9.11.2024

相手本位と見せかけた、自分本位

最近、自分の自我、過去、心理状態を分析していて、自分ばかり見ております…。

関心が内面に内面に向かっていて、自身の一挙手一投足に注意が行き過ぎて、自意識過剰ぎみになっている? と、気づきました笑

自分を分析して自分を見ている

ということは結局、

いかに自分を満たすかを考えている

ということなので。それももちろん大事なのですが、相手ファースト目線は常に持っておくように意識したいと思います。


というのも、自分に注意が向きすぎると、相手に対して「この人は私をどうやって満たしてくれるのか?」のマインドになりがちなので。

与え、与えられる関係でいたいものです。

この人は何をしてあげたら喜ぶか」という相手目線を持ちたいです。それは、自分の心情は脇において、相手が喜ぶことをしよう、という相手の幸せ→私の幸せ です。


それは、単なる「私はこの人に何をしてあげられるか」とはちょっと違うんですよね。


なぜかというと、自分がしてあげられること、自分がいいと思うことしかしないという、自分が主体のニュアンスがある気がするからです。


もちろん、「相手が喜んでくれることはこれとこれで、私ができるのはそのうちのこれ」、という風にもなるとは思うのですが。

難しいですが、結局、相手目線が大事ということです。


私も昔は、自分が好きな猫グッズとかを、その人が猫が好きかどうかはあまり考えず、プレゼントにあげていたりして。

それは今考えると、「自分がいいと思うものを共有したい、分かってもらいたい」という欲求で、その欲求に相手のため(プレゼント)という仮面を被せていたんですねー


共有したいなら素直に言えばいいのに。思いも至らなかった。


でもその時、無意識では、自信のなさと今までの経験から、「自分の好きなものになんて、相手は興味ないだろう、聞いてくれないだろう、だからプレゼントの仮面を被せなければならない」、と思っていたのかもしれない。

「『あなたのためを思って』、と言っていろいろ言ってくる・してくる人は、実は自分の欲求をカムフラージュしているだけのことが多い」という、社会・心理学者、加藤諦三さんの言に思い至りました。


でもやっぱり猫はかわいい笑

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