8.03.2025

自分のしたい仕事、それで飯を食えるか問題、AI問題、なんかいろいろと語った。

キャリアの考え方について5−6人でお話する機会があったのでメモ。。。勉強になるーー!

「自分のやりたいことだけで仕事を選ぶとつらいかも。」

Tさん「環境保護、資源保護に貢献したかった → そういう事業をしている会社に入ったけど、下水処理の部署に配属された。できて当然、できなかったらすごいクレーム来て怒られるキツい仕事だった。」なぜそれを続けられたかというと、職場の人間関係がよかった(「この人たちのためなら頑張ろう」と思えた)ことと、下水処理の機械の仕組みなどを学ぶのは面白かったから。利他的な大きな目標に忠実に生きるというのは大変かもしれない。そのストレスに耐えられるかは考えたほうがいい。例えば国境なき医師団は幸せなのか?とか考える。

耳障りのいい言葉、社会貢献で自分の進路をガチガチに固めるのも怖いなと。自分の興味、無理なくできる、という基準も大事。」

「好きなこと・できること・強み」の3要素

Sさんの友人が最近出した本では「好きなこと・できること・強み」の3つの要素を考えるそうだ。「できること」と「強み」が別で扱われているのが興味深い。

「できること」でも、それをすることでただ消耗する、しんどい、ということであれば続かない。私は接客をやろうと思えばできるけど、ただ消耗するだけ、なのでできることではあっても強みではない。

強みとは、「自分では当たり前のようにできちゃうこと。だから、自然とそれをやろうと活力が湧いてくること。」「難なくすることができて、それで人に感謝される」という仕事が一番無理なく続けられる。接客だって、「大好き、何時間でもできる、生きがい。」という人もいれば、「一人で作業するの大好き。そのクオリティを上げるのに快感を覚える。」という人もいる。まさに適材適所。

だから、ただ「手芸が好き・得意」ってだけでそれを仕事にするのではなくて、それが自分の強みも活かせるものなのか=すなわちお客さんのためにそれをやろうという活力が自分から湧いてくるのかどうか、を判断せよ、だそうだ。

●手芸が好きで、それを職業にできる人=自分の作るもので、どうお客さんにどう喜んでもらおうか、もしクレームが来たりしても、じゃああれをしてみようか、これをしてみようかと活力が湧いてくる。

●手芸が好きだけど、それを職業にするのは向いていない人=お客さんに喜んでもらうためのアイデアが浮かばない、自分の作品を売ってお金にするプロセスのどこかの部分がしんどい、苦しい。

なるほど…。

だから結局何だろうか…

八木仁平さんの 好きなこと×得意なこと×貢献したい分野 という方程式もあったけど、まあだいたい同じことを言っているかな。

私は

  • 論理的に物事を考え、それを文章で説明する
  • 実験結果を効果的に伝える図表を作成する
  • 分析的な視点で物事を見て評価して考える
  • 整理整頓する

といったところが好きで得意で強み、活力が湧いてくる、趣味でもしたい、っていう感じ。なので、研究はやはり向いているんだろうな。さぁーーどうするかなーー



夏のカウンセリング。

プライベートや仕事で立て続けにいろいろあって、なんかキツいなーと思ったのでカウンセリングを受けた。半年くらい前にお世話になった方で、私の話し方や表情、キャリア、生育歴などを見て話して、こういう風にしたらもっと人生が生きやすくなるかもね、というお話をしてくださった。あれから半年経っているのが地味に驚きなのだが…。


ここ一ヶ月くらいであったいろいろな出来事を話して、理解しながらゆっくり聞いてくれて、私が本当はどう感じていたのか、感情の解放をしてくれた。

知らず知らずのうちに感情を抑圧していたんだなと気づけたのがとても大きかった。
例えば、コワーキングスペースの仲良しの友達が去って行くとき、「彼にとっては栄転だから」「コワーキングは相手を縛るような所じゃないから」「……」と、自分を納得させる理由ばかり考えて、自分のほんとうの気持ち「イヤだ、寂しい」「彼の事情は分かるけど私は悲しい」っていうのを抑圧して、蓋をして、見ないふり、感じないふりをしていた。カウンセラーさんに、「本当はどう思ってるの?」「ここだけの話、『イヤだ』って思ってたんじゃない?」って言われるまで、気づかなかったというか、認められなかったというか。毎回おしゃべりするのが楽しかった整体の先生が辞めることも分かり(重なるなあ)、その時も同じ気持ちだった、のだな。

感情って涙なんだよなーー 自分に素直になって、周りの雑音・情報を断ち切って、静かに自分の心の中に踏み出していく時、涙がドバドバと溢れてくる。「感情を抑圧してきた人ほどそうなる」って、別のカウンセラーさんが言っていたけどほんとその通りで。そんなに抑圧してきた自覚がないのがまた恐ろしいというか、奇妙な話だ。

自分はわりと自由で、前向きで、些細なことは気にしない、受け流せると思っていたのだが…。それは「そうありたい・そうあるべき」という理想像だったのかも。心理的に成熟していていろんなことが簡単にできる自分、そんな理想を経営幹部は掲げているんだけど、でもそれは無理っす、と現場からの声がしている。のかもしれないなー。

なんでそんなに理想が高いのかを考えてみると…
  1. いままで努力していろんなことを成し遂げてきたから、「できる自分」「努力する自分」がデフォルト
  2. 生育環境とか性格から、「相手の機嫌の波・変化を受け止め、自分は自己主張しない=価値がある=愛してもらえる」という方程式ができている
じゃないかな。

それを丁寧に解きほぐしていった上で、「思うことくらい自由だから。あなたが内面で感じた感情、それまでなかったことにしなくていい。あなたの感情はあなただけのものだから。で、それをどれくらい表に出すか、相手に伝えるかは選べばいい。」と言ってもらえてとても嬉しかったな…。

私は抑圧する時・困った時に笑うクセがあるようで、それは怒りを使えない人の特徴だそうだ。「怒り」といっても、その守備範囲は広い。腹が立つ怒りだけではなくて、「イヤだ」「憤慨する」「嫌いだ」「納得いかない」「理不尽だ」「不快だ」「無神経だ」「悲しい」「やるせない」などなど、多岐にわたる。要するに心から良かったな、幸せだなと感じてはいない時。かな。

そのような怒りは、まず自分がそう感じていることに気づくこと。そこから始めねばなるまい。 無い(としている)ものを使うことは難しいのだから。怒りを上手く使えるようになるってことは、「自分の中にある怒りを認めて、その上で、相手を見て、どれだけ伝えるかを決められる」ってこと。

怒りを上手く使えると、不安も減ることが分かっている。

同僚やパートナーの愚痴大会・悪口大会をしている人たちはどうかと思うけど、でも、それが
できる人たちは、抑圧はしていないし、自分の気持ちに素直になって、「あれがイヤだった」「こんなの困るわ」と素直に怒りを表現できている。で、それを相手に直接ぶつけなくてもいいようにしている。陰口は言いたくないと思っていたけど、なんというか、ちょっと第三者に言うことで、それ以上の火事になることを防ぐこともできるんだな。

そういえば、「XXXなんてことがあって。たまらんっすわ。」って、ある活動的な企業家の方がよく言ってますわ。彼もすごい素直。

カウンセラーの方がこんな風に言ってくれた。
「自分が大切にしている価値観(誠実であること、自分の褒めたいタイミングで人を褒めるってこと)を大事にしながら人と付き合うことは可能。「イヤだな。」「私はこうしたかった。」「面倒くさいな。」「なんやねん。」って思っても、それで世界が終わるわけではないし。自分の気持ちは自分しか気づけないから、大事にしてね。

りりーさん(私)は感受性が高いし、気持ちを感じることが上手なほうだと思う。もっと蓋をするかなと思ったけど。今まで自分の感受性を、他の人の気持ちを感じ取るために使ってきたけど、自分にも使えるよ。」

本音を取り戻せると自分に戻れる。

自分は恵まれていて自由だ、っていう思いが、不安や不満を持つ心を抑えていたかもしれない。他の人はこんなに我慢して苦労しているのに、フリーランスでストレスフリーの私がこんな文句を思ったりしたら失礼かも、とか?

あと子供が苦手なことについて、子育ては皆自分の意志でしてるのに、「社会の期待に添えなくて悲しい、申し訳ない」とか無意識で思ってるのかもなぁ。あと、学問では努力して認められたのに、その部分では「人並みのこと」ができない、したくないっていうのが、自分の優等生像と矛盾してて嫌なんだろうか。

なんかいろいろと思い浮かんだ。

つい我慢しちゃうし我慢がデフォルトで、それは自分を守る手段でもあったのだけど。我慢強い人ほど、「自分、堪え性がないなあ」と思うことがたくさんある。それだけ我慢を強いられる場面に遭遇しているってこと。親友に接するみたいに自分に接するっていうのが思い出される。

蓋をしないように、自分の感情まで、言い訳をつけてまるで存在しないかのように扱うってのが、自動操縦で行われているようなので、気をつけとこ…。って思います。

カウンセラーの根本裕幸さんが「お恨み帳」ってのを書くのをオススメしてたな。そういうのもありかもしれない。