岩手、花巻空港からタクシーで15分くらい、宮沢賢治記念館に行ってきましたーー
小説、童話、詩歌、絵、宇宙、植物、宗教、農学まで勉強の幅が広い広い。
「心象世界」という言葉が何度も出てきた。心に浮かびあがる想像の世界が本当に豊かだったんだろう。
豊かな感受性と鋭い頭脳を併せ持っていたんだな~。学校では特待生、級長をよくしたと書かれてあった。
特に印象に残ったのは、賢治が元教え子柳原昌悦に書き送った最後の手紙。
「僅かばかりの才能とか、器量とか、身分とか財産とかいふものが何かじぶんのからだについたものででもあるかと思ひ、じぶんの仕事を卑しみ、同輩を嘲り、いまにどこからかじぶんを所謂社会の高みへ引き上げに来るものがあるやうに思ひ、空想をのみ生活して却って完全な現在の生活をば味ふこともせず、幾年かゞ空しく過ぎて漸く自分の築いてゐた蜃気楼の消えるのを見ては、たゞもう人を怒り世間を憤り従って師友を失ひ憂悶病を得るといったやうな順序です。」
賢治にこういった考えがあったとは知らなかった。
もちろん才能はあっただろう。文芸から科学、宗教まで、博学多才とは彼のことだ。農学校での教諭という恵まれた地位を捨て、農業の生産性を上げて農民(賢治は「地人」と呼んだ)の生活を豊かにするためにいろいろな団体を立ち上げたり奔走した人生だった。ので、これを賢治自身が「慢」という「今日の時代の巨きな病」ゆえであるとしたのは意外だった。
自分の仕事を卑しみ、というのは農学校の教師のことだろうか…。
慢心というか、自分の能力に自信がないと団体立ち上げなどはできない。農業を興隆させることで、賢治自身、何か「社会の高みに登りたい、出世したい、ほめたたえられたい」というような欲求があったのだろうか。
「風のなかを自由にあるけるとか、はっきりした声で何時間でも話ができるとか、自分の兄弟のために何円かを手伝へるとかいふやうなことはできないものから見れば神の業にも均しいものです。」
そうだよなあ、病床の人が言うので本当に説得力がある。
「どうか今のご生活を大切にお護り下さい。上のそらでなしに、しっかり落ちついて、一時の感激や興奮を避け、楽しめるものは楽しみ、苦しまなければならないものは苦しんで生きて行きませう。」
というのが深い。これは柳原昌悦だけではなく、現在の私達にも通じる「生へのまなざし」だろう。
日々の慌ただしさや慣習に乗っかって、適当に済ませたり、軽率な行動をしたり、油断したり。そういう、私たちが普段ついやりがちなことへの警鐘にも思えた。
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