Thoughts and notes of a researcher in plant genetics and nutritional epidemiology in Japan and the U.S. with a wide range of interests - choral activities, photography, nature, travel, and drawing. L'épanouissement personnel means personal development and fulfillment. Still in the middle of it, enjoying the process. 農学部、酒類企業研究員を経て、米国ミシガン州立大学で博士過程を卒業後、植物遺伝学と食物疫学の研究に片足ずつつっこんでいます。趣味の合唱、自然観察、旅行、写真、絵描き、国際交流など、いろんな記録です。L'épanouissement personnelは自己研鑽、実現というような意味です。生涯に渡って一緒に旅する人生のテーマ。
9.29.2024
第一印象の、その先を見よう。
9.28.2024
イスタンブールサライ と、濃ーーーい二次会。
9.27.2024
鴨川と四条散策
Ace Cafe。雰囲気はよい。予約席でいっぱいだった。音楽がちょっとうるさいかも…
9.22.2024
Experiment with ChatGPT AIで実験
I've got an interesting experiment, and I'd love to ask for your thoughts on this. I used chatGPT to translate this Japanese text in English, and I asked some English speaking friends to compare its output with my own translation. Turned out that ChatGPT produces pretty natural English text, which is impressive.
It's revolutionalizing our way of thinking and writing. I think that's something like a printing machine or a cell phone, which made the impossible possible. We should be able to make use of AI to make human life better and sustainable.
Japanese: 幼少期の経験が、人の考え方や行動にどれほど深い影響を与えるかを考えると、気が遠くなる。親になる前に、何人が、それに気づいているのか。
ChatGPT: When you think about how deeply childhood experiences can shape a person's thoughts and behavior, it feels overwhelming. How many people realize this before becoming parents?
Rie: How childhood experiences affect one's thoughts and behaviors is overwhelming. Parents or guardians have a huge influence that could change the whole like of their child. How many people know that before becoming a parent?
9.21.2024
「いい」と「悪い」vs. "I like it" and "I don't like it"
9.20.2024
豆型クッキーを焼きました! Bean-shaped cookies!
9.19.2024
「テレフォン人生相談」/加藤諦三
筆者の加藤さんは、テレフォン人生相談という番組を半世紀も続けている。精神科医かと思いきや、社会心理学を学んだ人らしい。
本を通して共通するテーマは、「自分に正直であれ」。自分の感情、思考、信念をまず認識し、それに正直になれ、ということ。その反対は抑圧である。「雨が降っているのに、晴れていると思い込むことが、心を病ませる。」
体系的な書物というよりは、相談内容の説明が多かったけれど、行動に移せそうなアドバイスとしては
- 自分の感情に注意を払う。
- その感情の理由を考える。満たされていない欲求は何か。「行き詰まったときは、まさか、と思うことが真実。思い込みが真実を見えなくしているので」。
- 感情を適切に表現する。書く、本人に伝える、上司に伝えてもらう、など。
- 自分自身であれ。自分がやりたいことを自分で見つけて実行できれば、他人を巻き込まないで済む。
- 他人のことは、その人にしか直せないのだから、巻き込まれないように、自衛せよ。
無意識と意識下の違い。
熱が39℃ある時、人はトレーニングをしない。しかし、憂鬱になっていても、明るく振る舞ったり無理して背負い込んだりする。心と体の病で決定的に違うことは、自覚があるかどうか。自分が今弱っていると、認識できるかどうか。心の病には、無意識下に存在している過去の傷、それによる思い込み、信念が関係していることが多い。それは、目に見えないし意識されないので、気づかれにくい。だから深刻なのである…。
なぜ、不幸にしか見えない道を手放せない人がいるのか
人が不幸にしがみつく力は凄まじい。それは、人は幸福より安心を求めるから。今ある不幸な状況は、予定調和でもあるから、安心ではある。予知できるから。幸福になれるかどうかわからない不安な道を行くくらいなら、不幸にしがみつくという、無意識下での選択も働いているのかもしれない。
人は、本能的に孤立を避ける。だから、孤独でいるよりは、ひどい扱いをしてくる人でも、離れられない。一緒にいることを望む。小さな子供でも、一人で遊ぶよりは、嫌いな子と一緒に遊ぶことを選び、最後にはボロボロになっていく。それくらい、孤立と追放を恐れるのは、人を駆り立てる強い心理である。
自分の気持ちを抑圧せず、どんなドロドロした感情でも、その存在を認めること
「親のことが嫌いだ」というのが本心としてあるとする。「親は素晴らしい、私は理想の家庭で育った」と、自分に嘘をつくと心を病む。正直な気持ちを抑圧してしまい、自分自身を生きることができなくなるから。「親のことは嫌いだけど、人として親切にしよう」とするのが、自分を失わない、大人の対応である。
心の奥底にある怒りを認めるのはあまりに深刻で、恐怖ですらある。だから認めない人が多い。だから、理由もわからないままに苦しんで苦しんでもがく。自分の怒り・憎悪は、誰それに向けられたものである、という真実を認めず苦しんで、傍から見ると、「死んでも不幸を手放しません」とはっきり表明しているように見える。
自分の本心に気が付き、見たくない真実を見ることができると、成長する→すると、エネルギーが湧いてくる→乗り越えられる。
悩みは、矛先の「置き換え」で表される
本当に怒りを感じている相手には対決するのが難しいため、いじめやすい人、怒りの矛先を向けやすい人に怒りをぶつける。それも、状況に見合わない、不相応なほどの怒りを。
【例】子供の、親に対しての怒り→親にはぶつけられないため、残酷な小説を書く、クラスメイトをいじめる、人種的偏見に賛同する、など。【例】配偶者への怒り→配偶者には直接ぶつけられないため、子ども、子どもの友達、その親、周囲の優しい人、などに怒る。【例】外の人への怒り→外の人にはぶつけられないため、家庭の中に攻撃性を向ける。
ずっと怒っていると、その相手を責めることを自分で正当化するようになり、ますます怒りがたまる。でも、置き換えでは本当の癒やしは得られないし、自分の怒りの根本解決にはならない。弱い人にどうしても矛先が行くので、自衛するしかない!
ACE性格とは、自分の感情に注目Attendし、原因を理解しConnect、表現できるExpress人。怒りを消し去り、悩みを解決する。表現というのは何も、本人に対してでなくても、友人に話すでも、紙に書き出すでもよい。日頃から自分の気持を分析し書き出していると、相手に対してもきちんと自分を伝えることができるようになる。
依存したいけど自立したい の葛藤
依存的敵対関係=人間関係依存症=お互いに相手を拒絶しながら、相手にしがみついている「依存」の状態。両者ともに自我の自立がない。【例】「俺は皆に嫌われたい」と不自然に言っている人ー本当は、血の通った人間関係を作りたい、でもそれを表現できない。(「キック・ミー」のゲームのよう)
愛情に満ちた家庭に育たなかった子供は、未だに、満たされていない愛情欲求を抱える。体は大人でも、心は幼児、ということがありうる。しかも、頭脳や社会的地位もあるので、素直に、「愛してくれ」「助けてくれ」とは言わず、身近な人を叱責する態度になる。倫理的、世間的、常識的にXXという、隠れ蓑を被せて。「おまえは世間知らずだ」などというように。その実、心のなかでは、「どうしてそんな怖い態度を取るのだ。おまえまで俺の味方じゃなくなるのか。そんなことないよな。」と思っているのに、そういう気持ちがあることも理解できず、それを素直に表現することもできない。なぜか、理由のわからないもやもやを晴らそうと、手当たり次第に八つ当たりしているだけ。これは本当につらい。日本人の男性には、そういう人が本当に多いそうなのだ。
嫌われたくない=常に相手に嫌われないように尽くしすぎる。相手が自分に好意を持っていると思える証拠をいつも探しているのは、保護と安全への欲求。いつも「愛してくれるよね?」「愛してよ!」となると、周りも、最初はいいかもしれないが最後はうんざりしてきて好意を失う。皮肉なことに…。
相手との関係が壊れることを恐れるために、怒りを直接表現できない=軽い不安感と抑うつ状態。
【例】今付き合っている人との関係がスムーズにいかなくても、改善しようとせず、かといって別れようともしない。心理的に依存しているから、自発的に関係を改善する努力ができない。
巻き込まれないように…安全距離を取って接したほうがいい人かどうか見極める
人は、自分を愛し尊重する程度にしか、他人を愛し尊重することはできない。
他人に「絡む」ことによってしか、自分の人生を活性化出来ず、他人を巻き込むしかない人もいる。 【例】子供にしがみつき、子供から愛を搾取しながら、自分は子供を尊重していると思っている親。自分の無意識にある「無意味感」から目を背けるために他人を世話し、自分の人生に意味を感じようとしている。
相手への関心がないとき、自分のいいと思うことを押し付けて、その上相手に感謝を要求する。押し付けがましい親は、子供を不幸にしている。相手に関心があれば、相手が何を求めているか、何を喜ぶかがわかるはず。自分の無価値感を満たすことに精一杯で、相手のためになることをしようという心理的余裕がない。だから、自分の価値を守るために他人を巻き込んでいる。
やりたいことをするのは良いが、自分が「やりたい」と言ってしていない人もいる。周りのせいにして自分のしたいことをしている。それは傷を負いたくない弱い人であり、それを隠そうとしている。本当の自分を出せ、というアドバイス。
彼らが、満たされない欲求に気づき自分を改善するか、したいと思うかは彼らの問題。だから、巻き込まれそうになったら自衛すべし…。
デイヴィッド・シーベリー「自分自身でありえないなら、悪魔になったほうがましだ」
ロロ・メイ「仲間に対する最大の使命は、自分自身であること」
子供の健全な成長のために…
「自分がなりたい人間」をはっきりさせることができた子供は幸せ。あとはそれに向かって行動を起こしていくだけで、他人を巻き込んで自分の人生を活性化させる必要もない。親は、それをただ見守ればいい。
子供を健全に励ますには、やろうとする熱意をまず認めること。「何とか解こうとする力ってすごいね」やった努力を認め、励ますこと。結果ではなく。「先週寝なかったね、今週も寝なかったら、次の問題に進めるからね」。失敗を受け入れること。「お母さんなんか、もっとおねしょをしてたわよ」 なんで出来ないの、は、単に親の期待が高すぎて、現実を受け入れられていないだけ。受け入れられていない、ということに気づかず、「あなたのため」と言ってスパルタしてくるような親は、前述の通り、自分のくすぶった感情の矛先を安易に子供に向けているだけである! 子育てには忍耐強さ、寛容さ、自分自身を受け入れた穏やかな心、が絶対的に必要だ…
励まされて生きてきて、初めて、共同体感覚を持つことができる。つまり、心が他人と繋がっている状態でいられる。だから劣等感とは、所属意識の欠如である。
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こういう本を読んで毎回思うけど、幼少期の親との関係がどれほど重要かわかる。心が痛いです。あーー 生理的にも精神的にも未熟で周りに頼らないと生きていけない状態で生まれてくるヒトの、悲劇よ…という感じ。
9.18.2024
自己主張、と、そこまで気張らなくてもいいかもしれないのに、という話。Self-assersion, or the avoidance of it
9.17.2024
京都鉄道博物館 Kyoto Railway Museum
9.12.2024
ほんまもんの栗きんとん
9.11.2024
相手本位と見せかけた、自分本位
最近、自分の自我、過去、心理状態を分析していて、自分ばかり見ております…。
関心が内面に内面に向かっていて、自身の一挙手一投足に注意が行き過ぎて、自意識過剰ぎみになっている? と、気づきました笑
自分を分析して自分を見ている
ということは結局、
いかに自分を満たすかを考えている
ということなので。それももちろん大事なのですが、相手ファースト目線は常に持っておくように意識したいと思います。
というのも、自分に注意が向きすぎると、相手に対して「この人は私をどうやって満たしてくれるのか?」のマインドになりがちなので。
与え、与えられる関係でいたいものです。
「この人は何をしてあげたら喜ぶか」という相手目線を持ちたいです。それは、自分の心情は脇において、相手が喜ぶことをしよう、という相手の幸せ→私の幸せ です。
それは、単なる「私はこの人に何をしてあげられるか」とはちょっと違うんですよね。
なぜかというと、自分がしてあげられること、自分がいいと思うことしかしないという、自分が主体のニュアンスがある気がするからです。
もちろん、「相手が喜んでくれることはこれとこれで、私ができるのはそのうちのこれ」、という風にもなるとは思うのですが。
難しいですが、結局、相手目線が大事ということです。
私も昔は、自分が好きな猫グッズとかを、その人が猫が好きかどうかはあまり考えず、プレゼントにあげていたりして。
それは今考えると、「自分がいいと思うものを共有したい、分かってもらいたい」という欲求で、その欲求に相手のため(プレゼント)という仮面を被せていたんですねー
共有したいなら素直に言えばいいのに。思いも至らなかった。
でもその時、無意識では、自信のなさと今までの経験から、「自分の好きなものになんて、相手は興味ないだろう、聞いてくれないだろう、だからプレゼントの仮面を被せなければならない」、と思っていたのかもしれない。
「『あなたのためを思って』、と言っていろいろ言ってくる・してくる人は、実は自分の欲求をカムフラージュしているだけのことが多い」という、社会・心理学者、加藤諦三さんの言に思い至りました。
9.10.2024
カップヌードルミュージアム
9.09.2024
「わかりやすい交流分析」/中村和子・杉田峰康 2
脚本:幼児期の親との関わり、その後の人生体験によって作られる。「自分はこう生きるはずだ・べきだ」。人生の重要な局面の決断・行動を決定するような大きな影響を持つ。破壊的な脚本は、幼少期の親のCからの非建設的なメッセージに従おうと決めた際にできる。ドラマチック、急展開、悲劇的な結末となる。それに対して、成功者の脚本は、自分のゴールを自分で決め、それに向かって全力を尽くし、成し遂げる。養育的Pに基づく。人生に満足している。TAは、人々が、成功者の脚本を基に生きることを援助する。
「大事なものは手に入らない」という脚本を持っている人は、いざ自分の欲しい物が手に入るチャンスが来ても、「そんなはずない、自分には相応しくない」と思って、自ら遠ざけてしまう。
「自分は周りに大事にされない」という脚本を持っている人は、大事にしてくれそうな、自分を愛してくれそうな人には距離を置き、自分を蔑ろにする人についていく。「ああ、このひどい扱いこそ自分にふさわしい」とホッとするかのように、傷つけられてどこかで安心している。
私も昔、本当にやりたいことには踏み出さず、やりたいとも言わず、苦労すると分かっている道をわざわざ選んだりしたことがありましたが、背景には、「自分にはやりたいことをやる資格はない、茨の道こそ自分にお似合い」という脚本(思い込み、自己暗示、諦めともいう…)があったからかと、思い至りました…
その時、自分ではそんな自作自演の脚本だとか露ほども思っていなくて、純粋に、運命に身を委ねていた、人生なんてそんなもんだ、と投げていた、変に大人ぶった顔をして。
で、そこから十数年。
9.08.2024
「わかりやすい交流分析」/中村和子・杉田峰康 1
心理学、自分の心、状態を客観的に見られるようになって、じゃあどうすればいいのかもわかって、とても充実!!もっと早く知りたかったと思うことばかり。分析屋にはたまらない。
交流分析は、人と人の交流、やり取りをパターン化し、なぜそのやり取りが起こるかの背景を説明しようとする。
自我状態は3つあり、P親、A大人、C子ども。さらに、PはCP批判的な親とNP養育的な親に、子供はFC自由な子供と、AC順応した子供に分けられる。
人と人との交流は、一方の人のある自我状態からのメッセージが、他方の人のある自我状態に向けられる。A→A、大人同士の論理的なやり取り、P→C、大人から子供へ、先輩から後輩へのような。など。C→A、甘え。
構え 自分と他人に対してOKと思っているかどうかで、4つの組み合わせがある。幼少期の親との関わり、愛情が与えられたかどうかで決まる。OKであるとは、生きる価値がある、素晴らしい、愛される価値がある、成し遂げられる、ということ。自分もOK、他人もOKという構えの人は、共感と信頼に基づいた血の通った交流が可能だが、この理想の構えを持つように育つことは稀で、大人になって自己訓練して身につける必要があることが殆どである。
ストロークは、言葉がけ、スキンシップ、愛撫など、特に幼児の発達に必要不可欠な生物学的刺激。肯定的、承認的な陽性のストロークと、傷つけ、困惑させ、怒りを誘う陰性のストロークがある。陽性のストロークをあまり受けずに育った人は、ストロークがほしいが上手くできないため、歪んだ形で陰性のストロークを出してしまう。
ゲームは、遊びの楽しいゲームではなく、裏面的交流(発せられた表向きのメッセージとは別の、隠された裏のメッセージがある)が、定型化して、繰り返されるもので、劇的な結末(一方あるいは両者が怒る、傷つく、欲求不満になるなど)を迎える。
思えば、こういうやり取りをずっと延々と繰り返している人がいる。このようなゲームに巻き込まれると不要に消耗するので、巻き込まれそうになったら毅然と距離を取って、冷静に、「あなたならどうしますか」、と、相手に考えさせること、だそう…。
- 「はい、でも」 自己肯定・他者否定。自分は親の思い通りにはならないという復讐心の表明。
- あら探し 自己肯定・他者否定。
- 「キック・ミー(私を嫌ってくれ)」自己否定・他者肯定。他者にひどいことをする。が、自分は被害者とも思っている。自分はOKでないことを確認したい。
- 苦労性 自己否定。キャパ以上に引き受け、パンクすることを分かっていながらパンクする。「どれだけやっても私はダメ」
- 「ひどいもんだ」(大騒ぎ) 大騒ぎすることで注目、愛情を得たい。
- 仲間割れ(させる) 「他人はOKでない」を証明したい。
- 決裂 おまえはOKでない、とお互い思っている人同士、物別れになる。
- 「あなたを何とかしてあげたいだけなんだ」 自分になにかできることを証明したい。
- 精神療法 「医者が無能だということを証明してやろう」という強迫的信念をもった患者が、医者と水掛け論になる。
- 義足 「私は頭が悪いのです」 「私はこんな親に育てられたんです、まともになるわけがないでしょう」自分の弱点に言い訳をし、向き合わず、責任転嫁する。他者否定。
相手を消耗させ、イライラさせることで、一時的に歪んだ欲求が満たされたとしても、またすぐストロークが欲しくなり、同じゲームを繰り返してしまう。ゲームのカモとなる人も、弱点(患者を治したいとう強迫観念や、あらゆる人と仲良くならなければいけない、という強迫観念を持っている人など)を持っており、そこにつけ込まれることになる…。