9.29.2024

第一印象の、その先を見よう。

人は見た目が9割、というのもありましたが。最初の印象とは全然違う人となりを発見するかもしれないよーという話。だから、初めましての人に会うのは面白い。

合唱団の先生、関西弁でけっこう言い方がきつくて、初見では「こういう喋り方する人本当に無理、苦手ーーー」と思っていました。

が…

今では、愛のある関西弁の言い方が分かり…。
「なんだ、この先生の言う事、的を射ているし、良いところはちゃんと褒めてくれるし、素晴らしい指揮者の方じゃん」となりました。こんなに人の印象って変わるんだなーー。

第一印象では、わからないことばかり。

ちょっと喋った感じとか、見た目とかから、決めつけるのは失礼だし、よく話したらその人の素晴らしい所もたくさん分かるかもしれないので、もったいないですね。

ある人の第一印象って、最初にその人と深く関わろうとするかどうか、には影響があるかもしれない。私が、指揮者の方の第一印象で、入団を渋ったように。

けれど、その人を深く知ってからこそ、分かることもたくさんあります。

人間関係形成は長期戦!

それはいつも頭に置いておきたいです!

コワーキングで振る舞われたアップルパイ〜 りんごとレモン(!)のコンポートが入っていて、とても美味しかった。


9.28.2024

イスタンブールサライ と、濃ーーーい二次会。

トルコ料理屋さんで、総勢10名のお疲れ様会をしましたー!
楽しかった…

ケバブコース。
お腹いっぱい。レンズ豆のスープに、ひよこ豆のペースト(フムス)まで出て、私的にはすでにそれで大満足…! パンにつけるディップは他にも、ラタトゥイユみたいなのと、夏野菜をオーブンで焼いたのとか、ヨーグルトとにんにくのペーストとか。美味しいーー
そして、トルコワインが意外にすごく美味しかった!また飲みたい…ので写真撮る。

その後、コワーキングの大先輩とサシで二次会する機会に恵まれ… お話聞いてもらって、アドバイスもらって、分析的視点も共有してもらい、自身の経験も話してもらい… 超ーーーー勉強になりました。あまつさえおごってもらうという…! どこまでお優しい人なんだ。。。「恩送りっていう概念が好きなのよ。僕へのお礼じゃなくて、違う人に、同じようなことをしてあげて、繋げていってね。僕も、先輩に同じようにしてもらったから。」と。
はいいいーーーー!




9.27.2024

鴨川と四条散策

おしゃべりしながら、鴨川散策と喫茶店と、先斗町探検。おもろーー! ビルの間の道とか、地図に載っていない道が普通にある。コアな京都すごいなー。涼しくなって最高!







先斗町の一角。鴨川をどりの紋かなー


Ace Cafe。雰囲気はよい。予約席でいっぱいだった。音楽がちょっとうるさいかも…


9.22.2024

Experiment with ChatGPT AIで実験

I've got an interesting experiment, and I'd love to ask for your thoughts on this. I used chatGPT to translate this Japanese text in English, and I asked some English speaking friends to compare its output with my own translation.  Turned out that ChatGPT produces pretty natural English text, which is impressive. 

It's revolutionalizing our way of thinking and writing.  I think that's something like a printing machine or a cell phone, which made the impossible possible.  We should be able to make use of AI to make human life better and sustainable.

Japanese: 幼少期の経験が、人の考え方や行動にどれほど深い影響を与えるかを考えると、気が遠くなる。親になる前に、何人が、それに気づいているのか。

ChatGPT: When you think about how deeply childhood experiences can shape a person's thoughts and behavior, it feels overwhelming. How many people realize this before becoming parents?

Rie: How childhood experiences affect one's thoughts and behaviors is overwhelming. Parents or guardians have a huge influence that could change the whole like of their child. How many people know that before becoming a parent? 

9.21.2024

「いい」と「悪い」vs. "I like it" and "I don't like it"

日本語の「いい」「悪い」は、
ルールですよみたいな顔をして、
ただの主観ということもあるよ!という話です。

最近、YouTubeを観ていて、やたらと、
「まあ、XXが悪いわけではないですからね」とか、
「それは別にいいことでも悪いことでもないです」とか
「いい」「悪い」が耳につく。

別にあなたの判断を聞きたいわけでもないんですけれど…?
そんなに良い悪いをいちいち言っておかなければいけない
かしら?と、思ってしまう。
炎上防止も、あるんでしょうけれど。

日本語の「いい」「よくない」は、
ただの主観の場合がある。ただ、その人が
そう思っているだけ。でも、表現が
「善い」「悪い」だから、
例えそれがただの主観であっても、
あたかもそれが社会のルールのような、
「常識」のような、善悪のニュアンスがある。

これは、苦しさを産みかねない。

「いいね」と言われるために頑張りすぎてしまったり。
「これがいいんだ」と言われたら、
その人の主観ではなくて、ルールのような、
善悪のような、客観的な指標のような感じがしてくる。
判断されている、ような気がしてくる。

日本語の呪い、かもしれない…。

英語にするとわかりやすいかも。

アメリカ発で、もともと英語だったSNS。「いいね」は、
英語ではLikeなのだが、日本語では「いいね」と訳された。

確かに「それ、好き」と言うよりも、
「それ、いいね」と言うことのほうが多い気がする。

英語だと明確に、「好き」と「良い」が分けられている。

主観で言うときには、「I like it.」と言う。
主語が「私」であることも相まって、
ちゃんとそれがその人の主観的な思いだとわかる。
日本語では、それがごっちゃになっていることが
よくある気がする。
(まぁ、英語でも、"It's good for you." と言われた
ところで、結局その人の主観なんですが…)

ホームズの物語でも似たような場面があった。
犯人をおびき出す危険な計画を練るホームズに、
ワトソンは、「I don't like it, Holmes.」と言っていた。

それが良いか悪いかではなくて、ワトソンはホームズに
危ない真似をしてほしくないので賛成しない、と、
(事件の全貌とか法律とかはよくわかっていないけれど)
彼の主観としてそう思っている、
ということが明確にわかる。

そうか、「(主観として)あまり良くないと思うよ」、
というのは、英語では好きか嫌いかで言うんだなと、
印象に残ったことを覚えている。

まあなので、「いい」「悪い」は
主観のこともあるので、あまり気にしないようにしよう!
という話でした。

なっつかしい!


9.20.2024

豆型クッキーを焼きました! Bean-shaped cookies!

豆のクッキー型をカスタムオーダーして。3Dプリンターで簡単に作れるそうなので、非常にお手頃な価格でできました。クッキー作り自体も、材料を袋に入れて混ぜるだけ、なのでとても簡単だった!前日に作っておいて、焼くだけ!にしておく。これは便利。今度はチョコペンかなにかでデコりたいなと思いました!

I expressed my love for beans by making bean-shaped cookies with custom-made bean cookie cutter. It was inexpensive to order, as it was made with a 3D printer. It was super easy to make cookies!  Just mix ingredients in a plastic bag, no kneading or fermenting necessary. It might be a good business, actually... Though butter was kinda expensive.  Next time I bake cookies, I'd like to decorate it with icing or something....





9.19.2024

「テレフォン人生相談」/加藤諦三

筆者の加藤さんは、テレフォン人生相談という番組を半世紀も続けている。精神科医かと思いきや、社会心理学を学んだ人らしい。

本を通して共通するテーマは、「自分に正直であれ」。自分の感情、思考、信念をまず認識し、それに正直になれ、ということ。その反対は抑圧である。「雨が降っているのに、晴れていると思い込むことが、心を病ませる。」

体系的な書物というよりは、相談内容の説明が多かったけれど、行動に移せそうなアドバイスとしては

  1. 自分の感情に注意を払う。
  2. その感情の理由を考える。満たされていない欲求は何か。「行き詰まったときは、まさか、と思うことが真実。思い込みが真実を見えなくしているので」。
  3. 感情を適切に表現する。書く、本人に伝える、上司に伝えてもらう、など。
  4. 自分自身であれ。自分がやりたいことを自分で見つけて実行できれば、他人を巻き込まないで済む。
  5. 他人のことは、その人にしか直せないのだから、巻き込まれないように、自衛せよ。

無意識と意識下の違い。

熱が39℃ある時、人はトレーニングをしない。しかし、憂鬱になっていても、明るく振る舞ったり無理して背負い込んだりする。心と体の病で決定的に違うことは、自覚があるかどうか。自分が今弱っていると、認識できるかどうか。心の病には、無意識下に存在している過去の傷、それによる思い込み、信念が関係していることが多い。それは、目に見えないし意識されないので、気づかれにくい。だから深刻なのである…。

なぜ、不幸にしか見えない道を手放せない人がいるのか

人が不幸にしがみつく力は凄まじい。それは、人は幸福より安心を求めるから。今ある不幸な状況は、予定調和でもあるから、安心ではある。予知できるから。幸福になれるかどうかわからない不安な道を行くくらいなら、不幸にしがみつくという、無意識下での選択も働いているのかもしれない。

人は、本能的に孤立を避ける。だから、孤独でいるよりは、ひどい扱いをしてくる人でも、離れられない。一緒にいることを望む。小さな子供でも、一人で遊ぶよりは、嫌いな子と一緒に遊ぶことを選び、最後にはボロボロになっていく。それくらい、孤立と追放を恐れるのは、人を駆り立てる強い心理である

自分の気持ちを抑圧せず、どんなドロドロした感情でも、その存在を認めること

「親のことが嫌いだ」というのが本心としてあるとする。「親は素晴らしい、私は理想の家庭で育った」と、自分に嘘をつくと心を病む。正直な気持ちを抑圧してしまい、自分自身を生きることができなくなるから。「親のことは嫌いだけど、人として親切にしよう」とするのが、自分を失わない、大人の対応である。

心の奥底にある怒りを認めるのはあまりに深刻で、恐怖ですらある。だから認めない人が多い。だから、理由もわからないままに苦しんで苦しんでもがく。自分の怒り・憎悪は、誰それに向けられたものである、という真実を認めず苦しんで、傍から見ると、「死んでも不幸を手放しません」とはっきり表明しているように見える。

自分の本心に気が付き、見たくない真実を見ることができると、成長する→すると、エネルギーが湧いてくる→乗り越えられる。

悩みは、矛先の「置き換え」で表される

本当に怒りを感じている相手には対決するのが難しいため、いじめやすい人、怒りの矛先を向けやすい人に怒りをぶつける。それも、状況に見合わない、不相応なほどの怒りを。

【例】子供の、親に対しての怒り→親にはぶつけられないため、残酷な小説を書く、クラスメイトをいじめる、人種的偏見に賛同する、など。【例】配偶者への怒り→配偶者には直接ぶつけられないため、子ども、子どもの友達、その親、周囲の優しい人、などに怒る。【例】外の人への怒り→外の人にはぶつけられないため、家庭の中に攻撃性を向ける。

ずっと怒っていると、その相手を責めることを自分で正当化するようになり、ますます怒りがたまる。でも、置き換えでは本当の癒やしは得られないし、自分の怒りの根本解決にはならない。弱い人にどうしても矛先が行くので、自衛するしかない!

ACE性格とは、自分の感情に注目Attendし、原因を理解しConnect、表現できるExpress人。怒りを消し去り、悩みを解決する。表現というのは何も、本人に対してでなくても、友人に話すでも、紙に書き出すでもよい。日頃から自分の気持を分析し書き出していると、相手に対してもきちんと自分を伝えることができるようになる。

依存したいけど自立したい の葛藤

依存的敵対関係=人間関係依存症=お互いに相手を拒絶しながら、相手にしがみついている「依存」の状態。両者ともに自我の自立がない。【例】「俺は皆に嫌われたい」と不自然に言っている人ー本当は、血の通った人間関係を作りたい、でもそれを表現できない。(「キック・ミー」のゲームのよう) 

愛情に満ちた家庭に育たなかった子供は、未だに、満たされていない愛情欲求を抱える。体は大人でも、心は幼児、ということがありうる。しかも、頭脳や社会的地位もあるので、素直に、「愛してくれ」「助けてくれ」とは言わず、身近な人を叱責する態度になる。倫理的、世間的、常識的にXXという、隠れ蓑を被せて。「おまえは世間知らずだ」などというように。その実、心のなかでは、「どうしてそんな怖い態度を取るのだ。おまえまで俺の味方じゃなくなるのか。そんなことないよな。」と思っているのに、そういう気持ちがあることも理解できず、それを素直に表現することもできない。なぜか、理由のわからないもやもやを晴らそうと、手当たり次第に八つ当たりしているだけ。これは本当につらい。日本人の男性には、そういう人が本当に多いそうなのだ。

嫌われたくない=常に相手に嫌われないように尽くしすぎる。相手が自分に好意を持っていると思える証拠をいつも探しているのは、保護と安全への欲求。いつも「愛してくれるよね?」「愛してよ!」となると、周りも、最初はいいかもしれないが最後はうんざりしてきて好意を失う。皮肉なことに…。

相手との関係が壊れることを恐れるために、怒りを直接表現できない=軽い不安感と抑うつ状態。

【例】今付き合っている人との関係がスムーズにいかなくても、改善しようとせず、かといって別れようともしない。心理的に依存しているから、自発的に関係を改善する努力ができない。

巻き込まれないように…安全距離を取って接したほうがいい人かどうか見極める

人は、自分を愛し尊重する程度にしか、他人を愛し尊重することはできない。

他人に「絡む」ことによってしか、自分の人生を活性化出来ず、他人を巻き込むしかない人もいる。 【例】子供にしがみつき、子供から愛を搾取しながら、自分は子供を尊重していると思っている親。自分の無意識にある「無意味感」から目を背けるために他人を世話し、自分の人生に意味を感じようとしている。

相手への関心がないとき、自分のいいと思うことを押し付けて、その上相手に感謝を要求する。押し付けがましい親は、子供を不幸にしている。相手に関心があれば、相手が何を求めているか、何を喜ぶかがわかるはず。自分の無価値感を満たすことに精一杯で、相手のためになることをしようという心理的余裕がない。だから、自分の価値を守るために他人を巻き込んでいる。

やりたいことをするのは良いが、自分が「やりたい」と言ってしていない人もいる。周りのせいにして自分のしたいことをしている。それは傷を負いたくない弱い人であり、それを隠そうとしている。本当の自分を出せ、というアドバイス。

彼らが、満たされない欲求に気づき自分を改善するか、したいと思うかは彼らの問題。だから、巻き込まれそうになったら自衛すべし…。

デイヴィッド・シーベリー「自分自身でありえないなら、悪魔になったほうがましだ」

ロロ・メイ「仲間に対する最大の使命は、自分自身であること」

子供の健全な成長のために…

「自分がなりたい人間」をはっきりさせることができた子供は幸せ。あとはそれに向かって行動を起こしていくだけで、他人を巻き込んで自分の人生を活性化させる必要もない。親は、それをただ見守ればいい。

子供を健全に励ますには、やろうとする熱意をまず認めること。「何とか解こうとする力ってすごいね」やった努力を認め、励ますこと。結果ではなく。「先週寝なかったね、今週も寝なかったら、次の問題に進めるからね」。失敗を受け入れること。「お母さんなんか、もっとおねしょをしてたわよ」 なんで出来ないの、は、単に親の期待が高すぎて、現実を受け入れられていないだけ。受け入れられていない、ということに気づかず、「あなたのため」と言ってスパルタしてくるような親は、前述の通り、自分のくすぶった感情の矛先を安易に子供に向けているだけである! 子育てには忍耐強さ、寛容さ、自分自身を受け入れた穏やかな心、が絶対的に必要だ…

励まされて生きてきて、初めて、共同体感覚を持つことができる。つまり、心が他人と繋がっている状態でいられる。だから劣等感とは、所属意識の欠如である。

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こういう本を読んで毎回思うけど、幼少期の親との関係がどれほど重要かわかる。心が痛いです。あーー 生理的にも精神的にも未熟で周りに頼らないと生きていけない状態で生まれてくるヒトの、悲劇よ…という感じ。




9.18.2024

自己主張、と、そこまで気張らなくてもいいかもしれないのに、という話。Self-assersion, or the avoidance of it

鉄道博物館での気付き。

あまりに暑く、あまり頭も働かなかった…。普段は歩くの速い方なのに、一緒に行った友達が早足でスタスタ歩いていく。「ちょっと、もう少しゆっくり歩いてくれない?」と、言えばよかったねえ… ケンカしない症候群がまたも。全然、言い争いになることというほどでもないのに、言い方がわからないだけだろうな。回避型だなー自分、と思う。この友達は、多分、「なんで自分、気づかなかったんだろう」なんていじいじせず、「あ、そうやんな。ごめんごめん。」って言ってくれて終わり、な気がするのに。

「なんでそんなに早く歩くの?」「私のことを考えてくれず、自分ひとりのペースで歩くなんてひどい」じゃなくて、「もう少しゆっくり歩いてくれない?」と言えばいいだけなのに。向こうは多分、純粋に気がついていないだけなのに。そのやり取りが、ものすごく負担に感じる。幼い頃から、人間関係のごたごたには真正面から向き合わないことが多かったし、向き合ってもらえなかったし。回避するクセがついちゃってるんだろうな。現象を指摘する(「歩くの速いよ」)だけではなくて、じゃあどうしてほしいのか(「ゆっくり歩いてほしいな」)、を言えること…。そういう、冷静な、「xxしてくれたら嬉しいんだけど」というスタンスでいきましょう…。 

幼少期の経験が、人の考え方や行動にどれほど深い影響を与えるかを考えると、気が遠くなる。親になる前に、何人が、それに気づいているのか。

It was so hot that my brain wasn’t really working.  Normally, I’m a fast walker, but the friend I was with was walking briskly ahead.  I should’ve just said, “Hey, can you slow down a bit?”  But of course, my "conflict avoidance syndrome" kicked in again.  It wasn’t even something that would’ve caused an argument, but I just didn’t know how to say it calmly.  It clearly reminded me that "I'm so avoidant."  This friend would probably just say, "Oh, you're right.  Sorry about that!" without overthinking it or feeling bad, and that would be the end of it.

Instead of saying “Why are you walking so fast?” or “Why are you being so inconsiderate, walking at your own pace and not thinking of me?”  I could’ve just said, “Could you slow down a little?”  Most likely, he simply didn’t realize that he was walking so fast.  I need to stay calm and approach things like, “It would make me happy if you could do this...”  That is my problem, not theirs.  It's something to work on...

How childhood experiences affect one's thoughts and behaviors is overwhelming. Parents or guardians have a huge influence that could change the whole like of their child. How many people know that before becoming parents? 



9.17.2024

京都鉄道博物館 Kyoto Railway Museum

鉄道博物館、すごく立派な博物館だった!
これは外国人観光客も含め本気で集客して、観光地にしよう!という意気込みが感じられるものでした。古い電車や機関車の展示、歴史や、昔の駅員さんが使っていた帽子やらライトやら。信号機や車線変更をできる仕組みもかいせつされていて、とにかく盛りだくさん!ジオラマやプラレールも大規模に飾られていて、子供が大喜びすること間違いなし!鉄道好きさんも、外国人の方も、子供たちも、思い思いに楽しんでいました。それを遠目から眺める… ここだけ見ると、少子化とは??ってなりますが。

扇形の車庫がおもしろかった。扇型の車庫には機関車が何台も配置されて、その中央に、回転式のレールがあるので、そこのレールに乗せれば、車庫の中のどの機関車も自由に動かせる。メンテとか、少ないスペースでしやすいだろうなと思いました。

それにしても暑かったーーー、蒸し暑さ半端ない。9月になったから涼しくなるはずだ、という思い込みは一旦捨てよう…。そうしよ…。京都は夏日(30℃超え)が平均70日もあるらしいし(京都検定情報)。70日というのは過去30年の平均なので、過去10年で見たらもっと多いはず…ということは三ヶ月は夏日。長期戦覚悟でのぞむべきですね…。

The Railway Museum was impressive!  You could really feel their determination to make it a proper tourist attraction, including drawing in foreign visitors.  The museum featured old trains and locomotives, displays on the history of railways and items like hats and lanterns that station staff used to use.  There were also explanations about the signaling system and how track switching works.  It was packed with so much to see!  They even had large-scale dioramas and Plarail exhibits that were sure to make kids exhilerated. Train enthusiasts, foreign visitors, and children of all nationalities were all enjoying themselves in their own way.  Watching this from a distance, it really made you think, "Wait, does Japan really have a declining birthrate?"

The fan-shaped trainhouse was fascinating. Several locomotives were arranged in a fan shape, and in the center, there was a rotating rail.  Once a locomotive was placed on the rotating rail, you could move it forward in and out of the roundhouse.  It must make maintenance easier and more efficient with limited space.

But wow, it was SO hot.  The humidity was intense.  I must let go of the assumption that September means cooler weather…  I must!  Kyoto apparently has over 70 days of 'summer days' (above 30°C) on average (according to the "Kyoto Exam" textbook). And that’s the average over the past 30 years, so it must be even more in the last decade.  So basically, three months of summer heat. We really need to prepare for the long haul…

It was so hot that my brain wasn’t really working.  Normally, I’m a fast walker, but the friend I was with was walking briskly ahead.  I should’ve just said, “Hey, can you slow down a bit?”  But of course, my "conflict avoidance syndrome" kicked in again.  It wasn’t even something that would’ve caused an argument, but I just didn’t know how to say it calmly.

Instead of saying “Why are you walking so fast!?” or “Why are you being so inconsiderate, walking at your own pace and not thinking of me?”  I could’ve just said, “Could you slow down a little?”  Most likely, he simply didn’t realize that he was walking so fast.  I need to stay calm and approach things like, “It would make me happy if you could do this...”  That is my problem, not theirs.  It's something to work on... 









トワイライトエクスプレス、大阪から札幌までの寝台特急列車。23時間かかっていたらしい…ひえーー腰痛くなりそう。そして酔う人にはこたえますね。。




9.12.2024

ほんまもんの栗きんとん

茹でた栗が冷凍してあったので栗のおやつを作りました〜

栗きんとんの「きんとん」は、金団と書くらしく、芋や豆を煮てつぶしたもの。

おせちに出るのは、金運アップのため!

でも、おせちの栗きんとんは、芋のきんとんに栗がちょこんと乗っているもの。栗がきんとんだった場合は、何と言うのか…?それも栗きんとんでいいのか…? でも、栗100%というのを主張したい気もするので栗100%栗きんとんで!

「めっちゃ栗だ…」「甘さ控えめで美味しい」「栗、重っ…」「和菓子みたい」などのコメントをいただきました。ふふふ。



9.11.2024

相手本位と見せかけた、自分本位

最近、自分の自我、過去、心理状態を分析していて、自分ばかり見ております…。

関心が内面に内面に向かっていて、自身の一挙手一投足に注意が行き過ぎて、自意識過剰ぎみになっている? と、気づきました笑

自分を分析して自分を見ている

ということは結局、

いかに自分を満たすかを考えている

ということなので。それももちろん大事なのですが、相手ファースト目線は常に持っておくように意識したいと思います。


というのも、自分に注意が向きすぎると、相手に対して「この人は私をどうやって満たしてくれるのか?」のマインドになりがちなので。

与え、与えられる関係でいたいものです。

この人は何をしてあげたら喜ぶか」という相手目線を持ちたいです。それは、自分の心情は脇において、相手が喜ぶことをしよう、という相手の幸せ→私の幸せ です。


それは、単なる「私はこの人に何をしてあげられるか」とはちょっと違うんですよね。


なぜかというと、自分がしてあげられること、自分がいいと思うことしかしないという、自分が主体のニュアンスがある気がするからです。


もちろん、「相手が喜んでくれることはこれとこれで、私ができるのはそのうちのこれ」、という風にもなるとは思うのですが。

難しいですが、結局、相手目線が大事ということです。


私も昔は、自分が好きな猫グッズとかを、その人が猫が好きかどうかはあまり考えず、プレゼントにあげていたりして。

それは今考えると、「自分がいいと思うものを共有したい、分かってもらいたい」という欲求で、その欲求に相手のため(プレゼント)という仮面を被せていたんですねー


共有したいなら素直に言えばいいのに。思いも至らなかった。


でもその時、無意識では、自信のなさと今までの経験から、「自分の好きなものになんて、相手は興味ないだろう、聞いてくれないだろう、だからプレゼントの仮面を被せなければならない」、と思っていたのかもしれない。

「『あなたのためを思って』、と言っていろいろ言ってくる・してくる人は、実は自分の欲求をカムフラージュしているだけのことが多い」という、社会・心理学者、加藤諦三さんの言に思い至りました。


でもやっぱり猫はかわいい笑

9.10.2024

カップヌードルミュージアム

前々から興味のあった、カップヌードルミュージアム in 池田 に行ってきましたー

池田は、逸翁美術館や小林一茶記念館もあり、一日では見きれないくらいたくさん見るところがある、隠れた名所エリアである…!

安藤百福氏、1910年生まれ。戦後の食糧難で、いつでも食べられるカップヌードルを開発した、とか、立命館大で経営学を学んで、食品学は専門家ではなかったのに、いろいろと知恵を絞って、当時としては画期的なカップヌードルの大量生産方法を編み出したそうだ。麺をカップに入れるのではなく、麺にカップをかぶせる、麺が浮いている入れ方にすることで、カップもつぶれないし麺も壊れない、とか、アルミシールでふたをする、シュリンクフィルムを付けるなど。「逆転の発想」がモノを言った!そう。

歴代のカップヌードルが展示してあって壮観だった。

自分で具材などを選んでオリジナルのカップヌードルを作るコーナー、ちびっこたちに大人気だった。

安藤百福氏、功績を称えられて世界中から賞をもらっているし、立命館大から名誉博士号を授与されて、袖に横に三本線が入った博士号のガウンが飾ってあった!おおーー

無料で入れるわりには大充実。面白かったです。

I went to the Cup Noodles Museum in Ikeda, which I had been interested in for a while!

Ikeda is a hidden gem with so much to see, including the Itsuo Art Museum and the Kobayashi Issa Memorial Museum, that you can’t see everything in just one day.

Momofuku Ando, born in 1910, developed Cup Noodles during the post-war food shortage so that people could have something to eat anytime.  Even though he studied business management at Ritsumeikan University and wasn’t a food science expert, he came up with many clever ideas and invented a groundbreaking method for mass-producing Cup Noodles at the time. Instead of putting the noodles into the cup, he placed the cup over the noodles, allowing them to float inside. This method prevented both the cup from being crushed and the noodles from breaking. He also came up with the idea of sealing the cup with an aluminum lid and protecting cups with shrink film. The "reverse thinking", or thinking outside the box really paid off!

The display of Cup Noodles throughout the years was truly impressive.

There was also an attraction where you could choose ingredients and create your own original Cup Noodles, which was really popular with kids.

Momofuku Ando’s achievements have been recognized around the world, and he has received many awards. He was also awarded an honorary doctorate by Ritsumeikan University, and his doctoral gown with three horizontal stripes was on display. Ohh, looks familiar.

Considering it’s free to enter, the museum was quite good. It was fun!















9.09.2024

「わかりやすい交流分析」/中村和子・杉田峰康 2


脚本:幼児期の親との関わり、その後の人生体験によって作られる。「自分はこう生きるはずだ・べきだ」。人生の重要な局面の決断・行動を決定するような大きな影響を持つ。破壊的な脚本は、幼少期の親のCからの非建設的なメッセージに従おうと決めた際にできる。ドラマチック、急展開、悲劇的な結末となる。それに対して、成功者の脚本は、自分のゴールを自分で決め、それに向かって全力を尽くし、成し遂げる。養育的Pに基づく。人生に満足している。TAは、人々が、成功者の脚本を基に生きることを援助する。

「大事なものは手に入らない」という脚本を持っている人は、いざ自分の欲しい物が手に入るチャンスが来ても、「そんなはずない、自分には相応しくない」と思って、自ら遠ざけてしまう。

 

「自分は周りに大事にされない」という脚本を持っている人は、大事にしてくれそうな、自分を愛してくれそうな人には距離を置き、自分を蔑ろにする人についていく。「ああ、このひどい扱いこそ自分にふさわしい」とホッとするかのように、傷つけられてどこかで安心している。

 

私も昔、本当にやりたいことには踏み出さず、やりたいとも言わず、苦労すると分かっている道をわざわざ選んだりしたことがありましたが、背景には、「自分にはやりたいことをやる資格はない、茨の道こそ自分にお似合い」という脚本(思い込み、自己暗示、諦めともいう…)があったからかと、思い至りました…

 

その時、自分ではそんな自作自演の脚本だとか露ほども思っていなくて、純粋に、運命に身を委ねていた、人生なんてそんなもんだ、と投げていた、変に大人ぶった顔をして。

 

 

で、そこから十数年。

ここで私が強調したいのは、人生脚本は、自分で変えられるということ! 破壊的な脚本を持っていた人でも、今までは、無力な自分が生きるために必要なだったからその脚本があっただけで、大人になった今は、どう生きるか、自分で自由に決められる。今まで運命だと諦めていたことが、実は自分が無意識のうちに強迫的に演じていたものであるということが分かれば、自分の人生のコントロール感を取り戻せる。

この、自分は自分の人生脚本を書き換えられる、と自分で認識し、信じ、実行できるという自己効力感を持つことがすごく大事…。日本人は、大人も子供も、それを持っていない人が多いのだという。文化的な、社会的な背景があって。

脚本は、自分が無意識に持っている、禁止令からなる。「~~してはいけない」と自分に課した行動規律、呪いであり、親との関わり、親から示された行動、振る舞いから強く影響を受ける。

禁止令
存在するな・命を大事にするな・女(男)であるな・自然な感情を体験してはいけない・楽しんではいけない・健康でいてはいけない・成功してはいけない・悩みごとを打ち明けてはいけない・気になることを尋ねてはいけない・成長してはいけない・実行してはいけない・重要な人物になってはいけない・皆の仲間入りをしてはいけない・愛してはいけない・考えてはいけない。

分析の仕方:幼児期に両親がよく言った言葉、今でも忘れられない親の態度、人生の出来事、周りの大人と親との関係性などを尋ねる。

~~~~~

自我状態、ゲーム、ストローク、構え、脚本、禁止令など、その定義とともにしっかり学ぶことができた。また、心の状態や人々の交流を分析・説明する言葉を学ぶことができた!!


9.08.2024

「わかりやすい交流分析」/中村和子・杉田峰康 1



心理学、自分の心、状態を客観的に見られるようになって、じゃあどうすればいいのかもわかって、とても充実!!もっと早く知りたかったと思うことばかり。分析屋にはたまらない。

交流分析は、人と人の交流、やり取りをパターン化し、なぜそのやり取りが起こるかの背景を説明しようとする。

自我状態は3つあり、P親、A大人、C子ども。さらに、PはCP批判的な親とNP養育的な親に、子供はFC自由な子供と、AC順応した子供に分けられる。

人と人との交流は、一方の人のある自我状態からのメッセージが、他方の人のある自我状態に向けられる。A→A、大人同士の論理的なやり取り、P→C、大人から子供へ、先輩から後輩へのような。など。C→A、甘え。

構え 自分と他人に対してOKと思っているかどうかで、4つの組み合わせがある。幼少期の親との関わり、愛情が与えられたかどうかで決まる。OKであるとは、生きる価値がある、素晴らしい、愛される価値がある、成し遂げられる、ということ。自分もOK、他人もOKという構えの人は、共感と信頼に基づいた血の通った交流が可能だが、この理想の構えを持つように育つことは稀で、大人になって自己訓練して身につける必要があることが殆どである。

ストロークは、言葉がけ、スキンシップ、愛撫など、特に幼児の発達に必要不可欠な生物学的刺激。肯定的、承認的な陽性のストロークと、傷つけ、困惑させ、怒りを誘う陰性のストロークがある。陽性のストロークをあまり受けずに育った人は、ストロークがほしいが上手くできないため、歪んだ形で陰性のストロークを出してしまう。

ゲームは、遊びの楽しいゲームではなく、裏面的交流(発せられた表向きのメッセージとは別の、隠された裏のメッセージがある)が、定型化して、繰り返されるもので、劇的な結末(一方あるいは両者が怒る、傷つく、欲求不満になるなど)を迎える。

思えば、こういうやり取りをずっと延々と繰り返している人がいる。このようなゲームに巻き込まれると不要に消耗するので、巻き込まれそうになったら毅然と距離を取って、冷静に、「あなたならどうしますか」、と、相手に考えさせること、だそう…。

  1. 「はい、でも」 自己肯定・他者否定。自分は親の思い通りにはならないという復讐心の表明。
  2. あら探し 自己肯定・他者否定。
  3. 「キック・ミー(私を嫌ってくれ)」自己否定・他者肯定。他者にひどいことをする。が、自分は被害者とも思っている。自分はOKでないことを確認したい。
  4. 苦労性 自己否定。キャパ以上に引き受け、パンクすることを分かっていながらパンクする。「どれだけやっても私はダメ」
  5. 「ひどいもんだ」(大騒ぎ) 大騒ぎすることで注目、愛情を得たい。
  6. 仲間割れ(させる) 「他人はOKでない」を証明したい。
  7. 決裂 おまえはOKでない、とお互い思っている人同士、物別れになる。
  8. 「あなたを何とかしてあげたいだけなんだ」 自分になにかできることを証明したい。
  9. 精神療法 「医者が無能だということを証明してやろう」という強迫的信念をもった患者が、医者と水掛け論になる。
  10. 義足 「私は頭が悪いのです」 「私はこんな親に育てられたんです、まともになるわけがないでしょう」自分の弱点に言い訳をし、向き合わず、責任転嫁する。他者否定。

相手を消耗させ、イライラさせることで、一時的に歪んだ欲求が満たされたとしても、またすぐストロークが欲しくなり、同じゲームを繰り返してしまう。ゲームのカモとなる人も、弱点(患者を治したいとう強迫観念や、あらゆる人と仲良くならなければいけない、という強迫観念を持っている人など)を持っており、そこにつけ込まれることになる…。



9.07.2024

雷鳥神社 @下京区新日吉町

メキシコ料理のお店だった! 大きなグリルチキンが美味! わりとしっかり味がついてて、ソースとか副菜とかも加えても、味変になって全部美味しかった!

旅行が楽しすぎて、現実に戻りたくない症候群になった友達と一緒に。やばいですねー

お店の中に神社があって、驚いた…! お参りできるそう。雷鳥神社。もともとあったのかな?

It turned out to be a Mexican restaurant!  We had a large grilled chicken, and it was delicious!  It was quite well-seasoned, and even when adding sauces and side dishes, it gave a nice flavor variation, and everything tasted great!

I went with a friend who's experiencing "I don't want to return to reality" syndrome after having so much fun on a trip.  So, we reminisced the fun we had during the trip as an effort to come back to reality, lol.

There was a shrine inside the restaurant, which surprised me...!  Apparently, you can pray there.  The restaurant's called Raicho Shrine, and I wonder if it was always there before this restaurant was opened?




9.06.2024

大太鼓演奏 イン 高島屋!

太鼓好きな友達から誘われて、大太鼓の演奏10分間、無料!のイベントに行ってきた〜
高島屋なので、コワーキングからほど近く、昼休み抜け出して太鼓聴きに行ってまた何事もなかったかのように仕事に戻る…なんてことができるのはとても贅沢!!

大太鼓はフルサイズではなくて、平たいバージョンだったけど。Earth Celebration では遠くから見てたけど、ここでは近くで見れたのでよかった!分かってはいたけどすごい音量。10分間だから耐えられる…というかなんというか! 

大太鼓の裏側で、大太鼓を支えて、倒れないようにしている担当の方がいて、まさに裏方さん…。あの大きな音をあの至近距離で聞いて、大丈夫だろうか…?耳栓したほうがいいんじゃないかなとか思う。

終わってから、演奏者の方に挨拶しに行ったら、汗ダラダラだった、やっぱり…全身運動だもんな本当に!