3.13.2010

「八甲田山死の彷徨」/新田次郎

 かつて日本は侵略戦争へと突き進み、国内外において多大な犠牲者を出した。しかし現在の日本に暮らしていると、過去に悲惨な戦争が起き、八甲田山遭難事件のような人間実験も行われたと知っても、現実味はわかない。現在とは状況がかなり異なる「八甲田山遭難事件」から得られる教訓があるとすれば、それは組織と個人に関することである。

 「八甲田山遭難事件」が起こった当初、軍部首脳陣は、日本軍に不十分な装備しかないにも関わらず、ロシアとの戦争を前に浮き足立っていた。元寇以来受け継がれた、何かあれば神風が吹くという思想が健在であった。そして国民も、第二次世界大戦中ほどではないにせよ、一丸となって戦争に協力することを迫られた。国民を納得させ戦争へ動員するために、軍部ではより極端な思想がはびこっていた。民衆の反乱が起これば、鎮圧するのは軍隊である。民衆の主張が正しいと兵に認識させてはいけない。軍隊は、より強固で極端な教育によって兵員を洗脳する必要があった。このような状況こそが、八甲田山での雪中行軍という無謀な計画が立案され、全滅に近い犠牲者を出した背景である。

 日本軍はひとつの組織であり、将校から士卒まで一人ひとりがその構成員である。階級によって厳然とした権力の差があり、待遇の差があり、そしてそれは当事者にとって当たり前であった。少なくとも、当たり前と感じるように教育されていた。現在の感覚からすると理不尽であると感じられるようなことも少なくない。また日本軍を第三者の視点から監視するような機構は存在しなかったため、組織が閉鎖的になっていた。このような状況下で、日本軍部内にいると、何が普通で何がそうでないのか、感覚が鈍ってくるのはむしろ当然である。普段当たり前のように不正が行われており、それを指摘する人間がいなくなった、という報道は枚挙に暇がない。雪中行軍が無謀だと考える者は確かにいた。しかし、上層部が決行すると決めれば、それはもう決定事項になってしまう。五番隊の雪中行軍に関しても、行程の初めは順調に進み、徐々に遭難の様相を呈してきたというから、引き返すことはできたはずである。事実、退却を進言した者もいたが、それを退けたのが上層部である。彼らは兵卒に比して充実した防寒装備を有しており、兵卒の置かれた苛酷な状況を勘案しなかった。そして、過信とプライドによって間違った決断を下してしまった。冬山という特殊な状況下で、過度の疲労により通常の精神状態でなかったことも大きい。理性を失って下した判断は、のちのち失敗しやすい。論理的な根拠に乏しいからである。よい上司は、決断に際しその理由を説明できなければならない。感情に基づいた決定をすべきではない。組織の長として、全員の運命を背負うという責任がある。しかし不幸なことは、進退窮まった状況においては、理性を失ったと自分で知るすべがないことである。どうすべきかを普段は知っていても、いざその局面になったときその理想的な判断がくだせないということは日常生活でもよく経験する。何が正しかったのか、のちのちにならないとわからないことも多い。しかし、このような教訓を各個人が心にとどめておくことこそが、組織が閉鎖的になり誤った方向へ進んでしまうのを防ぐ手段となる。その当時に生きていると、時代の趨勢を客観的に見られない。しかし、そのことを知っていれば、少なくとも客観的に見ようとすることはできる。構成員一人ひとりのそのような姿勢が、健全な組織をつくるための鍵である。

 悲しいことには、八甲田山での生存者も、わずか二年後の日露戦争で凍死者と同じ場所へ旅立った。この事実が戦争に伴う深い悲しみとやるせなさを物語っている。


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感想文を書く機会があったので…。読んだことある方いるかしら。

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