11.20.2023

「人間関係に役立つ傾聴」 / 小宮昇


傾聴の本質 = 相手のことを、相手の身になって共感的に理解し、その理解を言葉で返す。

基盤 = そのままの相手を尊重する。そのままの相手を大切に感じて受け入れる。

傾聴とは、人間関係を通して互いに影響を与え合い、成長しあう営み。

傾聴を通じて、話し手と聴き手の間に癒しと成長を促す人間関係が育ち、その中で話し手も聴き手も互いに影響しあいながら変わっていく。

すなわち傾聴とは相手を大切にする、愛情表現のひとつ。癒しと成長を促す人間関係の、潤滑剤、燃料のようなもの。

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ほとんど全ての子供たちが、「ありのままの本当の自分自身でいては愛されない」と感じて育ち、それが「人からどう思われているか気になる」「自分は何をしたいのかわからない」「自分の気持ちが分からない」ということになる。学歴偏重、コンプレックス、劣等感、人を見下す態度などにつながる。

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社会には様々な「べき」がある。しかし、私たちは時々、試験や仕事で失敗することもあるし、感情的になることもあるし、自己中心的な行動、人にやさしくできなかったこともあるし、私たちの言動で誰かが傷つくこともある。

つまり、私たち誰もが、道徳的・倫理的な「べき」から逸脱した行動をとっている。ただそれを認めたくないし、気づかないときもある。そのような、「自分が本当に感じたり行っていること」と、「感じたり思っていると、自分で思っていること」の間に差があると、心理的に不安になりやすくなる。

感情は本来、ありのままに感じられ、安全な方法で表現されることが必要。

それを抑え込むと、たまっていく。そしてそれを抑圧するために、様々な代替行動がとられる。買い物依存、仕事依存、完璧主義、過食、アルコール、誰よりも悪くなることに依存する(非行少年少女やヤクザなど)、そして、心理カウンセラーや援助職の人たちの中には、自分の問題から目を逸らすために他人の問題に関わろうとする人もいて、これも一種の代替行動。

本当に自分で思っていることを自分で認めなかったり、否定したり、ごまかしたり、抑えたり、凍らせたり、ふたをしたりすればするほど、心の重荷になる。

だからこそ、そんな感情を持っている自分もそのまま愛してくれる人間関係の中にいると心地よく、満たされ、自分を愛することもしやすくなる

カウンセラーである筆者の、無条件の受容とは、「この話し手のことが好きだ」という、静かで穏やかで、かすかに温かな感情。来談者自身は、人間的な苦しみのなかにどっぷり漬かっているが、その来談者の存在の根本に、苦しんでも傷ついてもいない、まるで透明で純粋な結晶のような美しい本質を感じる。その本質的な美しさを感じながら一緒にいることが、そのままの来談者を大切に感じ、尊重することのとても重要な核の部分。(深い。自己嫌悪、罪悪感、空虚感などを感じているその人の、根幹の部分には、純粋な結晶のような美しい本質がある。ということ。)

傾聴とは評価することではない。だから、褒めることでもない。「あなたは素晴らしいです」「それでいいですよ、その調子です」というのは、相手をそのまま認め受け入れることにはならない。「何を感じ何を話しても、聴き手は親身になって理解し受け入れてくれる。非難されることも褒められることもないし、良く評価されることも高く評価されることもない。外側から判断されることは決してない」という安心感があればあるほど、話し手は安心できる。

聴き手は、価値観・善悪判断・評価・感情を、脇に置く。それをするためには、自分をしっかりもって、安定感を持っていることが必要。「そうなんですね、カラスは白いんですね。」

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聴き手は、話し手の世界にどっぷりつかる。辛さ、悲しみ、どうしようもない絶望感を、ありあり、ひしひし、いきいきと想像して感じながら一緒にいること。何もしなくても、ただそばにいてくれるだけでありがたい時があるのは、そういうこと。傾聴しているとき、聴き手は話し手の心の世界に一緒に入り、一緒に歩む仲間。

共感とは、話し手の感情を「あたかも」自分のことのように、(きっとこんなふうに腹が立つんだろうな。うん、うん、それは腹が立つよね。)と感じること。

大切なのは話すこと自体ではなく、心の動き。傾聴してもらうことで、話し手の心が、より自分らしく、よりいきいきと自由に、より建設的に、よりラクに生きられるように変化する力になる。

それまで押さえつけられたり、避けられたりしていたために十分に感じられなかった感情や考え、記憶、思いを、話し手が無理のない範囲でありありと経験し、味わう。そうしたら、思いもかけなかったときにその蓋が外れて苦しむようなことはなく、癒しのプロセスが始まる。

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「~に気づかせたい」「明るく考えられるように変えたい」「救いたい」「心を開かせたい」というような意図は、逆効果。そういうことを思っている相手に、深い話をしようとは思わない。話し手は、「深く理解してもらえた」と実感するにつれて、より深く話をしていくことができ、結果的に、じゃあどうすれば改善・解決するかな、と考えるようになる。

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話し手に教えてもらう。話してもらっている出来事について、話し手にとってそれがどういう意味を持っているのか。葬式に参列したからといって、悲しい気持ちであるとは限らない。「そうか、それは悲しかったですね」と、短絡的に受け取ることのないよう気を付けよう。特に、日本語では、事実だけを述べて、感情や考えは相手に任せる会話スタイルなので、聴き手の解釈の幅を広くとれる。だからこそ、こちらが決めつけないように気を付ける必要がある。

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傾聴を妨げうる要因

辛い人の話を傾聴しようとする時に、傾聴を妨げる要因の一つは、辛い感情に耐えられず、それから逃げようとして、気休めを言ったり、前向きなアドバイスをしたり、説教したりすることがある。

聴き手の未解決の心の問題が傾聴によって刺激されるとき、価値判断、相手にアドバイスなどしてしまう。本音は、「この人の話をこれ以上聴いていたくない」だけど、そういっては薄情、「聴けない自分はダメだ」と思ってしまうなどが起こるので、傾聴をしづらくなる。こういったことは、プロのカウンセラーにも起こる。聴き手自身の未解決の心の問題は、解決しておいた方が傾聴しやすくなる。

傾聴の動機が、自己無価値観から来ている(他人を助けたり、他者を必要とされたりすることによって、自分が価値ある人間だと感じたい)と、相手に「助かってもらわなければイヤだ」「相手に好かれたい。相手に助かったと思ってほしい」という、求める気持ちが出てくる。それはかえって相手を害してしまう。傾聴を通して苦しむ人の心の支えになろうと思う人は、カウンセリングを受けて自分の心の痛みも癒すことがとても大切。

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これは、Oprah Winfrey さんが、「自分自身をまず満たしなさい。それが、あなたの最も、一番、何よりも大切なこと。最優先事項。他の人を助けるのは、それから。」と言っていたこと、「人を助けるのは、缶ジュースを1本買って、もう1本当たったから誰かにあげる、というのに近い。自分は既に満たされているから、もし断られても平気。もし自分が喉がカラカラで、1本しかない缶ジュースを相手に与えたとしたら、もし断られたり感謝されなかったりしたら、『何で!こんなにしてあげてるのに!』と腹が立つ」という記述を思い起こさせる。

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聴き手は、自分にできることは限られているという無力感に耐える必要がある。それは医療従事者が、全ての患者さんを救えないのと似ている。

人の苦しみに寄り添い、それを自分のことのように味わい、ともにいるためには、共感する辛い感情に耐え、自分の無力を認めてそれを引き受け、無力感にじっと耐えることが必要。それは大変なことである。決して表面的な優しさでできることではなく、自分自身の感情を感じて受容できる強さが必要

重篤な怪我や病気の人に、「私t地に何ができるか分からないので、何ができるか教えていただけますか?」と優しく伝え、待つことも必要。相手がすぐに何も言えなくても焦らず、自分にできる範囲で、苦しい沈黙の中に一緒にいることが、最善の心の支えになることもある。

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プロのカウンセラーさんでもこんな風に感じたり、思ったり、壁を感じたりするのだなと、とても勉強になった。図書館で借りたけど、線を引いて定期的に見返したいので、買います。


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