりました。

3.感情・観念に振り回される→心理学でメタ認知

人の感じ方、行動、考え方まで、どうしてそうなるのか、いろいろな背景やパターン、理屈や説明を学ぶことができ、自分の心と頭に何が起こっているのか、どうして同じような問題にいつもぶち当たるのか、なども見当がつくようになった。学びはまだまだ現在進行中だけど。なんにも知らなかった頃に比べれば遥かに知識もメタ認知力も上がり、客観的に自分の心を観察して、「こういう理由で、こう感じていて、それは小さい頃に作ったこの観念が原因かもしれない。でも、それは書き換えられるよね、今。私は自由だもん。」みたいな思想ができる。これは武器。マジで義務教育で教えるべき内容である…!

うんうん、これは希望に溢れたストーリーである。人ってまだまだ進化できるね!だって、知識も経験も人生年数が増えるに従って増えてくんだから、調理道具も調味料も多様になっていくわけです。そりゃあ対応できる献立や食材も増えていきますわ。




8.20.2025

ケンカしない、じゃなく、心の波風を伝えて解決できる人になりたい。

私はケンカしないほうです。

しかし聖人君子の心は持ち合わせていないので、必ずしもいつも心が凪なわけではない。心の波風を、出せないだけだったりする。

ケンカしない(感情的な言い合いをしない)にも2種類あると思う。

1️⃣抑圧してる、言えないだけ。

2️⃣上手に伝えて、問題解決している。

私は1を選んでるだけだな、ととみに気付かされることがあったので、ケンカしない人じゃなくて、感情的な言い合いをせず、自分の心の波風を丁寧にはっきり伝えて、問題解決する人になりたい。

根本カウンセラーの釜飯事件の記事にあったけど、

相手の機嫌が悪い時、「自分の力及ばず…」とか、

自分がガマンしないと関係が成立しない、

ってついつい自動思考で思っちゃうけど、本当はそうじゃないんだよね。背負いすぎ。

それをずっと続けるんでしょうか、って自分に問いたい。いつも、その場しのぎというか、j我慢してでも問題を起こさないようにして、長期的な影響はあまり考えずにとりあえずその場を乗り切る、やり過ごす、というのもクセになっている気がする。


あと、「自分の気持ちに素直になったら何がダメなの?」

断られるのが怖い→断られたらどうなるの? 傷つく、嫌な気持ちになる、嫌われたと思ってしまう。

→ほんとに傷ついちゃうの?傷ついたらダメなの?立ち直れないの?

→いやな気分になったらだめなの?立ち直れないの?

→ほんとに嫌われるの?そうでもないよね?

というふうに、自分に問い合わせをしていくことも有効ですね。幼い頃から握りしめてきた思い込みを手放すために。




8.19.2025

すんなりNoを言えた成功体験。

ある知り合いから、「◯◯に関する講義をしてくれませんか。あと、あなたの知り合いのXXXさんを紹介してくれませんか」とお願いされた。

その内容は、まだあまり親しくなっていない段階での依頼内容としては、ちょっと負荷が大きい感じだと思った。何だろう…ダメでもともと、OKなら儲けものという感覚なんだろうか。

以前の私なら、いい顔をしたい、とか、できる人でありたい、とか高い理想と気遣いで引き受けた…かもしれない。けど、今回は「え??😳 それはちょっと厚かましくない? したくないわ」と思ったので、素直に、「講義は苦手なのでパスさせてください。知り合いのXXXさんは、今そういう状況ではないようなので難しいと思います」って言えた!

素直に即お断り、で、何の問題もなかった! ので、これは成功体験として記しておきたい。

自己犠牲なんかしなくてもOK!!


8.18.2025

おぼん。Bonfires on Bon holiday

精霊馬作って、送り火も見て、いいお盆でした🍆🥒

Spent a nice Bon holiday in Kyoto watching something like bonfires in a 大 shape, sending off our ansecstral spirits, who came back to visit the present world galloping a horse 🥒 and depart slowly on a bull 🍆







8.17.2025

「話を聴く専門家に、他言される心配もしがらみもなく、思いや感情の整理を手伝ってもらえる。」カウンセリングのすすめ

カウンセリングをオススメする記事を1本書けると豪語したので書きます!

結論から言うと、カウンセリングでは、
自分の思い・感情を安全な場所で話すことができ、スッキリできます。

それは、カウンセラーがプロであるゆえに、
  • 他言される
  • しがらみ(気を遣う)
  • 求めていないアドバイスをされる
などの心配がないからです。

どうでしょうか?

安心して話せる場。「へえー。いいなあ。」って、ちょっと気になりましたか?

カウンセリングを受けることを迷っている人がいるなら、ぜひ足を踏み出してもらいたいです。カウンセラーはプロなので、上に挙げたような懸念がない、プラス、心理学の知識があり、客観的に見て相談者の中で何が起こっているかを予測できます。他人の目から見たらはっきり分かることでも、当人には見えていないことってよくありますよね。

カウンセラーさんは、あなたが普段出せなくて無意識に抑え込んでいる気持ちを解放する(外に出す)お手伝いもしてくれます。

なんで感情の解放が必要なの?

「感情を解放する」って、例えば怒りを相手にぶつけるとかそういうことではないのです。自分の中に、「怒り」の感情があるって認めて、受け止めて、味わってあげることなのです。

認識されずに無かったものとされてしまうと、感情は溜まっていき、「気づいてくれ!」とばかりに心身に不調をきたすのです。あるいはある日突然爆発🌋、になることも。

感情を解放するって、トイレに行く(笑)みたいなもので、その存在を認めて流してあげることで、健康な心と体のために必要なのです。

全員が必要ではないかも

感情を解放することが無意識に苦労なくできる人もたくさんいるし、ストレスを受けても自分で上手く受け流せる人もいる。その意味では、万人にカウンセリングが必要とは限りません。胃腸薬が時折必要な人、そうでない人がいるのと同じで。

カウンセリングが役立つ時は訪れる。それが人生で、それが普通。

でも、「愛別離苦」と言うように、とんでもなく辛いことがあったりするのも人生。自分では抱えきれないような悲しみや痛みに直面した時、話せる人がいるというのは心強いです。大きな病院などには、カウンセラーの資格を持った看護師さんがいることも。患者さんのお話を聴いて寄り添ってあげるためです。

もしあなたが、「カウンセリング? ちょっと…興味あるかも。」とほんの少しでも感じているなら、それは抑圧してきた「助けてほしい」がにじみ出している証拠かもしれません。

では、友人などではなく、なぜカウンセラーに話すほうがよいのでしょうか?

プロカウンセラーに話すメリット

①話を聴くプロ

どんなことも批判せず、落ち着いて聞いてくれる。あなたの思いを理解し、寄り添ってくれる。その聞く技術は、やはりお金をもらっているプロです。それだけ訓練されているのです。

友人相手だと「こんな話、重いかな…」「引かれるかな…」と考えてしまうような話でも、カウンセラーさん相手だったら、考えなくてよいです。そこは、お金を払っていますしね。

②守秘義務がある

プロカウンセラーには守秘義務があるため、あなたの相談内容を決して他言しません。

なので「友人に身の上相談をしたら相談内容を他の人に話されてしまった…」なんて心配は不要です。

③しがらみなく話せる

私生活では関わりのない第三者だから、しがらみなどを気にせず安心して話せます。合わないカウンセラーさんの変更もしやすいです。(後述)

④自分では気づけないことに気づいてくれる

感情を自分で抑え込んでしまう私のようなタイプだと、カウンセラーさんに「本当はどう感じてたの?」と深掘りしてもらうと、どろどろと黒い感情が出てきたりします。

ずっと無いふりをしていた感情を改めて感じると、自分の内面、本当の自分と繋がることができます。それは自分らしく生きていくために、とても大事なことです。

じゃあ、聞き上手な友人や家族とは何が違うのか?

その違いはずばり、聴く技術+専門知識+経験人数 です。

よく質問してくれて、あなたの思いを理解してくれる聞き上手な人っていますよね。聴く技術のある人です。

それに加えて、心理学の専門的な知識や、他の多くのクライアントと話した経験を併せ持っているのがプロのカウンセラーなのです。

「この出来事をどういう風に受け止めたらいいの?」
「私と似た経験をした人は、これをどう乗り越えたの?」
という質問にも、
それまで他の人のお話を聴いてきた経験から、
答えてくれることが多いです。

聴く技術はあっても、専門知識、経験人数の面では
素人さんはなかなか敵わないのではないでしょうか。

友人や家族に聞いてもらって
スッキリするならそれでよし。
ですがもし
「知り合いには相談できない」
「どう反応されるか怖い」
という心配があるなら、
カウンセラーへの相談はおすすめです。

お試しで、初回はお安く話せることもありますので、ぜひ勇気を出して踏み出してみてください!話すだけでスッキリしたら儲けものです。

この記事、案件とかではありませんので、ご自身で検索してみてくださいませ☆ カウンセラーさんの得意分野や経歴の情報が多く載っているサイトは、選びやすいと思います。

カウンセラー探しは元気なうちに!

何も無い平時に、災害に対する備えをするって賢いですよね。同じように、自分に合うカウンセラーさん探しは元気なうちにしておいたほうがよいです。

めちゃくちゃ悲しいことがあってどん底😱、みたいな時に、会ったことも話したこともない人と話して一から説明する、っていうのはなかなかしんどいかもしれません。

話したことがあって、自分のことをある程度分かっているカウンセラーさんがいたら、「どん底」という時にも安心して話せます。人生の災害に遭った時に対する、保険みたいな安心感がありますよ。

自分の求めるカウンセリングを求めて、お試しして、「ああ、いい感じ。心が解放されるなぁ」みたいな感覚を探していったらよいのではと思います。

余談:合わないカウンセラーさんは、いる。

ここは一クライアントとしての感覚論になりますが、相性はあると思います。職場でも学校でも、親しくなれる人・そうでもない人がいるのと同じですね。

わりとズバッと問題解決のためにアドバイスをくれるカウンセラーさんがいたとして、そのスタイルについては、「ちょっと苦手」と思う人もいれば、「単刀直入でわかりやすい」と思う人もいるでしょう。

私自身は今まで8名くらいのカウンセラーさんとお話ししました。

そのうち2名の方は、特に「心を開きやすいなー」と特に感じる方々で、お世話になっています。

もちろん、他の方も、丁寧にお話を聞いてくれました。そのうち1名は、ちょっと言い方がきつめで私には合わないかなーと思いました。そういう時には「スケジュール分かったら予約します」とでも言って次の予約を取らなければいいので、フェードアウトしやすいです!笑

次回予告! 私がどん底の時のカウンセリング初体験

次回は、私が初めてカウンセリングを受けてそれにものすごーーく助けられた実例を紹介します!

平時に備えを!とか偉そうなことを言いましたが、私は災害に遭って慌ててカウンセリングに駆け込みました😅 そこで出会ったカウンセラーの方が、すごいベテランで合う人だったので幸運でしたが…。その経験を次回詳しく語ろうと思いますーー




8.16.2025

NewsWeekに載っていた、「長女症候群」がけっこう当たっていてドキリとした話

「長女の苦しみ」は大人になってからも...心理学者が教える「長女症候群」からの抜け出し方

https://www.newsweekjapan.jp/stories/lifestyle/2025/08/564066_1.php

これやばいなーー

当たりすぎてドキッとする。目を背けていたものを眼の前に出された感じ。

長女症候群の特徴:

  • 幼少期から世話役・支え役・感情の拠り所を担う、家族の「感情の温度計」として空気を読む。
  • 親・養育者の役割を背負わされる(親化(parentification))。
  • 「休むと怠け者」と刷り込まれ、忙しさが自分の価値となっている。
  • 思考が止まらず、リラックスできない、眠れない。
  • がまんすることにより、家庭内の危機管理役を大人になっても続けてしまう。

「親化」はそんなに強くなかったかもしれないけど、自分を出すことは早々に諦めて、相手に合わせて生きていく、自分が我慢してその場を丸く収めるというのが習慣になっていたと思う。

「忙しくいてこそ価値を感じる」のは長女症候群の一つ。自分が頑張って家庭を機能不全から守っていたから、自分が休んでしまったら世界が崩壊してしまうのだ。

そのような自覚は、なくはない。(だから、妹が自由奔放で自己を確立していて早々と結婚相手を見つけたのは、その環境を作っていた私の功績もあるんじゃないかとか思っている笑)

文系に行きたかったけど理系に進んだのは、「手に職をつけたい」という理想もありつつ、自分の欲しいものを主張する自信がなく、楽(自分が興味があることをしているから楽だ、という意味での「楽」)で楽しそうな文系に、罪悪感があったんじゃないかと今になって思う。

自分が自分であることは、あなたを大切にしてくれる人に対しての唯一の責務である、って言う言葉が響く。

単純に学業で成果を出したりするのは楽しかったし充実感はあったし。実行力とか仕事の能力は多分高い方なんだろう。それと、人間関係調整能力、対人能力とは全然別の力なんだなっていうのは最近気がついた、という…。

「本当の休息とは、単に体を休めることじゃない。『自分が動いていないと、世界が崩れてしまう』という思い込みを手放すこと。その信頼を、自分の中に育てていくことなんだ」


  • 自分が自己主張しても相手は不機嫌にならない
  • ケンカしても関係は終わらない
  • 自分が楽をしても世界は崩壊しない

っていう成功体験を、少しずつ積み上げて行こうと思う。


8.04.2025

少林寺拳法のいいところを教えてもらったら人生の大事なことにも光の当たる示唆深い内容だった話。

少林寺拳法は日本生まれの武術なんだって! 長年少林寺をやっている人からお話を聞く機会があったのでまとめておきます。「いいところいっぱいあるんですよ、得るものが多い。」って。それを聞くと、本当にその通りだなーと思うし、普通に入りたくなったわ。女性はいないらしいけど…。

少林寺拳法のいいところ:

コミュニティができる。子供から大人まで。
ボランティアでやっているので変な人がいない。
礼儀、忍耐力が身につく。
背後に仏教を基にした哲学がある。
筋肉がつく、太らなくなる。
護身術が身につく。

コミュニティ(居場所、所属)ができる。子供から大人まで。

道場は広く解放されていて誰でも入れるし、和気あいあい。小学生や中学生も習いに来るが、学校や家でいろいろな年代の人と交流できる貴重な機会だと思う。大人になってからコミュニティを探すのは難しいのに、今の学生たちさえも、友人やコミュニティを探すのは難しく感じているのではないか…。

高校生や大学生が、学生の間は少林寺拳法を頑張って、その後辞めてしまうのは本当にもったいない。学生が頑張るのは賞などを取ってその後の進学や就職に有利にしようという目的があるからで、それはただの「武道の経験」と「進路」の交換になってしまう。本来の武道の「強くなる」や「大事な思想を学ぶ」といった目的とは違う。その目的の意義に気づけたら、一緒に頑張る仲間、コミュニティができて本当に居心地が良いのに。

ボランティアでやっているので変な人がいない。

少林寺拳法は他の武道と違って、専従で教えて門下生からお金を取ることは禁止。だからみんなボランティアでやっていて、変な人がいない。また、「サービスを提供する側」「お客さん」という関係にはならない。将来教えることになるとしても、対価をもらうのは違和感がある。「僕はこう思うよ、こういう風にやるんだよ、っていうのを提示することはできる、けどそれを信じるも信じないも自由」っていうスタンスが良い、のだそう。なんでも資本主義に則って行うのは違うかな、って。

礼儀、忍耐力が身につく。

投げられる、ダメ出しされる、など鍛えられる。Tさんは20年弱少林寺拳法をやっているが未だにダメ出しされることばかり。武道はみんなそうだが、黙って掃除をする時間もあり、挨拶や礼儀にも厳しいので精神的にも成熟する。

背後に仏教を基にした哲学がある。

強さ、技だけではなくて思想まで理解しないとそれを極めたことにはならない。ただ身体能力を磨いて勝負に勝つだけではなくて、もっと大事なことを学べる。

筋肉つく、太らなくなる。

筋肉つくし、捻転(ひねり)の動作が多いから体幹が鍛えられる。筋肉量が多いと食べても筋肉の代謝に回されるから、脂肪にならず太りにくい。

護身術が身につく。

少林寺拳法の技?型?は200くらいあるが、その9割がカウンター攻撃。何かあっても身を守れるというのは自信にもなる。

ストレスが溜まっている状態の反対は「没頭」。

その少林寺拳法の玄人の方はこうも言っていた。「ある本で読んだんだけど、『没頭して、眼の前のことにただ一生懸命になれたらストレスが消える。』 仕事で嫌なことがあったり、「あいつ、ムカつくなあ」と思うことがあっても、道場で拳法をしている間はきれいに忘れる。「あれ、なんで俺投げられてんの?」「どういう仕組みでこの技は効くの?」って、眼の前のことに没頭している。だから、ストレス解消のためにただ消費をするなんてもったいない。」

それは本当にそう思う。私にとっては没頭は絵や文章を書いたり、合唱で歌ったりすることかなー。

長年合気道をしている人も、「普段は仕事や家庭のことで頭がいっぱい。合気道をしている間は、それを忘れられて頭がクリアになる。」って言っていた。まさに同じだと思う!



8.03.2025

自分のしたい仕事、それで飯を食えるか問題、AI問題、なんかいろいろと語った。

キャリアの考え方について5−6人でお話する機会があったのでメモ。。。勉強になるーー!

「自分のやりたいことだけで仕事を選ぶとつらいかも。」

Tさん「環境保護、資源保護に貢献したかった → そういう事業をしている会社に入ったけど、下水処理の部署に配属された。できて当然、できなかったらすごいクレーム来て怒られるキツい仕事だった。」なぜそれを続けられたかというと、職場の人間関係がよかった(「この人たちのためなら頑張ろう」と思えた)ことと、下水処理の機械の仕組みなどを学ぶのは面白かったから。利他的な大きな目標に忠実に生きるというのは大変かもしれない。そのストレスに耐えられるかは考えたほうがいい。例えば国境なき医師団は幸せなのか?とか考える。

耳障りのいい言葉、社会貢献で自分の進路をガチガチに固めるのも怖いなと。自分の興味、無理なくできる、という基準も大事。」

「好きなこと・できること・強み」の3要素

Sさんの友人が最近出した本では「好きなこと・できること・強み」の3つの要素を考えるそうだ。「できること」と「強み」が別で扱われているのが興味深い。

「できること」でも、それをすることでただ消耗する、しんどい、ということであれば続かない。私は接客をやろうと思えばできるけど、ただ消耗するだけなので、できることではあっても強みではないということか、なるほど。

強みとは、「自分では当たり前のようにできちゃうこと。だから、自然とそれをやろうと活力が湧いてくること。」「難なくすることができて、それで人に感謝される」という仕事が一番無理なく続けられる。接客だって、「大好き、何時間でもできる、生きがい。」という人もいれば、「一人で作業するの大好き。そのクオリティを上げるのに快感を覚える。」という人もいる。まさに適材適所。

だから、ただ「手芸が好き・得意」ってだけでそれを仕事にするのではなくて、それが自分の強みも活かせるものなのか=すなわちお客さんのためにそれをやろうという活力が自分から湧いてくるのかどうか、を判断せよ、だそうだ。

●手芸が好きで、それを職業にできる人=自分の作るもので、どうお客さんにどう喜んでもらおうか、もしクレームが来たりしても、じゃああれをしてみようか、これをしてみようかと活力が湧いてくる。

●手芸が好きだけど、それを職業にするのは向いていない人=お客さんに喜んでもらうためのアイデアが浮かばない、自分の作品を売ってお金にするプロセスのどこかの部分がしんどい、苦しい。

なるほど…。

八木仁平さんの 好きなこと×得意なこと×貢献したい分野 という方程式もあったけど、まあだいたい同じことを言っているかな。


では私の強みとは…

私は

  • 論理的に物事を考え、それを文章で説明する
  • 実験結果を効果的に伝える図表を作成する
  • 分析的な視点で物事を見て評価して考える
  • 整理整頓する

といったところが好きで得意で強み、活力が湧いてくる、趣味でもしたい、っていう感じ。なので、研究はやはり向いているんだろうな。さぁーーどうするかなーー


カウンセリングで、内にしまいこんでいた感情を大掃除する。

プライベートや仕事で立て続けにいろいろあって、なんかキツいなーと思ったのでカウンセリングを受けた。半年くらい前にお世話になった方で、私の話し方や表情、キャリア、生育歴などを見て話して、こういう風にしたらもっと人生が生きやすくなるかもね、というお話をしてくださった。あれから半年経っているのが地味に驚きなのだが…。


ここ一ヶ月くらいであったいろいろな出来事を話して、理解しながらゆっくり聞いてくれて、私が本当はどう感じていたのか、感情の解放をしてくれた。

知らず知らずのうちに感情を抑圧していたんだなと気づけたのがとても大きかった。
例えば、コワーキングスペースの仲良しの友達が去って行くとき、「彼にとっては栄転だから」「コワーキングは相手を縛るような所じゃないから」「……」と、自分を納得させる理由ばかり考えて、自分のほんとうの気持ち「イヤだ、寂しい」「彼の事情は分かるけど私は悲しい」っていうのを抑圧して、蓋をして、見ないふり、感じないふりをしていた。カウンセラーさんに、「本当はどう思ってるの?」「ここだけの話、『イヤだ』って思ってたんじゃない?」って言われるまで、気づかなかったというか、認められなかったというか。毎回おしゃべりするのが楽しかった整体の先生が辞めることも分かり(重なるなあ)、その時も同じ気持ちだった、のだな。

感情って涙なんだよなーー 自分に素直になって、周りの雑音・情報を断ち切って、静かに自分の心の中に踏み出していく時、涙がドバドバと溢れてくる。「感情を抑圧してきた人ほどそうなる」って、別のカウンセラーさんが言っていたけどほんとその通りで。そんなに抑圧してきた自覚がないのがまた恐ろしいというか、奇妙な話だ。

自分はわりと自由で、前向きで、些細なことは気にしない、受け流せると思っていたのだが…。それは「そうありたい・そうあるべき」という理想像だったのかも。心理的に成熟していていろんなことが簡単にできる自分、そんな理想を経営幹部は掲げているんだけど、でもそれは無理っす、と現場からの声がしている。のかもしれないなー。

なんでそんなに理想が高いのかを考えてみると…
  1. いままで努力していろんなことを成し遂げてきたから、「できる自分」「努力する自分」がデフォルト
  2. 生育環境とか性格から、「相手の機嫌の波・変化を受け止め、自分は自己主張しない=価値がある=愛してもらえる」という方程式ができている
じゃないかな。

それを丁寧に解きほぐしていった上で、「思うことくらい自由だから。あなたが内面で感じた感情、それまでなかったことにしなくていい。あなたの感情はあなただけのものだから。で、それをどれくらい表に出すか、相手に伝えるかは選べばいい。」と言ってもらえてとても嬉しかったな…。

私は抑圧する時・困った時に笑うクセがあるようで、それは怒りを使えない人の特徴だそうだ。「怒り」といっても、その守備範囲は広い。腹が立つ怒りだけではなくて、「イヤだ」「憤慨する」「嫌いだ」「納得いかない」「理不尽だ」「不快だ」「無神経だ」「悲しい」「やるせない」などなど、多岐にわたる。要するに心から良かったな、幸せだなと感じてはいない時。かな。

そのような怒りは、まず自分がそう感じていることに気づくこと。そこから始めねばなるまい。 無い(としている)ものを使うことは難しいのだから。怒りを上手く使えるようになるってことは、「自分の中にある怒りを認めて、その上で、相手を見て、どれだけ伝えるかを決められる」ってこと。

怒りを上手く使えると、不安も減ることが分かっている。

同僚やパートナーの愚痴大会・悪口大会をしている人たちはどうかと思うけど、でも、それが
できる人たちは、抑圧はしていないし、自分の気持ちに素直になって、「あれがイヤだった」「こんなの困るわ」と素直に怒りを表現できている。で、それを相手に直接ぶつけなくてもいいようにしている。陰口は言いたくないと思っていたけど、なんというか、ちょっと第三者に言うことで、それ以上の火事になることを防ぐこともできるんだな。

そういえば、「XXXなんてことがあって。たまらんっすわ。」って、ある活動的な企業家の方がよく言ってますわ。彼もすごい素直。

カウンセラーの方がこんな風に言ってくれた。
「自分が大切にしている価値観(誠実であること、自分の褒めたいタイミングで人を褒めるってこと)を大事にしながら人と付き合うことは可能。「イヤだな。」「私はこうしたかった。」「面倒くさいな。」「なんやねん。」って思っても、それで世界が終わるわけではないし。自分の気持ちは自分しか気づけないから、大事にしてね。

りりーさん(私)は感受性が高いし、気持ちを感じることが上手なほうだと思う。もっと蓋をするかなと思ったけど。今まで自分の感受性を、他の人の気持ちを感じ取るために使ってきたけど、自分にも使えるよ。」

本音を取り戻せると自分に戻れる。

自分は恵まれていて自由だ、っていう思いが、不安や不満を持つ心を抑えていたかもしれない。他の人はこんなに我慢して苦労しているのに、フリーランスでストレスフリーの私がこんな文句を思ったりしたら失礼かも、とか?

あと子供が苦手なことについて、子育ては皆自分の意志でしてるのに、「社会の期待に添えなくて悲しい、申し訳ない」とか無意識で思ってるのかもなぁ。あと、学問では努力して認められたのに、その部分では「人並みのこと」ができない、したくないっていうのが、自分の優等生像と矛盾してて嫌なんだろうか。

なんかいろいろと思い浮かんだ。

つい我慢しちゃうし我慢がデフォルトで、それは自分を守る手段でもあったのだけど。我慢強い人ほど、「自分、堪え性がないなあ」と思うことがたくさんある。それだけ我慢を強いられる場面に遭遇しているってこと。親友に接するみたいに自分に接するっていうのが思い出される。

蓋をしないように、自分の感情まで、言い訳をつけてまるで存在しないかのように扱うってのが、自動操縦で行われているようなので、気をつけとこ…。って思います。

カウンセラーの根本裕幸さんが「お恨み帳」ってのを書くのをオススメしてたな。そういうのもありかもしれない。