4.30.2015

時は人生なり

もう会議やセミナーやミーティングが多くて多くて、出なくていいものはできるだけ出ないようにしている。一日に2回も3回もそんな集まりがあっては、何もできない。実験しに来てるのに、それが仕事なのに、それが妨げられるようで良いのか?「出なくていい」の基準が曖昧だが、とどのつまり、自分が発表者でなければ絶対的な必要性はない、と思っている。今日も会議欠席したのに、7時までかかった。フルで会議出ていたら…9時コースか。

有益な話を聞けるならまだ価値があるが、時に、どうでもいいような内容を時間を全く気にせずに「自分の気の済むまで話して、みんなは黙って聞いていて当然」といわんばかりに喋る人がいる。たまったものではない。皮肉なことに、話が長くなればなるほど、誰も聞いていない。

話すのは快感なのだろうか。人が黙って聞いている、そこに優越感を覚えるのだろうか? (実際、人々は黙ってはいるが注意を払っているとは限らない。)私は話すのが苦手なので理解できない…注目を浴びるのも居心地悪いし、人の時間を取って申し訳ないと思い、一刻も早く終わらせたいと思う方。

ともかくも、そんなだらだら長くてまとまっていない話し手が多すぎる…。私的なおしゃべりなら延々と続けていても楽しいが、やること山積みの、時間との戦いの日にそんなことがあるとイライラしかつのらない。

この間、オフィスを効率的にするなんとかというTED Talkの動画を見ていたら、「10人で1時間のミーティングをするなら、それは1時間とカウントされるべきではない。10時間としてカウントするべきだ。それだけ、人の時間を奪っているのだ。」と言っていた! その通り~~!!

時間というのはつまり人生なわけで、そんな貴重なものを無制限に人から奪っていいわけはない。

今回の研究プロジェクトの打ち合わせでも、教授とポスドクが120株再試験するか、87株に絞って再試験するかを議論していて、「87株で再現性が出なかったらどうする」「120株するとなると7か月かかる。Lilyの人生の7か月を使っていいのか?」といったやり取りがされていた。その時、そうか、時間って人生なんだ、とはっとした。一日でも一時間でも、自分の人生の一部なんだ。何をするか、よくよく考えないと。無駄には使えない。



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