11.11.2018

文化の違い論

日米文化の違いを語る機会があった。
個人主義、周りを気にするかしないか、自分がしたいかしたくないかの基準で動くかどうか、などなど。

「ああいう服装をしてる人を見たことあるけど、あれはいいの?」というのは、誰に対して、何に対していいの?と問うているのか。なにしていいとかわるいとか、一般的にどう思われるか、とアメリカ人に聞いても、たいてい答えはいつも、「ひとによる」。両極端がいる。一般論は出しにくい。みんな考え方が違うのが当たり前だから。細かい物事を気にするアメリカ人も確かに存在する。その度合いは日本人と同じくらいなことも。

毎回違う彼女をパーティに連れてくる人。周りは毎回違うね、と言うかもしれないけどその場限りだし、それはその人の問題だから。親しい友達なら忠告するかもしれない。でも、何をするのもその人の選んだこと。だからその人の責任。ボスでも同じ。仕事さえきちんとすれば、プライベートは関係ない。毎回彼女が違う、ということを気にするような人がボスだったら、ボスのパーティには彼女は連れてこない。

自由でみんな違うことが前提なのは楽だけど、日本人は決まりを守るし、いつもお手本を探している。したいかしたくないかではなくて、しないといけないかそうでないかを考える。だから秩序がある。清潔さとか列に並ぶとか勤勉だとか。どういう文化にも一長一短ある。 

アメリカでは何でも自分から動かないといけない。高校で、大学出願のことを誰も(先生も)教えてくれなかったので、いろんな人に聞きまくった。先生は、君ら大人だから出願自分で頑張れよーという感じ。それとは対照的に、中学で先生が面談してくれたことを覚えている。とのこと。日本のある私立大学の事務の方によると、どうやって退学者の人数を減らすかというのが課題として上がるけれど、こちらの考え方は、大人だから退学も彼らの自由。カウンセリングなどのサービスは提供するけど、最終的にどうするかは本人の問題、という考え方。また入学者たくさん入ってくるし、というのもあるけれど。

日本では、大人も子供も、1から10まで教えられる。それがルールを守り、大人になっても行動規範を探す性質につながる。いたれりつくせりというかサービス過剰というか…。日本で働くシンガポールの友人は、「何もかも丁寧な手順が示されて、ばかとして扱われてるみたい」との感想。確かに仕事のマニュアルが5歳児にもわかるように書かれていることもある。でもそれは誰がやっても同じクオリティの仕事にするという意味では意義があるんだよ、とも思うが。アメリカのように、店員によって対応が違うのは納得いかないし、担当者によって仕事のやり方が違ったら、その会社の何を信じれば良いのか。

自由のありがたみを知るのは、まず比較的束縛された状態から解放されて、しばらく路頭に迷って、それから自分で自由に物事を決められる=自分で自分の人生をよりコントロールできるようになって、そこからだと感じる。

セミナーでも勉強会でもイベントでも、行きなさいと誰かが言ってくるわけではない。そこに行くメリットがあると思うから行く。そういう考え方を真に理解して応用できるようになってからこそ、本当に自分が必要なものを真剣に考えるようになる。そういったことに気づけただけでもすごい収穫だと思う。海外に行く研究者が減っているとニュースで見たけれど、万難を排して、ぜひ機会を見つけて行ってください!と言いたい。


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