3.22.2010

Car

Finally decided a car to buy... The color is pale green, my favorite color. It was sold in a second-hand car shop but it's almost new. It means the car works as well as a new one but its price is also almost as high as a new one... My life has been destined to start with a lot of debts. Wow..

British pub

I went to a British pub and had a great dinner there. Since I won a 2000 yen coupon, it was pretty cheap. Tandory chicken and nachos were really nice. The pub was full of people and most of them seemed to be from the UK. They were celebrating saint Patrick's day. Tasty〜

3.21.2010

食料自給率

食料自給率をカロリーベースで50%に改善するという政府目標が発表された。(日本経済新聞、3月20日)

 まず考慮すべきなのが、カロリーベースの食料自給率にどの程度意味があるのか、それは本当に低いのかということである。カロリーベースの自給率は、国内生産カロリー/国内消費カロリーX100で表されている。国内消費カロリーは、国内供給カロリー、輸入供給カロリー、廃棄食品カロリーの総和であり、摂取カロリーではない。つまり廃棄カロリーを減少させれば自給率は向上する。

 また、食物のカロリーは一様でない。野菜や果実に比べ、穀物や畜産物、油脂類のカロリーが高いため、カロリーベースの自給率はこれらカロリーの高い食品の影響を強く受ける。そのため生産高ベースの食糧自給率も算出されており、日本は70%である。

 問題なのは、農業者の高齢化と、食と農の乖離、そして大量の食品廃棄であると考える。農業者のうち60%以上が65歳以上であるという。農家の所得が低いことが若者離れの原因となっており、過疎化と表裏一体をなしている。農業者の所得は時給に直すとわずか231円である。しかし、民主党の掲げるような赤字補填政策では、生産を増やそうと努力する農家の気力をそぐことになるだろう。日本には赤字農家があふれ、生産回復とはまったく逆の結果に終わるかもしれない。

 農家の厳しい状況を、都会に住む消費者が意識する機会がほとんどないのも、安価な輸入食品が好まれる一因であろうと考えられる。食の外部化、サービス化によって均一、安価、大量の食材が求められるようになり、輸入品が国産品に取って代わるようになった。それは、安い物を求める消費者に原因がある。安い物を求める消費者は、日本の農業者の苦労を省みることはない。食べ物とはコンビニエンスストアやレストランでいつでも手に入るものであり、それが土の上で手間をかけて生産されているとか、生きた動物であったことなどが意識に上ることはめったにない。

 一方で、農産物直売所の数がコンビニエンスストア最大手の店舗数を上回ったとの記事もあった。輸送コストが抑えられることから、安い輸入品とも競合できる価格で農産物を販売しているという。消費者と生産者の距離がきわめて近いため、国産の食材を選ぶことの意義を消費者にわかってもらえるのではないだろうか。

 食物は年間900万トンが廃棄されており、これは国内の穀物総生産量とほぼ等しい。このような事実は看過してよいものではなく、自給率を論ずるならば第一に改善すべきである。世界の飢餓人口は9億人といわれるいっぽうで、世界で生産される食料の合計は地球の総人口をゆうに養えるものであるといわれている。つまり分配の問題なのである。そして、輸入量と廃棄量の数値は、日本が食糧を必要以上に集めている国だということを示唆している。宴会や宿泊施設などで大量に残されている食事を減少させる努力もおこなわなければならない。それに対しても、消費者に期待される役割は大きい。食事は豪勢であまるほどなのが良いという考えを改め、適切な量を提供する施設を選んで利用することによって、それを支持することができる。食料自給率を問題として提起するのならば、その改善は、農業者だけの課題ではなく、農産物を消費する側の人々も関わらなければならないということを消費者に啓発していくのも、政府の役割である。

3.17.2010

Seafood dinner2

Tempura of Japanese whitings, light-fried asparagus, steamed clams and sushi... I've never eaton so many kinds of seafood at one time. And each of them are scrumptious )^o^(

The dessert, French toast was excellent. Since we ate French toast in a different restaurant and liked it so much, it is a must-have for us. And they never ran counter to our expectation. The thick slice of bread absorbed the eggs much, which made it soft and juicy. Making French toast is not that difficult so I'll try cook one by myself probably on weekend...

Thank you very tsuruno san for being a organizer, navigator and the sponsor!!

Seafood dinner!

After cleaning the lab throughly from 10 to 5, I went out for dinner with 3 people in our lab. We there had a great seafood, sushi and dessert! Everything was so tasty and fresh. Even an appetizer they served living shrimps being grilled on fire. I felt sorry for those shrimps but they were delicious. It clearly shows us that food was once a living animal and so we should not waste it.

All the sashimi were so nice as well. Tuna and sea bream tasted best! Actually many of them were ranked as No.1!!

3.13.2010

Graduation thesis

I finally submitted my graduation paper with 111 pages in total. It took me 2 weeks!! What a tiring job... it really exhausted my eyes. Even though many of my ex-classmates are already enjoying their spring holidays, we still have to finish writing.

In a week my paper will come back with huge amount of correction and I will rewrite it before the final deadline, which falls on 24th, just the day before the graduation ceremony! I knew what it really means to be a university student.

I wrote everything in English, that's one of the reason it took some extra time. Since graduation thesis and master's thesis should function as a laboratory protocol, we have to explain the experimental procedure one by one, which was difficult for me. But I found it very interesting to do so by looking for a protocol written in English and modifying it to fit my own. Even though it was tiring, I never felt bored or reluctant to writing, and translating, sometimes. I felt that this is the kind of work I am looking for, and I would be able to satisfy myself with.

I would like to thank all of my friends and coworkers for helping me to write, and express my sincere gratitude to my professor for reviewing my thesis and correcting it in English, which takes a lot of time. (Actually writing the acknowledgement, the final part of the thesis, really makes you be on cloud nine. You will have the great feeling of achievement, and profound thanks to everybody.)

書を読むと書いて読書

――読書をするメリットとは??
ひとつには語彙の増強が図れること、そしてさまざまな知識を得られること、が挙げられる。読書により大量の説明文や文学的表現に触れると、それらの言葉を自分の言葉として再構築することが可能となる。つまり語彙が増加することになり、それは物事を表現する言葉の選択肢が増えるということである。そのため、より適切な表現・説明が行える。たとえば「盗作」を「剽窃」と表現できるのと「パクリ」としか言えないのとでは、与える印象がまったく異なる。読書はまた、あらゆる分野における情報源である。学術的知識はいうまでもなく、小説についても、主人公を通して疑似体験することで、さまざまな物事を知ることができ感性も豊かになる。ノンフィクションでは現在の社会問題を把握することができ、身の回りだけでなく世界の状況を認識することが可能となる。それは狭い世界に閉じこもらず、広い視野と客観的な視点を保つために重要である。

――読書をするデメリットとは??
読書をするデメリットは、特に考えつかない。読書に重大な欠点がもしあれば、学校にしろ社会にしろ、これほど読書が奨励されることはないだろう。しかし、読書を単に「ある特定の情報を得るための手段」としてとらえるならば、「時間がかかる」という欠点があげられる。出版されている膨大な数の書籍から、自分の必要とする情報を探し出すのには手間と時間を要する。人に聞いたほうが早い場合、読書は不利である。また、「読書」に漫画やインターネットの掲示板などまで含めてしまうのならば、それらの中に散見される乱暴な言葉遣いや暴力的なシーンなどが子供に悪影響を与える可能性は十分に考えられる。

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読書について書く機会があったので…。

「風に舞い上がるビニールシート」/森絵都

東京の国連日本支部で働くリカと、その恋人エドの物語である。フィールド隊員であるエドは、紛争地域や災害地域に赴いて字際に援助活動を行っているため、日本に戻るのは毎年数週間である。フィールド活動には危険も伴うため不安であるし、エドと一緒にいる時間がもっとほしいとリカは望み、しばらくの東京勤務をエドに勧めるが、エドは断ってしまう。助けを必要としている人がいるのに、自分だけ平和な日本に安住することはできないと考えるからだ。エドの志は高潔で、このような人がいなければ世界はもっと悲惨なことになるだろう。しかし、リカの気持ちもよく理解できる。恋人と一緒にいたい、危険な地域に行かないでほしいと望むのは当然である。本当に仕事を使命として全うしようとすると、ほかのものをすべて犠牲にしてしまう。しかし、大切な人にさびしい思いをさせたくない、しかし、援助を必要としている人たちがいる……何度も何度も、しかし、しかし、と考える。世界の切迫した状況と、それに立ち向かう人の人生と幸せについて、深く考えさせられた。

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感想文、2。

「八甲田山死の彷徨」/新田次郎

 かつて日本は侵略戦争へと突き進み、国内外において多大な犠牲者を出した。しかし現在の日本に暮らしていると、過去に悲惨な戦争が起き、八甲田山遭難事件のような人間実験も行われたと知っても、現実味はわかない。現在とは状況がかなり異なる「八甲田山遭難事件」から得られる教訓があるとすれば、それは組織と個人に関することである。

 「八甲田山遭難事件」が起こった当初、軍部首脳陣は、日本軍に不十分な装備しかないにも関わらず、ロシアとの戦争を前に浮き足立っていた。元寇以来受け継がれた、何かあれば神風が吹くという思想が健在であった。そして国民も、第二次世界大戦中ほどではないにせよ、一丸となって戦争に協力することを迫られた。国民を納得させ戦争へ動員するために、軍部ではより極端な思想がはびこっていた。民衆の反乱が起これば、鎮圧するのは軍隊である。民衆の主張が正しいと兵に認識させてはいけない。軍隊は、より強固で極端な教育によって兵員を洗脳する必要があった。このような状況こそが、八甲田山での雪中行軍という無謀な計画が立案され、全滅に近い犠牲者を出した背景である。

 日本軍はひとつの組織であり、将校から士卒まで一人ひとりがその構成員である。階級によって厳然とした権力の差があり、待遇の差があり、そしてそれは当事者にとって当たり前であった。少なくとも、当たり前と感じるように教育されていた。現在の感覚からすると理不尽であると感じられるようなことも少なくない。また日本軍を第三者の視点から監視するような機構は存在しなかったため、組織が閉鎖的になっていた。このような状況下で、日本軍部内にいると、何が普通で何がそうでないのか、感覚が鈍ってくるのはむしろ当然である。普段当たり前のように不正が行われており、それを指摘する人間がいなくなった、という報道は枚挙に暇がない。雪中行軍が無謀だと考える者は確かにいた。しかし、上層部が決行すると決めれば、それはもう決定事項になってしまう。五番隊の雪中行軍に関しても、行程の初めは順調に進み、徐々に遭難の様相を呈してきたというから、引き返すことはできたはずである。事実、退却を進言した者もいたが、それを退けたのが上層部である。彼らは兵卒に比して充実した防寒装備を有しており、兵卒の置かれた苛酷な状況を勘案しなかった。そして、過信とプライドによって間違った決断を下してしまった。冬山という特殊な状況下で、過度の疲労により通常の精神状態でなかったことも大きい。理性を失って下した判断は、のちのち失敗しやすい。論理的な根拠に乏しいからである。よい上司は、決断に際しその理由を説明できなければならない。感情に基づいた決定をすべきではない。組織の長として、全員の運命を背負うという責任がある。しかし不幸なことは、進退窮まった状況においては、理性を失ったと自分で知るすべがないことである。どうすべきかを普段は知っていても、いざその局面になったときその理想的な判断がくだせないということは日常生活でもよく経験する。何が正しかったのか、のちのちにならないとわからないことも多い。しかし、このような教訓を各個人が心にとどめておくことこそが、組織が閉鎖的になり誤った方向へ進んでしまうのを防ぐ手段となる。その当時に生きていると、時代の趨勢を客観的に見られない。しかし、そのことを知っていれば、少なくとも客観的に見ようとすることはできる。構成員一人ひとりのそのような姿勢が、健全な組織をつくるための鍵である。

 悲しいことには、八甲田山での生存者も、わずか二年後の日露戦争で凍死者と同じ場所へ旅立った。この事実が戦争に伴う深い悲しみとやるせなさを物語っている。


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感想文を書く機会があったので…。読んだことある方いるかしら。